天皇陛下は2月23日、62歳の誕生日を迎えられました。誕生日に当たり、事前に皇居・石橋の間で行われた記者会見で、陛下は記者会からの質問一つ一つに丁寧に答えられました。

陛下が記者会見するのは、誕生日の際と外国訪問される際、行われるのが慣例となっていて、新型コロナウイルス感染症の拡大が収まらない中、外国訪問の予定は見えず、お誕生日の記者会見は、記者にとっては唯一、直接陛下からお考えを機会で、また、陛下にとっても記者を通して国民にお話しをする大切な機会となっています。

今回の記者会見を見てみると、天皇陛下は、ご家族のことと合わせて、多岐にわたる社会の問題についてお話しをされています。そのお答は、「願う」と言う言葉を使われながら、私たちが将来にわたり抱える社会問題について考える指針となるようなものでした。

誕生日にあたり会見に臨まれた天皇陛下
誕生日にあたり会見に臨まれた天皇陛下
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エッセンシャルワーカーや医療従事者への感謝

まず、新型コロナウイルス感染症が未だに収束せず、困難に直面していることに対して、お年寄りや障害者など弱い立場に置かれている人たちを支えるエッセンシャルワーカーや医療従事者へ感謝の意を示されています。そして、「長く困難な状況が続いておりますが、今しばらく、誰もがお互いを思いやりながら、痛みを分かち合い、支え合う努力を続けることにより、この厳しい現状を忍耐強く乗り越えていくことができるものと固く信じております」と述べられています。

2021年も、同じようなお言葉を述べられていますが、今年は、人と人とのつながりがりの大切さについて語られています。

「新型コロナウイルス感染症の影響により、現在は様々な形の交流が難しく、直に会って人と人との絆を深めたり、つながりを広げたりすることが容易ではない状況が続いておりますが、そのような中にあっても、皆がお互いのつながりを大切にしながら、心に希望の火を絶やさずに灯し続け、更には、国や地域の境界を越えて人々や社会がつながり、お互いを認め合い、支え合える年になってほしいと願っています」

インターネットを使いながら、各地の人と交流する機会を持たれた両陛下。現地に行き、その場所でなければなしえないことはあるとしながらも、複数の人と会えたり行きにくい場所の人とも交流を持つことが出来るなどの利点があるとして、新型コロナウイルス感染症が収束した後も、オンラインが適している場合は、活用していく可能性を示されました。

「お互いを認め合う平和な世界」

東京オリンピック・パラリンピック、北京冬季オリンピックについては、女子バスケットボールの表彰式の後、日米仏3か国の選手が記念写真に収まった事に触れ、「国と国との間では、様々な緊張関係が今も存在しますが、人と人との交流が、国や地域の境界を越えて、お互いを認め合う、平和な世界につながってほしいと願っております」と述べられています。

国と国との緊張関係がある中で、お互いを認めることが出来れば世界の平和は保たれるというおお言葉には、今の国際情勢を想像させてしまいます。

余談ですが、会見では、50年前の札幌冬季オリンピックで70m級のスキージャンプで金メダルを取った笠谷幸生選手にも触れています。この時、金メダルをとった笠谷選手をライバルだったノルウェーのモルク選手が肩車し選手同士の心温まる交流について話されたのです。

当時、陛下は小学6年生。同級の私は、笠谷選手のジャンプ、モルク選手の飛躍が大きくなく安堵した思い、アイススケートのジャネット・リン選手くらいしか記憶が中、陛下はモルク選手の肩車の姿を心に刻まれていることに深く感銘を受けました。こうしたお考えは、皇室の国際交流にも繋がっています。

天皇陛下は、ご即位後は新型コロナ感染症の影響で実現していませんが、皇太子時代や浩宮さまの時代から色々な国を訪問されてきました。陛下は、各国を訪問する中で、人と人との交流を大切にし、その国々の文化などへの理解を深めてこられたのです。

相互理解により、友好関係は増進し、ひいては、世界の平和に繋がっていくのです。

「気候変動問題」へのご懸念

陛下は、「現在人類が直面する最大の課題の一つ」として「気候変動問題」をあげられています。この問題には、秋篠宮さまが2021年の誕生日に際しての会見で述べられたほか、皇后・雅子さまも誕生日のご感想で記されています。

御所 小広間にて皇后雅子さまと(2月10日)
御所 小広間にて皇后雅子さまと(2月10日)

陛下は、平成初期に問題となったフロンガスについて触れ、回収技術などの技術革新と消費者の理解と協力などにより、フロンガスの影響とみられる「オゾン層の破壊」から脱し、2030年代には1980年の水準まで回復するとの見通しに言及されました。

その上で、気候変動問題について「これまでに蓄積してきた知見も十分にいかしながら、各国・地域の関係者や一般の人々が協力して対策を進めるべく努力を続けることで、気候変動問題が改善していくことを心から願っています」と、私たち一人一人が研鑽し協力していくことの大切さを示されたのです。

