衆院本会議で25日、安倍元首相の追悼演説が行われ、立憲民主党の野田佳彦元首相が、「仇のような政敵」安倍氏との知られざる温かな思い出話も語り、死を悼んだ。
午後1時からの本会議で、安倍氏の遺族も見守る中、野田氏は演説を行った。
この記事の画像(7枚)野田氏は冒頭、「政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではない。人々の暮らしや命がかかっている」として、「改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ない」と述べた。
そして、安倍氏と同じ首相経験者の立場から、「我が国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねる。先人たちが味わってきた重圧と孤独を我が身に体したことのある一人として、非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい」と語った。
安倍氏の経歴を述べる際には、初当選が同期であることに触れて、「初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む一際、大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えている。そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿があった」と語り、「私には、その輝きが、ただ、まぶしく見えるばかりだった」と振り返った。
国会で安倍氏と数々の論戦を重ねてきた野田氏だが、「最も鮮烈な印象」として語ったのは、野田氏が首相、安倍氏が野党第1党の党首として臨み、2012年11月の党首討論。
野田氏が“サプライズ”で、条件付きでの衆院解散を明言したことで知られる。
追悼演説の中で野田氏は、解散の明言に対する「あなたの少し驚いた表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができない」とした上で、「互いに持てるもの全てを賭けた、火花を散らす真剣勝負だった」と振り返った。
野田氏は、国会で対峙した安倍氏を「いつの時も手強い論敵だった。いや、私にとっては仇のような政敵だった」と表現した上で、「残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの場には現れない」と寂しげに語った。
さらに、野田氏は、安倍氏との間の知られざるエピソードも明かした。
2012年の総選挙で敗れた野田氏は、勝利した安倍氏の皇居での首相親任式に立ち会った。
野田氏は、安倍氏と同室だった控室について、「シーンと静まりかえって、気まずい沈黙が支配する。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方だった」と述べた。
その時のやりとりについて野田氏は、「あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、『お疲れ様でした』と軽い声で話しかけてきた。
『野田さんは安定感がありましたよ』
『あの“ねじれ国会”でよく頑張り抜きましたね』
『自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ』
温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私を、ひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのだ」と明かした。
そして、「あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようだった」と振り返った。
一方、演説の中で野田氏が、安倍氏に謝罪する場面もあった。
野田氏は、「あたなには謝らなければならないことがある」として、2012年の衆院選における、大阪・寝屋川市での遊説について語った。
野田氏は当時、「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中お腹が痛くなってはダメだ」と演説したことについて、「他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されない。語るも恥ずかしい、大失言だ」と述べた。
その上で、「謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔だ。いま改めて、天上のあなたに、深く深くお詫び申し上げる」と陳謝した。
さらに、野田氏は、「再びこの議場で、あなたと言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった」とした上で、「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」と声を上げた。
また、野田氏は「長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは歴史の法廷に永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)だ」と指摘。
「安倍晋三はいったい何者であったのか、あなたがこの国に遺したものは何だったのか、そうした問いだけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましている」として、「私はあなたことを問い続けたい。問い続けなければならない」などと述べた。
演説の最後に野田氏は、安倍氏を「闘い続けた心優しき一人の政治家」と表現し、「どうか安らかにお眠り下さい」と結んだ。