以前、プライムオンラインで介護技法「ユマニチュード」を紹介してから、1年近く経った。

「ユマニチュード」とは、フランス発祥のケア技法で、主に認知症のケアに有効とされる。知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づき、相手を大切に思っていることを伝える手法だ。

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この約1年の間にユマニチュード学会が発足し、福岡での市民講座が立ち上がり、京大病院での共同研究が進み…と全国各地でユマニチュードをめぐって、点から面での広がりを見せている。

その中でも、今回は福岡県での実践例を取り上げたい。

人生100年時代に向けた100のアクション

「福岡100」プロジェクトとは、人生100年時代、誰もが心身ともに健康で幸せに生き続けられる社会を実現するために、健康医療分野の100のアクションを2025年までに具体的に実践していくものである。(2020年4月現在、HP上では59まで発表されている)

地域の公園をもっと自由に使うために独自ルールを設けることを推進したり、街をウォーキングするとポイントがもらえて飲食店で使えたりと、ユニークな試みも多い。

その1つが認知症と共に生きる対策で、ユマニチュードは100のうち「003」番目のアクションにあたる。

福岡100特設HPより 現在059/100のアクションが公開されている(ユマニチュードは003/100)
福岡100特設HPより 現在059/100のアクションが公開されている(ユマニチュードは003/100)
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介護が始まった時、ネガティブな情報しかなかった

今回お会いした片倉美佐子さん(64)がユマニチュードに出会ったのは、2016年12月のこと。

現在、98歳の母親と2人暮らしで、母親の異変に気がついた今から16年ほど前、母が80歳を過ぎた頃だという。買い物に行ったまま帰れなくなる、同じものを食べ続ける、父の浮気を疑い始める、物がなくなったと身近な人を疑う…しかし、そこから「認知症」と診断されるまでに5年を要した。本人も認知症の検査を受けることに抵抗があり、最後は孫の「僕も一緒に検査を受けるね」という一言が後押しになったのだという。

「認知症とわかったときは、むしろホッとしました」と語る片倉さん。異変が起きている原因がわかり、これからどうすればいいのか、ある程度方針を立てることができたからだ。ただ、その時困惑したのは、ネガティブな情報ばかりしかなかったこと。母親の要介護認定は1。しかし、「認知症はこれからますます大変になるからね」「先が見えないよ」など、かけられる言葉には重さがつきまとった。

福岡地区職業訓練協会の職員だった片倉さんは、定年後も働き続けることはできたが、定年を迎える手前の58歳で退職を決意。自身が職場に向かった後、母がデイケアの迎えを待てずに1人で出かけてしまって行方がわからなくなるなど、いつ何がどうなるかわからない状況に加え、自身も肩の手術で週3回リハビリが必要になる生活に、介護と仕事の狭間で「職場には迷惑をかけたくない」一念だったという。

片倉さんは、認知症が一体どんなものなのか知りたくて、市民講座や通信講座を受けた。医学的・身体的に母親に何が起きているかには詳しくなった。だが、認知症になっている目の前の母とどう接していいかが、わからなかった。同じ話が繰り返される。わかっていても、どうしても感情的になってしまう。

今起きている、自分には解決できないことへの対処の仕方が知りたい。

「触れる・見る・話す」を重視するユマニチュードとの出会い

そして出会ったのが、ユマニチュードだった。福岡の市政だよりにユマニチュードの研修があるのを知り、すぐに受講した。

2時間の講座を3回。最初に、ユマニチュードの考案者・イヴ・ジネスト氏の大きな手で、背中を触れられたときに、「衝撃が走った」という。【触れる】【見る】【話す】は、ユマニチュードの中の根本とな3つの柱のうちの1つ。手の温かさ、ぬくもりというと言葉は陳腐になるが、すでに記憶にはない赤ちゃんの頃に戻ったような安心感が溢れた。触れることは、「あなたは大切な人間だよ」と伝える鍵なのだと気づいたそうだ。

片倉美佐子さん(左)とイヴ・ジネスト氏(右)
片倉美佐子さん(左)とイヴ・ジネスト氏(右)

そこから、意識して母親に触れるようになった。日本の文化には、「触れ合う」ことが日常にはない上に、母親に触れたことは、もちろんなかった。それまでは、時々会話ができたり、感情が不穏になったりと波があったのが、触れることでお互いの距離が近くなり、これまで難しく感じていた着替えの介助、特に紙パンツの交換は、体に触れながら行うことでスムーズになったのだという。

