ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって3カ月が経った。ロシア側によるウクライナ市民への非人道的な扱いが指摘されてきたが、南東部マリウポリに住んでいた男性に話を聞くと、ロシア側による市民の“選別”、そして“強制連行”といった実態が見えてきた。

目の前で空爆…避難を決意
現在、フィンランドで避難生活を送るアルトゥールさん(57)は、マリウポリでタクシー運転手として働いていた。ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まった2月24日、彼の家の近くにも砲弾が降ってきたという。侵攻が始まってすぐは、マリウポリから脱出しようとする人がタクシーに殺到したそうだ。
アルトゥールさん:
私は2014年(のクリミア侵攻の時)もここにいたので、今回も乗り越えて生きていくと乗客の女性に話したんです。すると、彼女は「今回はもっと深刻だ。急いでマリウポリからの脱出を検討して下さい」と言ってきました。でも、私は信じることが出来ませんでした。
すぐに状況は落ち着くだろうと楽観視していたアルトゥールさんだったが、その後、マリウポリの戦況はみるみるうちに変わっていった。
3月16日には、建物周辺にロシア語で「子どもたち」と書かれた劇場が空爆された。アルトゥールさんの目の前で起きた出来事だった。これ以上マリウポリに留まることは出来ないと考え、彼は避難を決意した。

どこを通っても必ず行き着く「選別収容所」
本当は比較的安全とされる西に逃げたかったが、出来なかった。そのため、アルトゥールさんは、ロシアとの国境により近い、いわゆる「ドネツク人民共和国」に住む親戚の家を目指した。そこは、ウクライナ国内でありながらも、親ロシア派の武装勢力が実効支配をしているところだ。
道を熟知しているアルトゥールさんは、比較的安全な経路を選びながら、ひたすら運転した。しかし――。
アルトゥールさん:
マリウポリを離れるには、どこを通っても、いずれかの「選別収容所」に行き着いてしまうんです。
ロシア側が学校などの施設を占拠し、「選別収容所(選別キャンプ)」を運営し、市民たちを「反ロシア派」と「親ロシア派」に“選別”する手続きを行っているというのだ。

“反ロシア”住民をあぶり出す恐怖の尋問
アルトゥールさんが行き着いた収容所では、多くの市民が列をなし、「“選別”を受けないと拘束する」と脅された。アルトゥールさんは、自分の番が回ってくるまで1週間ほど待った。
アルトゥールさん:
収容所は混んでいて、結局、バスで別の村に連れて行かれました。バスは、ドネツク人民共和国(親ロシア派武装勢力)のもので、3台ありました。
バスは高速道路脇の交番のような場所で止まり、ドネツク人民共和国(親ロシア派武装勢力)の軍人が乗り込んできた。
アルトゥールさん:
女性は主にパスポートチェックのみでした。でも、18歳から60歳の男性は全員、尋問と指紋採取のためにバスから連れ出されました
アルトゥールさんは指紋を採取され、写真を撮られた。囚人のように、正面と横顔の撮影だ。そして、尋問が始まった。
アルトゥールさん:
質問のほとんどが、私が地元の人間かどうかを確かめるためのものでした。この建物はどこにあるのか、といった質問です。もし私がマリウポリの住民ではなく、兵役でここに来ていたのだとしたら、そういった質問には答えられません。もし私が軍人だとしたら、ドキッとするようなものばかりでした。

ウクライナ兵かどうかの確認は、尋問以外の方法でも行われた。
アルトゥールさん:
服を脱がなければいけませんでした。タトゥーや傷跡を確認されるのです。下着も膝まで下ろさせられました。すごく屈辱的でしたが、他に選択肢はありませんでした。悪夢から逃れるためには必要だったんです。彼ら(親ロシア派武装勢力)は、ロシアのプロパガンダを信じているので、何を話しても無駄です。ただ黙っている方が良いのです。
――軍人だった場合、どうなるのですか?
アルトゥールさん:
軍人ではないけど、私の知り合いの若い警察官の話です。ロシア側は、マリウポリの警察官たちを集めてドネツク人民共和国に連れて行きました。彼はそこで、2~3週間留め置かれて、尋問を受けたそうです。親ロシア派武装勢力の警察組織で働くよう促され、彼はそれに同意しました。
――拒否した警察官は、どうなったのですか?
アルトゥールさん:
詳しくは分からないけど、きっと殺されたに違いありません。
選別収容所ではこのように、徹底的に“反ロシア”の住民のあぶり出しが行われるという。アルトゥールさんは無事に、親ロシア派武装勢力による“選別”をクリアした。「これで、自由になれる」。そう思ったが、甘かった。

