ウクライナへの軍事侵攻から1カ月半。4月5日時点で、ウクライナ国民の10人に1人にあたる約420万人以上が、国外への避難を余儀なくされている。
福井県内にも3日深夜、ウクライナ人家族3人が避難してきた。県内で避難民を受け入れるのは初めて。再会の1日に密着した。
地下室に身を隠し…激戦地スムイからの脱出
3人を日本に避難させたのは、ウクライナ出身で福井市在住のイリーナ・クシニリエンコさん(37)。故郷はウクライナ北西部、ロシア国境から60キロのスムイ州だ。
この記事の画像(16枚)ロシアが軍事侵攻を発表してから数時間後、愛する故郷スムイにロシア軍が侵攻してきた。イリーナさんは「民間人は逃げる時間はなかった」と話す。
子どものころに歩いた通学路には戦車が往来し、大好きだった教会は砲撃で炎上した。子ども、女性、高齢者…。多数の死者が出続けている。
イリーナさん:
スムイ州での移動中の車内で、夫と妻さん、子ども3人。奥さんが赤ちゃんを抱っこしていて(銃弾が)頭に当たり、抱っこしたまま奥さんが死んでいる。私の妹…私の友達…。早く助けてほしいです、早く…。
軍事侵攻から5日後の3月1日、イリーナさんは涙ながらに故郷の惨状を訴えた。
妹のビクトリアさん(37)と甥(8)は、スムイの自宅地下室に身を隠した。地下室は氷点下10度を下回る日も。電気や食料が途絶える中、命をつないできた。
甥は電話で「イリーナ、福井に連れてってよ…。福井にロシア人はいないでしょ…」と訴えた。イリーナさんは、何も言えなかった。
町が廃墟と化す中、ビクトリアさんらはスムイからの脱出を決意する。ビクトリアさんの夫は、ロシア軍と戦うためスムイに残った。涙を流しながら再会を誓った。
3月上旬、銃弾飛び交う戦地を車で逃げ、命からがらウクライナ国外に避難することができた。イタリアで仕事をしていた母親(57)と合流し、イリーナさんがいる日本に避難することが決まった。
日本までの航空代金は、3人合わせて40万円。ウクライナの月収8カ月分に相当するという。4月1日午前、イタリアを出発した。
手続きに支援物資 受け入れ準備に県民協力
一方、スムイからの脱出を聞いたイリーナさんは、この1カ月間、福井市内に家族を避難させるための受け入れ準備に奔走した。
イリーナさんを支援しようと、多くの県民が協力した。難しい漢字が読めないイリーナさんのために、ママ友の女性は行政との話し合いに必ず立ち会った。3人分の布団を贈ってきた、名も知らぬ高齢夫婦もいた。県庁には、何か手伝うことはないかとの申し込みが多数寄せられている。
イリーナさん:
子どもの学校も、食べ物も、住むところも。福井市と県が用意してくれて、すごく安心した
50時間の移動、一睡もせず「ずっと怖かった」
3人が日本に到着する3日夕方。イリーナさんは出産を控えているため、長男の塁くん(14)が合流地点の関西国際空港に向かった。
イリーナさんの長男・塁くん:
まずは日本に来てくれて安心。会えるのが楽しみ
シャイな性格だが、このときばかりは笑顔がこぼれた。
4つの空港を経由し、移動時間は50時間。3日午後6時過ぎ、塁くんとビクトリアさんたちは再会を果たす。長い抱擁で喜びを分かち合った。
妹・ビクトリアさん:
ウクライナにいるときは、ずっと怖かった。多くの人々がロシア人に殺された。
息子と母親を無事日本に到着させるため、ビクトリアさんは3日間、一睡もしていなかった。関空を出発して5時間後の午後11時過ぎ、ついに3人はイリーナさんが待つ福井市に到着した。
1カ月半、無事を祈り続けたイリーナさんは、到着を待ちきれない様子。姿を見た瞬間、大粒の涙があふれた。
やせ細った妹を何度も抱きしめた。
「すごい痩せてる。たくさん食べさせないと」と、1カ月半ぶりに大笑い。
ビクトリアさんは、「すごく大変で疲れたけれど大丈夫。これからは日本での生活に慣れていきたい」と力強く前を見た。
県内での生活に向けては、ビザの申請や住民票の取得といった手続きがある。甥の学校への入学、ビクトリアさんの就職。日本の慣習や文化に慣れる必要もあり、課題は山積している。
家族3人を受け入れたイリーナさんに不安がないか尋ねると、笑顔でこう答えた。
イリーナさん:
(家族が)近くにいるのが一番の幸せ。戦争より不安や大変なことはない。その他の不安や苦労は本当に小さいもの。命が助かって良かった
(福井テレビ)