しかし、「触れる」ことに比べ、「話す(話しかける)」ことはハードルが高かったと振り返る。ユマニチュードの指導者の本田美和子医師からは、受講後にアフターフォローとして、週に1枚 ✕12回、ユマニチュードの技術がわかりやすく書かれた葉書が届く。

本田美和子医師から届いたユマニチュード技術の解説葉書
本田美和子医師から届いたユマニチュード技術の解説葉書

その中の5回目に、「いつもより3倍会話を増やしましょう」というものがある。スムーズに意思疎通ができる状況ではないだけに、困難を感じた片倉さんは、「母親が好きなインコを飼う」という妙策を思いついた。1対1で向き合うよりも、別の第3者、ペットなどが増えるほうが会話は弾む。名付けた「レモン」の名が飛び交うようになった。「レモンちゃん、どうしてる?」「レモンちゃん、何かお話してるねぇ」

インコのレモンちゃんに話かける片倉さんの母親
インコのレモンちゃんに話かける片倉さんの母親

会話が増えると、意外な自分を発見した。認知症の相手が受けとれるように、会話の量も、抑揚も、通常より3倍オーバーにすることを心がける。オーバーに表現してみると、相手だけでなく自分自身も楽しい気持ちになるのだ。

レモンちゃんのお蔭で会話が増えた
レモンちゃんのお蔭で会話が増えた

紙おむつを替えて、「わぁ~、きもちいいね~」とカラフルな抑揚で、ユマニチュードの技法で相手が認知できるよう視界に入り、体に触れながら、かつて我が子にかけていたような言葉をかける。嬉しそうに反応してくれる母親。こちらの緊張が伝わってしまって恥ずかしがっていた紙パンツの介助も、スムーズになった。「気持ちの良い状態で過ごしてほしい」と願う片倉さんの心が、母親に伝えられるようになったのだ。

長い介護生活と向き合う心得は「自分の時間を持つ」こと

今は、1週間のうちデイケア(通所リハビリテーション)が1日、デイサービス(通所介護)が2日、ショートステイ(宿泊)が3回を組み合わせながら、自宅介護を“楽しんで”いるという。

その向き合いの秘訣は、「ひとりになる時間を持つ」ことだそうだ。

母親の好きなパズルを渡して楽しんでくれている30分間、外に出る。趣味でクラシックギターも習い始めた。ショートステイの時には、子供達にそろばんを教えて少し収入も得ている。「介護はもちろん、忙しくて大変…だから、自分を支える柱をたくさん持つことにしたのです。早くギターを弾きたいな、中国語で会話ができるように勉強したいなと思うと、目の前のお母さんにも余裕をもって優しく接することができる(笑)」と話す。

母の要介護認定は、1に始まり3にまでなっていた時期もあったが、今は2で落ち着いている。

「ありがとう~」とたくさん伝えてくれて、介護を受け入れることが上手な母。【触れる】【見る】【話す】のユマニチュードを最初は意識して繰り返し、次第に無意識に交わし合うことで、気持ちを伝えるのに恐れがなくなっていくのを実感するという。

片倉さんにとっては、「ユマニチュードを実践してみて、母と自分の関係が変化していくのを感じると、認知症になることが怖いのでも問題なのでもなく、それを取り巻く環境が整いさえすれば、自分が将来なり得ることがあっても、心配するに足りないものだと思えるようにまでなった」のだという。

コロナ禍で介護の状況も変化…私が感染したら、誰が母を看る?

上記の取材を敢行できたのは、3月に入ってすぐのこと。その後、片倉さんの住む福岡も4月7日緊急事態宣言が出され、介護の状況にどんな変化が起きているのか、気になって電話で話を伺った。

感染拡大のリスクを避けるために、デイサービスの休止・縮小を決める事業者が緊急事態宣言後に倍増し、「介護難民」なる高齢者が増える恐れがあるという新聞記事も目にするようになったからだ。すると、現場も混乱していることが浮かび上がってきた。

4月3日、片倉さんのもとにショートステイ(宿泊)の担当者から電話がかかってきた。第一報では、同じ施設でこれまでサービスを受けられていたショートステイ(宿泊)と、デイサービス(通所介護:これらは介護保険でまかなわれている)が、4月20日過ぎを目処にサービスを停止せざるを得ないというのだ。