選択の余地なし ロシアへの“強制連行”
“選別”が終わった頃にはすでに日が落ち、すっかり暗くなっていた。親戚の家に行きたかったが、バスで連れてこられていたため移動手段もない。結局、再びバスに再び乗るしか選択肢が無かった。
アルトゥールさん:
バスに乗ってから、ロシアに連れて行かれるということが分かりました。「もう夜だし、夜間外出禁止令も出ているから、ロシアに行った方が良い。そこには食べ物も暖かいテントもあるから」と言われたんです。まさかロシアに行くとは思ってもいませんでした。
こうやって、アルトゥールさんは、ロシアに“強制連行”された。本来であれば、18歳から60歳までのウクライナ人男性は出国を禁止されているが、それは関係無かったそうだ。
国境を越えると、今度は諜報機関のロシア連邦保安局(FSB)の“選別”が待ち受けていた。
アルトゥールさん:
ロシアのパスポートコントロールで、18歳から60歳の男性は事務所に連れて行かれました。そこでは、FSBの担当者6人がそれぞれのデスクに座っていて、ウクライナ人6人が同時に尋問をされました。
ここでもアルトゥールさんは服を脱がされ、軍人特有のあざなどがないか確認された。そして、スマートフォンも調べられたという。
アルトゥールさん:
もしデータを消していた場合、とんでもないことになると言われました。電池が切れていた人は、充電をさせられていました。写真や連絡先、そのほかのファイルをくまなくチェックされました。何か問題があった人の中には、13時間拘束されている人もいました。
アルトゥールさんは2度の “選別”の結果、ロシア側にとって“問題なし”と判断された。

“選別”済み住民は“ロシアの労働力”に
アルトゥールさんは、今度は難民キャンプに通された。暖房の効いたテントには、菓子やコーヒーが用意されていたという。厳しい“選別”を乗り越えたウクライナ人は、歓迎されるということか。
アルトゥールさんはそこで一晩を過ごし、朝になるとバスが迎えに来たという。そして次に行き着いた場所は、ロシア南部の都市・タガンログの鉄道駅だった。そこでは、1500キロ以上離れたサンクトペテルブルクに向かう列車が待ち構えていた。

――乗車を拒否することは出来るのですか?
アルトゥールさん:
断ることも出来ます。その後は、全て自費になるけど、自由に移動することが出来るのです。
意外にも、ロシアへの“強制連行”の後は、移動の自由は確保されていた。ただ、中には、ロシアに残る選択をした人もいるという。
アルトゥールさん:
列車は無料でした。住む場所もお金も無い人たちは、他の場所に行く余裕が無いから、自然と乗車しますよね。ウクライナから来た人たちは、こうやって労働力が必要な地域に連れて行かれるのです。ある友人は、(ロシア内陸部の)トリヤッチでの3カ月間の無料の住宅を約束されました。私たちの文明を破壊し、家も仕事も、全て奪った見返りに、ロシアは一杯のスープを与えてくれるんです。でもその2週間後、彼女は「自費でアパートを探すように」と言われたそうです。仕事が無い中で、どうやってアパート代を払えばいいんでしょう。ロシアは、狂気に満ちています。ロシアに残った人たちは、泣くしかできません。
タガンログの鉄道駅でようやく選択権を与えられたアルトゥールさんは、乗車拒否を選んだという。ウクライナ国内に残る親戚が気がかりだったからだ。
ウクライナに再入国するも…
アルトゥールさんはロシアに住む知人を頼るなどして、自力でウクライナに再入国した。そして4月8日にマリウポリの自宅に戻ったが、家には、ドネツク人民共和国(親ロシア派武装勢力)の軍人が住み着いていた。
ウクライナ国内での居場所を失ったアルトゥールさんは、結局、親戚と共に国外に逃げることにした。
「選別収容所」を再び通ることになったが、今度はスムーズだったという。一度“選別”された住民は、どうやら記録が残されているようだ。
アルトゥールさん:
(ロシアの)パスポートコントロールでは、画面に緑の光が表示されました。国境警備隊は、私のことを「すでに“選別”済み」と言っていました。
アルトゥールさんは、今度は自分の意思でロシアに入国。そこからさらに列車で移動し、現在はフィンランドで避難生活を送っている。ただ、不安は消えないそうだ。

アルトゥールさん:
毎晩、夢の中に故郷が出てきます。家に帰りたいです。でも、いつ帰れるか、分かりません。今のところフィンランドは安全ですが、もし核兵器を使われたら安全な場所はどこにも無くなります。ロシア国民は、どんな手を使ってでも、プーチンを一刻も早く排除して欲しいです。
【執筆:FNNパリ支局 森元愛】