4月9日、広島市で開催された国内最高峰のラグビーリーグ「リーグワン」で、宗像サニックスブルース 対 中国電力レッドレグリオンズの一戦が行われた。

リーグ最終戦となったこの試合でダメ押しのトライを決めたのは、サニックスの山田大生(やまだ・ひろき)選手(25)だ。

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山田大生選手:
みんなでつないで、そのボールを自分がしっかり取り切れたので、すごくうれしく思う

入団7年目の山田選手にとって、チームはどんな存在なのか。

山田大生選手:
(チームは)家みたいなところですね。毎日、仲間と楽しいことをしたり、きついことをしたり。居心地の良いところ

福岡市出身の山田選手がラグビーを始めたのは、小学生の時だった。
高校時代にサニックスの選手に憧れを抱き、卒業と同時にチームに入団。以降、ラグビー選手として着実に力をつけてきた。

チームの活動休止が決定 理由は母体会社の経営悪化

山田大生選手:
体はまだ動けるという自分がいるので悔しいですけど…。ラグビーは辞めて、新しい人生を歩こうかなと思います

山田選手がラグビーを辞める決断をした理由は…

株式会社サニックス 曽我拓・経営企画部長(3月30日オンライン会見):
ラグビー部の活動を当シーズン、2022年の5月末を持ちまして、休止することと致しました

チームは、母体会社であるサニックスの経営環境の悪化を理由に、5月末をもって活動休止が決まった。

株式会社サニックス 曽我拓・経営企画部長:
当社が事業としてやっているエネルギー周りのところで、エネルギー価格の高騰だとか、非常に経営としては不安定な状況に陥ってしまって。ラグビーチームの運営をプロのカテゴリーでやっていくのは、もう諦めようという決断をした次第です

1994年誕生 有名選手も多く在籍

宗像サニックスブルースは、1994年、サニックスラグビー部として誕生した。創業者の故・宗政伸一氏のラグビーへの情熱が大きな力となった。以降、地域活動に貢献するとともに、2003年からは日本ラグビーのトップカテゴリーで戦ってきた。

現在、日本代表のヘッドコーチを務め、2019年のワールドカップで日本を初のベスト8に導いたジェイミー・ジョセフさんなど、海外の有力選手も数多く在籍していた。

ニュージーランド生まれの※元日本代表、カーン・ヘスケス選手は、2015年のワールドカップで強豪国・南アフリカとの一戦で逆転トライをあげ、大金星をあげた立役者だ。宗像の地でラグビーを続け、今シーズンで在籍12年になる。
(※ラグビーは3年以上その地域に住むなどの条件で、代表資格を得ることが可能)

カーン・ヘスケス選手(訳):
サニックスに来て12年間、来た当初は若くて何もわからない状況だった。正直言ってとても悲しい。僕は宗像でずっと育ってきた

愛すべきこのチームで、ラグビー選手としてグラウンドに立つのも残り僅かとなった。

「子どもにとって神のような存在」でも身近にいてくれた選手たち

4月3日のホームゲーム最終戦、相手は、清水建設江東ブルーシャークだ。試合会場の宗像グローバルアリーナには、多くのファンの姿があった。

サニックスファン:
(チームは)わたしの生活になくてはならないものです

サニックスファン:
子どもにとっては神のような存在の人たちなのに、地域イベントにも出てくれて。身近な宗像のヒーローみたいな位置づけ

湧き上がるブルースコール ホーム最終戦で大逆転劇

試合は前半から動く。相手に3トライを許し、15点差をつけられる苦しい展開で前半を折り返した。しかし、後半に入ると―。

元日本代表のヘスケス選手が2トライを挙げる大活躍。声援に後押しされたチームは大逆転劇を見せ、地元ファンの前で見事、勝利を収めた。

屋宜ベンジャミンレイ主将:
たくさんのサポーターの方々に応援していただきながら、きょうまで戦い続けることができました。僕たちは感謝の気持ちでいっぱいです

活動休止の会見の場に立ったサニックスの経営企画部長・曽我さんも、選手たちの勇姿を見届けた。

株式会社サニックス 曽我拓・経営企画部長:
記憶に残る試合になりましたね。みんなきょうの試合、忘れないと思うので…

言葉が続かない中、湧き上がるブルースコール。会場は大きな拍手に包まれた。

チームは、所属リーグ(ディビジョン3)6チーム中 2位でリーグ戦を終え、4月30日の順位決定戦で、もう一度ホームである宗像で試合をすることが決まった。

しかし、順位決定戦の後の入替戦への参加は、譲渡先が現段階で見つからず、昇格機会の辞退を申し入れる結果となった。

宗像サニックスブルース。ノーサイドが訪れるその瞬間まで、全力で戦い抜く。

(テレビ西日本)

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