現代の官僚像をふりかえる

「政・官・財」という言葉は、以前にはよく使われていたが、最近は聞くことが少なくなったような気がする。政治家・官僚・財界人の略語だが、政治主導が強く意識され、官僚の上に政務三役(大臣・副大臣・政務官)が鎮座している現状では、各省庁から送り込まれた首相官邸スタッフだけは別にして、官僚の活躍の場が狭くなってきているのだろう。

安倍・菅政権の時には、「忖度」という流行語をはじめ検事総長人事など、首相官邸と官僚との関係がよく取りざたされたが、岸田内閣になってそういう話も聞かれなくなった。政治主導、官邸主導が完成形になったということかもしれない。もはや「官」は「政」「財」と同列ではなくなったということなのだろう。しかし、官僚の「冬の時代」は昨日今日に始まったことではない。以下を見てほしい。

幣原喜重郎 (外務省)
吉田茂   (外務省)
芦田均   (外務省)
岸信介   (商工省)
池田勇人  (大蔵省)
佐藤栄作  (運輸省)
福田赳夫  (大蔵省)
大平正芳  (大蔵省)
中曽根康弘 (内務省)

これは戦後、昭和の時代に首相になった官僚出身者の一覧(就任順)である。戦後の官僚パワーを見せつけるように、官僚出身者が大半を占めている。

戦後しばらくはGHQとの折衝が多かったため外務官僚が多く、その後は経済成長を目指したためか大蔵省を中心とする経済官庁の出身者が優勢になっている。もちろん、与党内での派閥力学などさまざまな要素が絡み合って首班指名がなされるのだが、その時代にマッチした元官庁キャリアが首相に就任していることに、なんとなく予定調和的なものを感じるのは気のせいか。

その後、平成に入って首相になった元官僚は、宮沢喜一氏(大蔵省)ただ一人だ。この宮沢氏が小沢一郎氏をはじめとする反官僚気風をもった党人派議員の造反によって、内閣不信任案が可決され、解散し総選挙で敗北して政治の表舞台から去ったのは、なんとなく象徴的である。そして、今のところ、宮沢氏が最後の官僚出身総理である。

宮沢喜一氏(1993年)
宮沢喜一氏(1993年)
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また、上記の一覧の中で中曽根氏だけはやや毛色が異なり、戦前に内務省に入省したもののすぐに海軍短期現役制度により海軍主計中尉に任官。戦後内務省に復帰したが席が温まる間もなく、衆議院選に立候補して代議士になっている。本人も官僚出身という意識は希薄だったろうし、実際、官僚臭さの全くない政治家だった。

だからだろうか、その中曽根氏が心血を注いだのが「行財政改革」である。ある年代以上の人ならば、「増税なき財政再建」というキャッチコピーや「メザシの土光さん」と呼ばれた、質実剛健の土光敏夫第二臨調会長を懐かしく思い出すだろう。大雑把に言って、臨調が目指したものは「小さな政府」である。これはもちろん官僚の力を弱める方向性を持っている。中央官庁の植民地というべき日本国有鉄道は民営化されJR各社に分割されたし、日本専売公社や電電公社も同じく民営化された。その後も、「新自由主義経済」に根差した「規制緩和」が流行語になった。規制緩和は裏返しに見れば、官僚の権限を削ぐということである。

土光敏夫氏と中曽根康弘氏(1982年)
土光敏夫氏と中曽根康弘氏(1982年)

さらに民主党政権では「事業仕分け」と銘打って、予算編成過程をビジュアル化した。中央官庁の幹部たちが国会議員にやり込められる姿がテレビに映し出された。「2位じゃダメなんですか」と、スパコンの性能世界一を目指すとした技術系官僚に強く返事をせまった女性議員が、意図に反して失笑を買ったが、全体としては、政治家に指導を受ける官僚の姿を世間に強く印象付ける効果はあった。

