介護サービス利用し退職金で生活「あと2、3年はどうにか」

大阪市で開かれた座談会。認知症の家族を介護する人たちが集まっていた。

認知症の弟を介護中の男性:
どこの誰に、どういうたらええねん。その辺誰も教えてくれない。

大阪市で開かれた座談会
大阪市で開かれた座談会
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参加者が語るのは、介護への不安や尽きない苦労話。中には…。

介護のため、離職を余儀なくされた藤井康弘さん(59)
介護のため、離職を余儀なくされた藤井康弘さん(59)

藤井康弘さん:
無職になって1年たちました。よろしくお願いします。

30年連れ添った妻が認知症に
30年連れ添った妻が認知症に

介護のため、離職を余儀なくされた藤井康弘さん(59)。30年連れ添った妻の三恵子さん(59)が、4年ほどに若年性認知症と診断された。

料理や洗濯などの家事も康弘さんが担う
料理や洗濯などの家事も康弘さんが担う

子供はすでに独立し、2人きりで過ごす毎日。料理や洗濯などの家事に加え、1人で三恵子さんの介護をしている。

ゴミ箱を探している様子の妻に声をかける
ゴミ箱を探している様子の妻に声をかける

藤井康弘さん:
うん?ゴミ箱?(探してるの)ゴミ箱ちゃうの?

妻・三恵子さん:
これゴミ箱?

当初、藤井さんは家の中にカメラを設置するなど、働きながら三恵子さんを見守れるよう工夫をしていた。しかし…。

酒とタバコばかり買っていたという
酒とタバコばかり買っていたという

藤井康弘さん:
コンビニによく行きよるんですけど、1日に3回も4回も行くんですよ。酒とタバコばっかり買いに行きよるんですよね。ほんで気が付くとね、酒だらけになってて。

働きながらの介護が困難に
働きながらの介護が困難に

三恵子さんに徘徊の症状が出始めたため、働きながらの介護が困難に。2人を支援してきた地域の相談員も、デイサービスの利用を試んだが…。

愛仁会 地域ケアセンター 山下妙子さん:
妄想というか「怖い男の人が来て私をね」とか、それがひどくなってしまったんですね、逆に。それで、やっぱりデイサービスは行けないよねとなって。

「要介護度」は5段階のうち下から2番目 介護施設への入所は認められず
「要介護度」は5段階のうち下から2番目 介護施設への入所は認められず

三恵子さんの「要介護度」は自力で歩くことができるため、5段階のうち下から2番目の「要介護2」。そのため、介護施設への入所も認められなかったという。

「会社にもこのままズルズル残るのもな、と思った」
「会社にもこのままズルズル残るのもな、と思った」

藤井康弘さん:
もっと悪くなって、もしかしたらどこか施設に入れるようなことなったら、会社復帰できるかなと思ってたんですけど、そんな急に悪くならなくて。会社にもこのままズルズル残るのもな、と思ったんで…。

ここ10年間、毎年10万人前後が介護離職を余儀なくされている
ここ10年間、毎年10万人前後が介護離職を余儀なくされている

1年間休職した後、退職を決断。厚生労働省によると、ここ10年間、毎年10万人前後が藤井さんのように介護離職を余儀なくされている。

そんな人たちを支えているのが、介護サービスだ。藤井さんは三恵子さんの入浴のため、週2回、訪問看護のサービスを利用している。

入浴のため、週2回、訪問看護のサービスを利用
入浴のため、週2回、訪問看護のサービスを利用

訪問看護師:
帽子も脱ぎましょう。お風呂やから。オッケーオッケー。

妻・三恵子さん:
よし。

訪問看護師に言われて、髪を留めていたクリップを外す三恵子さんだが…。

訪問看護師に言われて帽子を脱ぐが、またかぶってしまった三恵子さん
訪問看護師に言われて帽子を脱ぐが、またかぶってしまった三恵子さん

訪問看護師:
美枝子さん、帽子、帽子。

帽子を脱ぐも、すぐにまたかぶってしまった。

訪問看護師:
頭洗えないよ。

退職金を取り崩してしのぐ
退職金を取り崩してしのぐ

三恵子さんは近頃、徘徊も減り、短期間施設で過ごす「ショートステイ」に行けるようになった。介護サービスの利用料は、月3万円ほど。退職金を取り崩してしのいでいるという。

