「隣のヴェンダースさんと“この椅子、うまく座れないね”と話していたんですよ」と笑顔で語る音楽部門受賞者のツィメルマンさん。3年ぶりにリアル開催された授賞式は、厳かな一方で温かい雰囲気に包まれていた。

<「日本式に正座するのがいいかも」>

クリスチャン・ツィメルマンさんが初めて日本に来たのは1978年。1回だけの訪問のはずだったが、以後、44年の間に、日本全国66都市、89会場で、通算288回ものコンサートを開いている。2003年からは東京にも住まいを構え、明治記念館で行われた第33回高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式にもその自宅から駆けつけた。

©️日本美術協会/産経新聞
©️日本美術協会/産経新聞
この記事の画像(9枚)

「素晴らしい雰囲気でした」と真面目な感想を述べつつ、「椅子の座りごこちだけがちょっとね。隣のヴェンダースさんと“この椅子、うまく座れないね”と話していたんですよ。もしかすると日本式に正座するのがいいかもしれませんね」と日本通ならではのご愛嬌(あいきょう)でおどけてみせた。

 ©️日本美術協会/産経新聞
 ©️日本美術協会/産経新聞

これまでの受賞者が口々に「世界文化賞は、異なる分野の人たちと一緒に受賞できることが醍醐味」と語るように、音楽部門で受賞したツィメルマンさんも他の部門の受賞者と出会え、感慨深かったという。

アイ・ウェイウェイ氏と ©️日本美術協会/産経新聞
アイ・ウェイウェイ氏と ©️日本美術協会/産経新聞

彫刻部門のアイ・ウェイウェイさんとはポーランドと中国という祖国の歴史的状況が似ていることに共感を持っていたし、演劇・映像部門のヴェンダースさんの作品が、ツィメルマンさんが1983年にパリに行ったとき初めて見た映画だった。

ヴェンダース氏と ©️日本美術協会/産経新聞
ヴェンダース氏と ©️日本美術協会/産経新聞

<「娘はSANAAと話しができて、興奮して眠れなかった」>

この授賞式のために来日したツィメルマンさんの長女クラウディアさんはパリ在住のグラフィックデザイナー。建築部門で世界文化賞を受賞した日本人建築家ユニットSANAAの大ファンで、ツィメルマンさんによると「娘はSANAAと色々と話しができて、興奮して眠れなかった」とのこと。

奥さんのマリアさん、長女のクラウディアさんと ©️日本美術協会/産経新聞
奥さんのマリアさん、長女のクラウディアさんと ©️日本美術協会/産経新聞

クラウディアさんが感動したのはSANAAの設計で、2021年6月にリニューアルオープンされたパリの老舗百貨店「サマリテーヌ」。波打つガラス張りのファサードが石造りパリの風景を映し出し、時間や季節によって変化する素晴らしい作品だ。

SANAAが設計したパリの百貨店「サマリテーヌ」のファサード

こうした交流が実現するのも、家族が授賞式に招待される世界文化賞ならでは。クラウディアさんはグラフィックデザイナーという仕事柄、SANAAの話しに刺激を受けたそうで、この賞が次世代を担う若者の記憶にも残るイベントとなったのはうれしいことだ。

ツィメルマンご夫妻はスイス在住で、実は妻のマリアさんもSANAAとの対面を楽しみにしていた。というのも、スイス連邦工科大学ローザンヌ校キャンパス内にある学習施設「ROLEXラーニングセンター」はSANAAの設計だが、そこで先生をしていたマリアさんの兄に「すごい建物だから見においでよ」と誘われ、実際に見に行ったことがあるからだ。

『ROLEXラーニングセンター』 2009年スイス・ローザンヌ Photo: Shinkenchiku-sha
『ROLEXラーニングセンター』 2009年スイス・ローザンヌ Photo: Shinkenchiku-sha

マリアさんが「それは見事で感動しました」と伝えると、SANAAの妹島さんは「それはうれしいです!私たちはヨーロッパともご縁があるんですよ」とこたえ、しばし話しが弾んでいた。

ツィメルマンさんご夫妻とSANAAのお二人 ©️日本美術協会/産経新聞
ツィメルマンさんご夫妻とSANAAのお二人 ©️日本美術協会/産経新聞

「常陸宮妃殿下との謁見の際に、お辞儀の角度がプロフェッショナルではなかったらしいので申し訳ないと謝っていた、とちゃんと書いておいてね」と筆者に念を押すあたりが、実に気さくなツィメルマンさん。公の会見などでピアニストとして「私はアーティストではなく、98%職人だ」と語るときの引き締まった表情とはまた違う、本当に笑顔のステキな紳士であった。

来年には日本でのコンサートも予定されているそうで、人間味溢れる“職人”ツィメルマンさんの奏でる音をぜひとも生で聞いてみたいものだ。

勝川英子
勝川英子

フジテレビ国際局海外広報担当。
報道時代にパリ支局長を経験。
2016年にフランスの国家功労勲章を受章。
2003年からフランス国際観光アドバイザー。
幼少期を過ごしたフランスをこよなく愛し、”日本とフランスの懸け橋になる”が夢。