鎌倉にある安養院は北条政⼦が源頼朝を弔うため、嘉禄元年(1225 年)に鎌倉笹⽬に建⽴した⻑楽寺が前⾝である。

今まで非公開だった北条政子の木座像を取材した

政⼦没後、北条義時の息子・泰時が祖母・政⼦を弔うために諸堂を造⽴して安養院となったが、元弘三年(1333年)に焼失。

鎌倉名越で善導寺と併せて再興されるも、延宝8 年(1680 年)に再び焼失。鎌倉⽐企ヶ⾕にあった⽥代寺の諸堂を移築して再建され、現在に⾄る。

大正末期に製作された北条政子の座像
大正末期に製作された北条政子の座像
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このお寺にはネットやテレビなどでよく見る北条政子の座像(大正末期の製作)が安置されており、「北条政子」と検索すれば、このビジュアルが表示される。

更にもう一体、今まで非公開であったが、かなり古い北条政子の木座像が伝えられており、今回この像の復元の様子を取材した。

今まで非公開だった北条政子の木座像
今まで非公開だった北条政子の木座像

この政子座像はかなり古く傷んでおり、厨子の中に保管されてきたが、安養院の鳥居淳生御住職の依頼により、仏像修復家・牧野隆夫氏(吉備文化財修復所)が復元を行った。

座像の木片の一部を検査した結果(⼭形⼤学⾼感度加速器質量分析センター)、1470年~1600年代の値が得られた。少なくとも室町時代後期から江戸時代初期に伐採された材を使った像であることは想定される。

現在伝わっている北条政子座像としては伊豆の国市願成就院所蔵の政子地蔵菩薩に次ぎ古い像となる。

日本を代表する仏像修復家・牧野先生による復元作業の様子
日本を代表する仏像修復家・牧野先生による復元作業の様子

牧野先生は、2021年フジテレビ制作の番組「TimeTrip鎌倉幕府」-悲劇の将軍・夜叉王の面-において、源氏2代将軍・源頼家の呪いの面の復元に成功。その面は、平安時代後期、九州地方に伝わる“鬼の面”の部類に入れるのが妥当と判断された。

左:頼家の面 右:復元された面 (伊豆市福地山修禅寺宝物館所蔵)
左:頼家の面 右:復元された面 (伊豆市福地山修禅寺宝物館所蔵)

この仮面は、源頼家が北条家に暗殺される前、漆を入れられた風呂に入れられ、かぶれた自分の顔を彫らせ、母親の政子に送ったと伝わる呪いの面である。

後に「修禅寺物語」として岡本綺堂が歌舞伎演目として創作し、今でも人気演目の一つだ。

最先端技術で木座像の北条政子を復元

復元する手順としてはまず3Dプリンターを使用するところから始まる。

⽇本プリンター株式会社 3Dデジタルソリューション部の担当者によるスキャン作業
⽇本プリンター株式会社 3Dデジタルソリューション部の担当者によるスキャン作業
3Dプリンターで読み込んだ政子像
3Dプリンターで読み込んだ政子像

政子座像を3Dプリンターでスキャンすることで3Dデータに変換。

合成樹脂による3Dプリント
合成樹脂による3Dプリント

その3Dデータを元に合成樹脂でできたレプリカをプリントして、元の像と同じ大きさの複製を造る。

3Dプリントされた政子座像
3Dプリントされた政子座像

3Dプリントされた政子座像には、オリジナルでは判別できなかった顔のしわや目の下のたるみなど微妙な表情が現れていた。

レプリカの復元作業の様子
レプリカの復元作業の様子

このレプリカを着色・修理し、およそ500年前の状態へと復元していく。

この座像は劣化が激しく、顔の一部、塗料、両手の欠損など復元の際には室町時代などの女性の座像や絵を参考にして、製作された。

復元された北条政子座像
復元された北条政子座像

復元された政子座像は、晩年の様子を想定されて造られたと思われる。

復元された北条政子座像
復元された北条政子座像

仏像修復家・牧野隆夫氏は「波乱万丈の生涯を終えようとしている、まさにその頃の様子を再現した座像であり、大変珍しい貴重なもの」と話す。

この座像は何度も火事にあいながらも代々の住職によって大切に受け継がれてきたが、今回の調査で初めてその製作年代や容姿が明らかとなった。

貴重な文化財を修復することはオリジナルを損なう可能性もありリスクを伴う。しかし3Dプリンターを使ったレプリカの復元であれば、様々な試みが可能であり、調査の進展によっては何度でもトライできる。

最先端技術を文化財保護に活用することは伝統的な修復技術を伝承する上でも重要な手段となるだろう。
 

“北条政子座像”復元の様子は
「TimeTrip鎌倉幕府」-尼将軍 北条政子-
12月27日(火)よる10時 BSフジ/BSフジ4Kにて放送

“頼家の呪いの面”復元の様子は
「TimeTrip鎌倉幕府」-悲劇の将軍 夜叉王の面-
12月26日(月)よる10時 BSフジ/BSフジ4Kにて再放送