藤井康弘さん:
あと2、3年はどうかなるかな、みたいな感じですね。その先は知らん。その先は知らん、もう。まあ、どないか生きていけるでしょう、多分。と思わないとやっていけないですね。

出口の見えない介護。不安を抱えながらも、藤井さんの献身的な介護は続く。

母と一緒に過ごしたい “介護と仕事の両立”目指し起業

親の介護を理由に仕事を辞めた人もいる。

認知症と診断された母・順子さん(74)と2人暮らし
認知症と診断された母・順子さん(74)と2人暮らし

宮崎県日向市の月原美由紀さん(43)。認知症と診断された、母親の順子さん(74)と2人暮らしだ。

施設に預けず自分で介護
施設に預けず自分で介護

順子さんは、日常生活のほぼ全てで介護が必要とされる「要介護3」。それでも美由紀さんは、順子さんを施設に預けず自分で介護すると決めているという。

月原美由紀さん:
顔洗おうかね

その後、徘徊するようになったため、仕事を時短勤務に
その後、徘徊するようになったため、仕事を時短勤務に

順子さんが認知症と診断されたのは、美由紀さんが35歳の時だった。その後、徘徊するようになったため、会社に時短勤務を認めてもらったという。しかし…。

これまで昇格していたが、時短勤務をしたことにより…
これまで昇格していたが、時短勤務をしたことにより…

月原美由紀さん:
そこまで結構、いろいろ評価もしていただいて、昇格もしてもらっていたんですけど。時短(勤務)をしたことによって、突きつけられたんですね。「(役職を)上げられないよ」と。これが現実だなと思って。

正社員だった美由紀さんはその後、契約社員となり、2021年に会社を辞めた。

「とても私にはできないなと思って辞めた。だいぶ貯金も切り崩して、今が一番苦しい時かな」
「とても私にはできないなと思って辞めた。だいぶ貯金も切り崩して、今が一番苦しい時かな」

月原美由紀さん:
家族を犠牲にして、心も犠牲にして働くっていうのは、とても私にはできないなと思って、辞めるという決断をしたんですけど。もうだいぶ貯金も切り崩しましたし、これからだなっていう。今、一番苦しい時かなという感じ。

動画編集の請負、介護の相談に乗る事業などを立ち上げた
動画編集の請負、介護の相談に乗る事業などを立ち上げた

順子さんと一緒に過ごしたい…。その思いから、美由紀さんは起業という道を選んだ。

動画編集の請負や介護の相談に乗る事業などを立ち上げたという。時には地域のお店を自ら訪れ、動画投稿サイトで紹介することも。

しかし、経済的にはまだまだ苦しく、月々の収支が赤字になることもあるという。それでも介護と仕事の両立を目指す、その理由は。

「その中に、今まで母と過ごせなかったいろんな時間がある」
「その中に、今まで母と過ごせなかったいろんな時間がある」

月原美由紀さん:
そりゃ腹が立つこともあるし、イライラすることもあるし、大変なこともあるんですけど。その中に、今まで母と過ごせなかったいろんな時間があるわけで。絶対、母が元気だったらハグなんてしないし、手もつながないし。そういう時間が過ごせるのは、すごく私は幸せなんですね。

母を思う美由紀さんの気持ちは、順子さんに届いているのだろうか。

取材スタッフ:
娘さんのことは好きですか?

「娘さんのことは好きですか?」という質問に…
「娘さんのことは好きですか?」という質問に…

母・順子さん:
うん、そうですね。好きです。

月原美由紀さん:
ああ、ありがとう。

誰もが直面するかもしれない、介護離職。周囲の理解とサポートが求められている。

(「イット!」12月9日放送)