原爆かもしれない!

今から50年前の1968年11月19日 午前4時15分 沖縄の嘉手納基地を離陸したアメリカ軍の戦略爆撃機B-52が離陸に失敗し墜落。積まれていた爆弾とともに大爆発し、住民およそ15人が重軽傷をおったほか、窓ガラスが割れたり破片が住宅の屋根を突き破るなど300棟余りの建物に被害が及んだ。

当時の墜落現場の様子

今も現場近くに住む池原勲さん(75)は当時の様子をこう語る

池原勲さん:
あの音と火柱は尋常じゃなかったですからね…。
口で表現できないんですよ 視界全体に火柱が立って、その間を花火みたいに 次から次へと火が上に行くんですよね…嘉手納の弾薬庫に堕ちて、弾薬が一気に爆発したんじゃないかと思われるくらい、すごい大きな火柱だったんですよ…

窓から身を乗り出して爆発の様子を見ていた池原さん。すると家族がこう叫んだ…

「窓を閉めろ!原爆かもしれない…」

池原さんの姉が池原さんを窓から引きずりおろしてドアを閉めて、夜が明けるのを待ったという。
滑走路の先にある嘉手納弾薬庫には“核兵器”や“毒ガス”が隠されているとも言われ、状況がわからない池原さんの家族は、これが爆発の原因ではないかと恐怖におののいた。しばらくして、通りに出ると、そこには逃げ惑う人々の姿があったという。

池原勲さん:
墜落現場から逆のほうにね、荷物をリアカーに乗せて避難していく人が何人かいたな…というのが忘れられない

墜落の背景には、何があったのだろうか?
日米の安全保障に詳しい琉球大学の我部政明教授によると

琉球大学 我部政明教授:
ベトナム戦争と直結していた沖縄の島だったのが1968年ですね。アメリカがこれまで以上に戦線を拡大していった。その時に嘉手納にはグアムから持ってきて直接、南ベトナムを爆撃することになった。

1965年に始まり激しさを増していたベトナム戦争。B-52は通常の爆弾を積んでいたが、当時の沖縄には、核兵器の搭載が可能な機体も飛来していて、そのことが墜落事故と核爆発のイメージがつながり、住民のさらなる恐怖と混乱につながっていた。

Q:核が持ち込まれているという疑惑は、当時 住民にはあったのか?

琉球大学 我部政明教授:はっきりあったと思います。つまり核兵器が積めるような飛行機が来ているということは、沖縄に核兵器のような爆弾があるんだろうな、しかも、弾薬庫は近くにあるし、そこでどんなことしているか、、(住民は)誰も知らないわけだから、ますます疑惑というのは大きくなる

県民の強い反発を受けてB-52は本土復帰が近づいた1970年に常駐配備が解消された。

あれから50年 あの日から何が変わったのだろうか?

池原勲さん:
あの日は、ずっとつづいている。“昔だったな”という表現はできないね。今も、同じ状況で危険と隣り合わせでずっとやっているもんだから…

あの事故の後も繰り返されるアメリカ軍機の墜落事故。当時を知る人たちは嘉手納基地が、放置されたままでいいのか?節目の日に強い、怒りと焦りを感じている。

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