そして、官僚の没落が決定的になったのが、安倍首相によって2014年に設置された「内閣人事局」だった。これは中央官庁の審議官以上の人事を内閣府、つまりは首相官邸に一元、一任とするもので、官僚の人事権を政治が握れば怖いものないという発想がそこに垣間見える。人事は官僚にとって最大の関心事である。昇格によって権限も強まるし、官庁を去った後の再就職先も違ってくる。財務省の「忖度」もその結果現れた現象だ。

先日も安倍元首相が「日銀は政府の子会社」という発言をし、政府は火消しに躍起になっている。財務大臣が日銀の株式の55%を所有していることを根拠にしたのかもしれないが、もちろん日銀は政府の子会社ではないし、金融政策は日銀の「専管事項」で政府は介入できないことになっている。ただ黒田日銀総裁は安倍氏の強い意向で就任したという経緯がある。安倍氏の大叔父の佐藤栄作元首相は人事が巧みで「人事の佐藤」と呼ばれていたが、安倍氏は違った意味で「人事の安倍」といえそうだ。

このように、官僚の没落はかなり以前から始まり、官僚の優越性は終焉を迎えつつある。官僚養成機関として発足した東京大学法学部も、国家公務員総合職試験を受ける学生が少なくなってきているという。就職先として外資系金融やシンクタンクの人気が高いらしい。

儀式を無断欠席 古代の官僚は怠け者ばかり?

少し長くなったが、ざっと、現代の官僚像を見てきた。正直なところ、恵まれた職場環境とはとてもいえない。

それでは昔の官僚はどうだったのかと思って読んでみたのが『古代日本の官僚』(虎尾達哉 著・中央公論新社)である。サブタイトルに「天皇に仕えた怠惰な面々」とある。どうも古代の官僚たちは真面目に働いていなかったようである。

第一章では、律令国家の官僚とはどういう人たちかを説明している。律令国家とは言うまでもなく、古代中国で行われた律(刑法)、令(民法や行政法)の法による支配を前提とする国家の仕組みである。日本では隋・唐の律令を手本に、というかほぼ同じものを踏襲して律令国家をスタートさせた。

律令国家の官僚は二つのグループに分けられる。五位以上の上級役人たちと六位以下の下級役人たちである。この線引きは厳格で、六位以下の下級役人の本人やその子孫が五位以上の上級役人になることはない。さらに五位以上の上級役人は「蔭位の制」といって、その子弟は優位な位置からのスタートとなる。この位記、または位階制はいまの日本でも生きていて、叙勲の際に与えられる。大きな社葬などで、白菊に囲まれた勲章とともに「正五位」とか「従四位」と墨書きされた木札を見たことのある人もいると思う。

第二章では「儀式を無断欠席する官人」が描き出されている。現代と違って古代では儀式が重要視されたことは容易に想像できる。著者は平安宮での元日朝賀儀(天皇への賀正の儀式)に関する式部省から太政官に対する要望書を取り上げる。それによれば「六位以下は誰も集まらず、引率して整列させようにもできないありさま」と記されている。集まりの悪い六位以下の官人を待ちつづけて、日が暮れてしまったという。それだけならまだしも、朝の儀式には欠席しておきながら、夜の宴会のほうには出席して、ちゃっかり節録をせしめるという鉄面皮の官僚もいたのである。著者によればこの時ばかりではなく、これが常態化していたらしい。

要望書は五位以上だけでなく、六位以下にも罰則規定をもうけるべきだとしているが、効果はあったのだろうか。そもそも六位以下は五位以上になれないのであれば、出世に対する意欲もそれほど強くはなかっただろう。しかも罰を受けても、官位も職も失うことはなかったのである。

形式さえ整えば問題なし? 「代返」を制度化

時代をさかのぼって、奈良時代には「任官の儀」という、朝廷にとっても本人にとっても重要な儀式があった。これによって正式に新たな地位に就くのだが、これにも無断欠席者が続出する。業を煮やした朝廷はとんでもない案を編み出した。なんと「代返」を制度化したのである。儀式の進行役が欠席者に代わって返事し(代返)、出席していたことにするのである。悪友ではなく、儀式の主催者が代返するという信じられない光景。形式さえ整えば問題なし、という官庁の事なかれ主義はこの時代からあったのである。