というのも、一旦家に帰宅して他のケアなどを受けると、接触者を拡大させてしまうリスクがあるので、できればショートステイ(宿泊)で20日まで施設に滞在し続けるよう勧められ、ひとまずは安堵したという。

感染拡大防止のためサービスを休止・縮小する介護施設も(画像はイメージ)
感染拡大防止のためサービスを休止・縮小する介護施設も(画像はイメージ)

だが、いずれにしても、これまでお世話になっていた施設の利用は20日過ぎで中止。再開の目処もわからない。慌てて、医療保険でまかなわれている病院での医療デイケア(通所リハビリテーション)に掛け合った。迅速な片倉さんの判断と行動が功を奏して、週に4回は預かってもらえることになったが、これも5月9日までの措置。その先はどうなるのか、わからないまま。

しかも、医療デイケアには入浴サービスはない。自宅の風呂場は寒く、バスタブも深い。以前、脱衣室で母の気分が悪くなり慌てて部屋に戻った経験から、片倉さんにとっては入浴介助が怖くて、ショートステイやデイサービスでの入浴をお願いしてきた。

「私の体力ではとてもじゃないけれど、不安です…」とおっしゃる片倉さん。当面、足浴でしのぎ、身体を拭き、頭髪はドライシャンプーをしようかと考えているという。訪問介護サービスにも連絡をしてみたものの、今は人手不足で、これまでサービスを受けていた人たちを維持するのでいっぱい、新規のサービスはとても受けれいられないということだったそうだ。

「今、同じように介護をされている方からは、どんな声が聞かれますか」と聞いてみたが、「外出自粛をしていて、もちろん人とも会っていない。話もしていないから、他の施設がどうなっているのか、他の方がどんなことに困っているかもわからない状況です」に続き、「でも、たぶん同じ状況になっている方はいるはずで、地域ごとに、どうやったら入浴サービスが受けられるのかなど、情報があればありがたい。そういうことを、テレビの字幕で1行流れるだけでもありがたい。自分で調べるのには限界もある」と切実な声が聞かれた。

外出自粛で、そろばん塾の仕事も休みが続く。収入が絶えるのも不安。だが、それ以上に「私がもし、新型コロナウィルスに感染したら…どうしよう…98歳の母を在宅で、誰が看ることができるのだろう?」という不安に苛まれているという。

散歩できる時は散歩し、大きな声で歌い、テレビの話になるたけ大きな声で笑う…そうやって自分を鼓舞する毎日を送っている。

その後、状況は転じ、いざ20日を迎える頃には、事業者はショートステイのサービス継続を決定し、片倉さんの母親もこのまま施設にいられることになった。

「この状況の中、とても恵まれていてありがたいけれど、もっと困っている方がいるはずだろうから申し訳ない気持ち」と語る片倉さん。母親の様子も、自分からの発話はないけれど、声かけにはニコニコと答え、足腰も以前と変わらず歩けているそうだ。

片倉美佐子さん(右)と母親(左)
片倉美佐子さん(右)と母親(左)

在宅と施設の両輪で行ってきた介護のスタイルも、コロナショックで変化せざるを得なくなった。「母の安全を第一に考えて」ショートステイ継続を選択したが、体力を落とさず、感染しないよう自宅で有意義な時間を過ごしながら、母と晴れて再会できる日を心待ちにしているという。

【執筆:フジテレビ アナウンサー 佐々木恭子】

佐々木恭子
佐々木恭子

言葉に愛と、責任を。私が言葉を生業にしたいと志したのは、阪神淡路大震災で実家が全壊するという経験から。「がんばれ神戸!」と繰り返されるニュースからは、言葉は時に希望を、時に虚しさを抱かせるものだと知りました。ニュースは人と共にある。だからこそ、いつも自分の言葉に愛と責任をもって伝えたいと思っています。
1972年兵庫県生まれ。96年東京大学教養学部卒業後、フジテレビ入社。アナウンサーとして、『とくダネ!』『報道PRIMEサンデー』を担当し、現在は『Live News It!(月~水:情報キャスター』『ワイドナショー』など。2005年~2008年、FNSチャリティキャンペーンではスマトラ津波被害、世界の貧困国における子どもたちのHIV/AIDS事情を取材。趣味はランニング。フルマラソンにチャレンジするのが目標。