泥にまみれた2台のピアノ。1台は東日本大震災による津波で、そしてもう1台は2020年の九州豪雨で濁流にのまれた。
修復不可能な状態から懸命の修復作業でよみがえり、それぞれ「奇跡のピアノ」「希望のピアノ」と呼ばれた2台が、はじめて大阪のコンサートで共演した。2台のピアノが奏でる音色に込められたメッセージとは。
がれきの跡はそのまま ”修復不可能”からの復活
コンサート会場にピアノが運び込まれる。
この記事の画像(15枚)「いろんな振動の影響なんでしょうかね。やっぱり音の調子が変動してますよね」と話すのは、福島県いわき市のピアノ調律師・遠藤洋さん。
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
この2台のピアノがこういう風になるって、そういう想定は全くしていなかったですからね
横倒しになった1台のピアノ。2011年の東日本大震災で津波の被害を受けた、福島県いわき市の中学校にあったピアノだ。
この場所で調律師の遠藤さんはピアノと出会った。ピアノは泥と砂にまみれ、修復はほぼ不可能な状態だった。
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
震災、自然災害があったことによってピアノがなくなってしまうのは、何かかわいそうだっていうようなね。このピアノを見てもかわいそうだな…
ピアノを引き取り、修復作業にとりかかった遠藤さん。約半年をかけ、懸命な努力によってピアノは復活を遂げた。
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
がれきが当たった跡なんですよ、これ。震災があったことも忘れちゃいけない。そういった意味で傷を残したんですよ、そのまま
このピアノは「奇跡のピアノ」と呼ばれ、全国各地で被災地の記憶を届けてきた。
豪雨にのまれた学校「ピアノだけでも残したい」
2020年に九州を襲った豪雨災害。熊本県では67人が犠牲になった。球磨村の小学校にあったピアノは濁流にのまれた。
現地で被災者の支援に取り組んでいたのは、兵庫県尼崎市のボランティアチーム「MOVE」だ。
ボランティアチーム MOVE代表 山中裕貴さん:
この学校にはもう子供たちは戻って来られなくて、行事もできないというお話を聞かせてもらった時、思い出に残る学校のピアノだけでも戻せたら、子供たちは喜んでくれるんじゃないかなと思いました
ピアノメーカーに修理を断られる中で引き受けてくれたのは、「奇跡のピアノ」を復活させた調律師の遠藤さんだった。
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
いやまあ、最初に見た時はびっくりしましたね。悲惨な状態でしたけど。でも山中さんの気持ちがよく理解できてね。それで、やろうかって
福島県いわき市にある、遠藤さんのピアノショップで音を取り戻す作業がはじまった。
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
一度洗いながら、ここを新しい物に張り替える。なるべくベストな状態になるように仕上げてあげたいなっていう思い
汚れたパーツを入れ替えていく地道な作業が約3カ月続いた。球磨村の再建を願い、「希望のピアノ」と名付けられた。
福島の「奇跡」×熊本の「希望」 2台が初共演
あれから2年。「2台のピアノが奏でる復興の音色を届けたい」という2人の気持ちが、ようやく形になる時がやってきた。コンサート会場で調律をする遠藤さん。
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
うん。熊本のピアノいいですよね、これ
ボランティアチーム MOVE代表 山中裕貴さん:
よかったですか?
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
向こう(福島の奇跡のピアノ)の手入れを頑張らないといけないなあ。うん
ボランティアチーム MOVE代表 山中裕貴さん:
じゃあ明日は最高の音が?
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
鳴るんじゃないの?多分、いや、いいですよ
迎えたコンサート当日。まず熊本の「希望のピアノ」で「朝日のあたる家」が演奏され、続いて福島の「奇跡のピアノ」で地震直前の卒業式で生徒たちが歌っていた「未来へ」が合唱とともに演奏された。
そしてついに、2台のピアノが初めて共演。多くの支援でよみがえった「奇跡のピアノ」と「希望のピアノ」で「故郷」を弾く。2台のピアノが生み出すやさしいハーモニーが観客を魅了した。
ボランティアチーム MOVE代表 山中裕貴さん:
いや、本当に奇跡の1日だったなと。色々な支援の仕方があると思うんです。被災地に行く支援もあれば、行けないけど、また違った形での支援があったり。音楽を通して伝えていくっていう行動も支援の一つだと思っていて
ピアノ調律師 遠藤洋さん:
これから、もっとこのピアノをね、優しい音色でありながら音が通るっていうね。もっと私たちも努力して、このピアノをいい音に。これからもこのピアノと共に生きていくのかなぁ
災害の記憶を紡ぐ2台のピアノ。命を吹き返したピアノは、何度でも立ち直る強さを伝えてくれるだろう。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年9月13日放送)