福岡市出身の医師・中村哲。アフガニスタンで人道支援に尽力し、2019年12月4日、現地で凶弾に倒れこの世を去った。
「百の診療所より一本の用水路を」の言葉を心に刻み、15年以上もの間、用水路建設に従事し続けた。

アフガンで暮らす65万人の自給自足支える

中村医師は、干ばつに見舞われたアフガニスタンの地で、医師でありながら白衣ではなく作業着を身にまとい、人道支援活動に尽力していた。

人道支援活動に尽力した中村哲医師(享年73)
人道支援活動に尽力した中村哲医師(享年73)
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築き上げた9つの用水路の周辺は、約1万6,000ヘクタールが緑化され、アフガンで暮らす65万人もの自給自足を支えている。

そんな中村医師が凶弾に倒れ、この世を去ったのは2019年12月4日。その日も、用水路の建設現場へと向かう途中のことだった。

中村医師の言葉(ペシャワール会報より):
私たちの小さな試みが平和への捨て石となり、大きな希望につながることを祈る

中村医師の死から3年。11月26日、命日を前に福岡市で「追悼の会」が行われた。今も「希望の灯り」は灯り続けている。

ペシャワール会・村上優会長:
緑が着実に回復し、人々が家族と暮らす平和を維持している事実は“希望の灯り”です。これからは、先生が夢見たアフガニスタンの人々の自立に向け、次の歩みに取り組みます

中村医師の遺志を受け継ぎ、福岡市のNGO「ペシャワール会」は、日本からアフガン支援を続けている。現地の復興事業は今、大きな節目を迎えていた。

ペシャワール会・藤田千代子さん:
中村先生なしで(現地の人たちだけで)つくった初めての水利施設ですので、随分心配をしながら…。工事が遅れてですね、水が流れるなか、すごく危険な状態で作業を進めてんたんですね

初めて現地スタッフの技術者のみで挑んだ10本目の用水路建設。着工から2年の歳月を費やし、2022年9月、ようやく完成に至った。重機のアームを回して、喜びを表現する現地スタッフ。これは、中村医師流の喜び方だという。

ペシャワール会・藤田千代子さん:
水路のことで、何かが出来上がってうれしいときは、中村先生が重機のアームをこうやって回してて…。動画を見たときは、泣き笑いしましたね、本当に

中村医師が残した言葉の意味

用水路建設だけにとどまらない。農業の分野でも、中村医師が亡くなって以降、初となるうれしい出来事があった。

ペシャワール会・藤田千代子さん:
中村先生が待ちに待っていたナツメの収穫が、今年はできました。ナツメは、みんな神聖な食べ物として好んで食べますので、(中村先生は)みんなが好きだからということで、楽しみにしてたんですけど…

たわわに実った果実が、緑豊かな大地が平和の尊さを静かに訴えかける。しかし、用水路の灌漑(かんがい)地帯を一歩踏み越えると、荒れ果てた荒野がずっと広がっているのが現実だ。

依然として1,000万人以上の国民が餓死の危機にさらされ、現タリバン政権に反発する欧米諸国からの経済制裁やウクライナ戦争のあおりを受け、過去に例を見ない物価高にも見舞われている。

混沌(こんとん)とした状況の中でどう行動すべきなのか。中村医師は、次のような言葉をのこしていた。

中村医師の言葉(ペシャワール会報より):
水が善人、悪人を区別しないように、誰とでも協力し、よそに逃れようのない人々が、人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います

ペシャワール会・藤田千代子さん:
中村先生の口癖は、いつも何事もなかったかのように、日々のことを進めるように、ということだったので、それしかないなと

ペシャワール会・村上優会長:
中村先生が言っているように、灯し続けないといけないというのは、彼からの指示ですから…。次の地域が、2つ予定地が選定されていて、(用水路を)実際に作って行く作業を、来年から始めたいと思っています

現在、ペシャワール会の会員、支援者の数は約2万5,000人で、この3年で1万人増えている。皮肉なことに、中村医師の犠牲ゆえに多くの人が活動を知ることになり、支援の輪が広がっているかたちだ。

ペシャワール会は、用水路建設支援だけではなく、現地スタッフと協力して医療や農業の分野でも支援を継続していて、今後も中村医師の遺志を継いでいくとしている。
中村医師の志の下、現地アフガンで復興への歩みが止まることは、これからもない。

(テレビ西日本)