1966年に当時の静岡県清水市で一家4人が殺害された、いわゆる「袴田事件」は、死刑が確定した元被告と姉が裁判のやり直しを求めている。逮捕から56年が過ぎ元被告は86歳、姉は89歳だ。裁判をやり直すか東京高裁は2022年度中に判断する見通しだ。判断を待つ2人を取材した。
釈放から8年8カ月 姉弟で暮らすも“死刑囚”のまま

袴田 巖元被告 86歳。 姉・ひで子さん 89歳。 2人で暮らし始めて8年が過ぎた。
袴田元被告の姉・ひで子さん:
一緒に暮らしていると(拘置所の)中で、どういう生活をしていたかよくわかる。刑務所(拘置所)ではこうだったのかと。今もそのままのことをしている
弟の表情は和やかになり自分から話をすることもあるが、長年の拘禁生活の影響は色濃く残っている。

高齢の2人を心配した支援者が、毎日交代で昼食を用意している。姉は、一つ屋根の下で暮らしながらも、別々に生活をしていると話す。
姉・ひで子さん:
今まで、2人で暮らしているとは思わない。巖は巖で自由な時間で、自由なことしていてくれればいい。私は私、自分なりに自由な生き方をしている。私は勝手な生き方をしていますから
釈放から8年8カ月、弟は死刑囚のままだ。
2014年 静岡地裁が再審開始決定 48年ぶりに釈放

1966年、当時の静岡県清水市でみそ会社の専務一家4人が殺害された、いわゆる「袴田事件」。
従業員だった袴田巖 元被告は死刑判決を受けたが、無実を訴え裁判のやり直しを求め続けてきた。

加藤 洋司記者:
「再審開始」です!
2014年3月 静岡地裁は再審開始を決め、袴田巌元被告は48年ぶりに釈放された。

姉と弟は2人の生活を始めた。

姉・ひで子さん:(2014年)
歩き回って、10時間ぐらいここ(家の中)をずっと歩いてる。表現が無い、「あれがすごい」とか「これがどう」とか表現は全然ない

2016年に取材した時は弟は1人で出かけるようになっていた。「パトロール」だという。
毎日5~6時間ひたすら歩く。好きなものを好きな時に買う。48年ぶりのことだ。
しかし…
2018年 東京高裁が「再審開始決定」を取り消し

入口 鎌伍記者:
「不当決定」と書かれた旗が掲げられました!
検察の即時抗告により東京高裁で審理が続けられていたが、2018年6月 東京高裁は静岡地裁の「再審開始決定」を取り消した。
釈放から4年が経過していた。

姉・ひで子さん:
残念でございます。次に向かって進みます

高裁決定の直後、袴田元被告は次のように話していた。
袴田 巖 元被告:
(Q「袴田元被告が無罪ではない」という東京高裁の判断をどう思うか?)うそ言っているだけだ。事件がないんだから、死んだ人はいないんだ
弟は裁判のことを理解していない。
2020年 最高裁「審理不十分」と高裁に差し戻し
弁護団は特別抗告し、審理は最高裁で続けられることになった。

そして、2020年12月 最高裁は“犯行時の着衣”とされる衣類に関し「血痕の色の変化について、審理が不十分」と、審理を東京高裁に差し戻した。

袴田事件弁護団・小川 秀世弁護士:
我々の主張を正しく理解してもらって、今回の決定が出されたと思っています
姉・ひで子さん:
(最高裁決定の)主文しかまだ読んでない。(Q主文を読んでどうでした?)うれしい、最高
「裁判やり直し」なるか? “真の自由”願い高裁判断を待つ姉弟

5年ほど前から、袴田元被告が外出する時は支援者が一緒に出掛けている。
最近は以前に比べ歩く時間は減り、車で出かけることが増えた。「パトロール」という認識は変わっていないようだ。

袴田元被告の姉・ひで子さん:
(拘置所から)出てきたということは、奇跡みたいなもの。まさか出してくれるとは思わないから。ご飯を食べている時に、こうして巖がいることが不思議に思うこともある。再審開始になることを願って、これまで闘ってきた。今更へこたれるわけはない
東京高裁の判断は、年度内にも示される。
東京高裁が裁判のやり直しを認めた場合は、静岡地裁でやり直しの裁判が開かれる。
しかし検察側が特別抗告した場合には、もう一度 最高裁で協議が行われることになる。
東京高裁が再審を認めなかった場合は、弁護団が特別抗告する。
この場合も最高裁でもう一度 審理が行われる。

年が明ければ2月生まれの秀子さんは90歳、3月生まれの元被告は87歳になる。
迅速な判断が望まれる。
(テレビ静岡)