小学生のときに東日本大震災の津波で流され、一緒にいた母親を失った男性。母の死は、11年経った今も「心のしこり」として残り続けている。男性は周囲との関わりの中で一歩ずつ前へ進み、この春、社会へと巣立つ。

親を亡くしたことが、心のどこかで…

宮城・石巻市北上地区。東日本大震災の津波で甚大な被害を受け、現在も復興工事が続いている。

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引っ越しの準備をしているのは、大槻晃弘さん(23歳)。この春、石巻市内の大学を卒業し、岩手県内の自動車工場に就職する。

作業中、大槻さんがある写真を見せてくれた。

大槻晃弘さん:
俺なのかな、こいつ

生まれたばかりの大槻さんの写真。姉の綾香さんの横で、大槻さんを抱いているのが母親の京子さん。11年前、自宅で津波に流され、震災から1カ月半後に遺体で見つかった。

大槻晃弘さん:
普段は優しくて、よく料理とかお菓子作りをやっていて、怒らせると怖い人という印象が強い

震災後、自宅のあった場所は更地になった。あの日の地震の後、大槻さんは京子さんと一緒に台所で片付けをしていた。

「必要最低限のものを持って裏山に逃げよう」

そんな話をした瞬間、津波は台所の窓ガラスを突き破り2人をさらった。

大槻晃弘さん:
車のフロント部分に乗り上げて、そこからまた流されて

記者:
お母さんとはどこまで一緒?

大槻晃弘さん:
最初の台所のところまで。フロントガラスに乗り上げた時は、もういなかった

大槻さんは意識を失い、数キロ離れた先で救助されたが、京子さんは帰らぬ人に。明るかった性格は震災後、一変した。

大槻晃弘さん:
親を亡くしたことが、心のどこかで引っかかっていて、他人に震災以外でも、趣味の話も気軽に話せなかった

「すぐに逃げようと言えば助かったかもしれない」

大槻さんは震災後、あしなが育英会が主催する震災遺児の支援ケアプログラムに参加。当時、書いた作文が残っていた。

「僕は東日本大震災で母と流され、母は亡くなりました。感情を表現することができなくなっていました」

震災で負った傷は、11年経った今も「心のしこり」として残り続けている。

大槻晃弘さん:
「何も持たないですぐ裏山に逃げよう」と言えなかったので、母親は自分が殺してしまったという気持ちは完全には無いとは言い切れなくて、すぐに逃げようと言えば助かったかもしれない

今なお続く、後悔。それでもこの11年間、周囲との関わりの中で考え方も変化してきたという。

大槻晃弘さん:
震災があったからこそ、いろんなことが舞い込んでくるようになったと今は捉えられているので、ある意味 言い方は悪いですけど、震災のおかげでというのはありますね。あしなが育英会の集まりは自分から話もできたし、自分一人じゃないんだなと感じた

「自分は一人じゃない」

交流は今も続き、大槻さんの支えとなっている。引っ越し作業も一段落し、大槻さんは母、京子さんが眠るお墓を訪れた。

大槻晃弘さん:
大学を無事に卒業できたこと、仕事で石巻・北上を離れて岩手に行くから、少し会えなくなるけど行ってきますと伝えました。(母の返事は)体調に気を付けてがんばれってところじゃないですかね

心の傷は、今も残っている。それでも大槻さんは自分のペースで一歩ずつ未来へ歩んでいく。

(仙台放送)

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