職務の怠慢は六位以下だけではなかった。少納言といえば、かなりの地位である。現代でいえば中央官庁の局長クラスといったところだろうか。その職務の一つに重要文書に天皇の御璽(天皇印)をもらいに行くというものがあった。御璽が押印されて初めて朝廷文書は正式のものになる。

ところが、その少納言は紫宸殿という天皇の執務室に文書を持っていくことを怠け、執務時間を終えた天皇が私室に引き下がったところにやってきて、御璽押印を願うということを何度もやったらしい。信じられない厚かましさだが、天皇にとっても、私室でくつろいでいる時にいい迷惑である。

また、桓武天皇には次のような言葉が残されている。

「私のもとに進められる奏紙には、悪臭を放つものが多い。今後は臭わないきれいな紙だけを選んで奏紙とせよ。もし、これを改めないなら、奏上を行う少納言を処罰する」

よほど臭くて我慢できなくなったのだろう。それでも政務なので粛々と押印をしていたが、たまりかねた様子が手に取るようにわかる。天皇の目に触れ、口に入るものは最高級の品質のものが選ばれるはずだが、少納言はじめ、周りにいた官僚たちはその悪臭を嗅いで、これは天皇には出せないと思わなかったのだろうか。著者が指摘するように天皇に対する畏怖が希薄である。翻って現代の官僚は、このような怠惰は全く見当たらない。古代の官僚の天皇に対する態度と現代の官僚の安倍元首相に対する「忖度」との間には、大きな隔たりがある。

怠慢だが「憎めない」

この本によると、古代の官僚の勤務時間は、おおよそ朝6時から午前11時までだったようだ。照明器具のない時代なのでそんなものかも知れないが、現代の中央官庁の官僚から見れば夢のような勤務時間だろう。

たとえば、国会の答弁を取り上げてみれば、前日に野党からの質問書が届くと、その法案の主管官庁の官僚は意味内容を吟味し、大臣答弁の草案を作り、それが他の法律と齟齬をきたしていないか、連絡を取り合って答弁案を練り上げていく。そんなことが、国会開会中はほぼ毎日のようにある。

また、予算編成時には財務省の主計局スタッフは何日も家に帰ることはない、というか忙しくて帰れない。財務省の地下には簡易ベッドがあり、局員はそれを「ホテル大蔵」と呼んで自嘲していたようだ。中央官庁は、知る人ぞ知る“ブラック職場”なのである。

『古代日本の官僚』の著者である虎尾氏は、あとがきで次のように述べている。

「結局著者が本書を著すことにしたのは、古代日本の官僚に対して、意外にも好ましく思う気持ちが強く働いたからである。怠業・怠慢は、むろん褒められたことではない。だが、どこか憎めない。国家の緩い対応も含めて古拙で牧歌的なところもある」。

たしかに、何となく余裕のない世の中になっている。おおらかに暮らしたいのは誰もが思うことなのだろうけど。

【執筆:赤井三尋(作家)】

『古代日本の官僚 天皇に仕えた怠惰な面々』(虎尾達哉 著・中央公論新社)

赤井三尋
赤井三尋

本名・網昭弘 早稲田大学政治経済学部卒業後、ニッポン放送に入社。2003年『翳りゆく夏』で第49回江戸川乱歩賞受賞。2006年フジテレビジョン報道局へ転籍。
【著書】
『翳りゆく夏』( 講談社文庫)
『どこかの街の片隅で』( 単行本・講談社 改題して『花曇り』講談社文庫)
『2022年の影』(単行本・扶桑社 改題して『バベルの末裔』講談社文庫))
『月と詐欺師』( 単行本・講談社 講談社文庫【上・下】)
『ジャズと落語とワン公と 天才!トドロキ教授の事件簿』(単行本・講談社 改題して『面影はこの胸に』講談社文庫)
【テレビドラマ】
翳りゆく夏(2015年1月18日 ~(全5回) WOWOW「連続ドラマW」主演:渡部篤郎)