災害ボランティアの精神への「敬意」

2021年、発生から10年となった東日本大震災。陛下は、これまでも、被災地の人たちに寄り添ってこられました。

現状について、陛下は「人々の生活や産業を支える社会基盤の整備等は進んだものの、精神的なサポートを必要とする人が近年になってむしろ増えていると伺うなど、本当の意味での復興はまだ道半ばにあるものと思います」と、被災者の心が落ち着くまで、本当の復興とはならないことを示されています。

また、災害ボランティアの精神について「敬意」も示され、あるボランティアに命を賭けた日本人に触れられています。

宮﨑淳さん。

東日本大震災の起きた2011年、トルコで発生した震災への支援のため現地に赴いた方です。トルコでボランティア活動中、余震により宿泊先のホテルが崩壊し亡くなられました。41歳でした。

亡くなった2011年、トルコの当時のギュル大統領は、上皇さまに「いつまでも忘れない」という親書を送ったと言うことです。地震から10年経った去年、宮崎さんが活動していた街に、功績を語り継ぐ「ミヤザキ森林公園」が完成し、記念式典が行われたことが報道されています。

陛下は、会見で、宮崎さんの活動に触れながら「災害により困難な状況に陥った人々を助けようと尽力する災害ボランティアの精神は誠に尊いものです。日本の多くの人々が国内外で災害ボランティア活動に従事してくれていることに敬意を表したいと思います」と宮崎さんを始めとするボランティアの活動を称えられています。

そして、「私たち一人一人が防災や減災の意識を高め、災害に対して自らの備えをするとともに、どこかで災害が起きたときには、一人一人が、自らのできる範囲で被災した人々に寄り添い、その助けとなるべく行動できるような社会であってほしいと願います」と、支え合う社会を願うのと合わせ、宮崎さんのように現地で「英雄」と称えられるボランティアがいたことを忘れない思いも伝えられたのです。

「一人一人が被災した人々に寄り添える社会であって欲しい」と話された天皇陛下
「一人一人が被災した人々に寄り添える社会であって欲しい」と話された天皇陛下

情報発信のあり方にも言及

週刊誌やインターネットへの書き込みの在り方について、このように述べられています。「人々が自分の意見や考えを自由に表現できる権利は、憲法が保障する基本的人権として,誰もが尊重すべきものですし、人々が自由で多様な意見を述べる社会をつくっていくことは大切なことと思います」

さらに一般論としながら、「他者に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております」とされています。

小室眞子さんの結婚をめぐる報道では、誤った情報を元に報道が行われたり、誹謗中傷とも捉えられる意見も寄せられたといいます。そのことで、どれだけの人が傷ついたのか・・・皇室のみなさんの事だけでなく、世間の人たちの中にも、同じような思いをした人たちがいるのではないかと案じられたのではないでしょうか。

ニューヨークに出発する眞子さんと小室圭さん(2021年11月 羽田空港)
ニューヨークに出発する眞子さんと小室圭さん(2021年11月 羽田空港)

沖縄への特別な思い

今年、本土復帰50年となる沖縄。

皇室の方々は沖縄という場所へは特別の思いをお持ちです。上皇ご夫妻が思いを寄せ続けられてきた沖縄への思いを陛下は次のように述べられています。

「沖縄の人々は本当に多くの苦難を乗り越えてきたものと思いますし、このことを決して忘れてはならないと思います。本土復帰から50年の節目となる今年、私自身も、今まで沖縄がたどってきた道のりを今一度見つめ直し、沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと思います。そして、これからも、多くの人が沖縄の歴史や文化を学び、沖縄への理解を深めていくことを願っています」

上皇ご夫妻がとご一緒に、沖縄の「豆記者」たちと交流されてきた陛下。初めて沖縄を訪問されたのは、浩宮さま時代の1987年の夏季国体で、これまで5回。

ご訪問のたびに、国立戦没者墓苑を訪れ供花し拝礼されてきました。ご両親からもお話を聞き、その思いを受け継がれているのです。

そして、2022年は国民文化祭・全国障害者芸術・文化祭が沖縄で開催される予定です。皇太子時代から毎年、この開会式に出席されてきた天皇陛下。本土復帰50年という節目の年だけに、思いのこもったご訪問になるかもしれません。

このように、記者会見の内容を見ていきますと、陛下の「願い」が散りばめられています。陛下は「願い」を伝へながら、今私たちが直面する幾多の問題を考える道しるべを示されたのではないでしょうか。。

そして、こうした道しるべを国民と共有することで、共感を呼び、国民との相互理解と信頼関係を築こうとされているのです。

「皇室のあり方」について

最後に、会見の中で陛下がる「皇室の在り方」「天皇とは」、について述べられている部分を抽出したいと思います。

「皇室の在り方や活動の基本は、国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にすることだと思います。そして、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると思います。皇室を構成する一人一人が、このような役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております」

「上皇陛下が以前に述べておられた、天皇は、伝統的に、国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた、というお言葉です」

「私は、過去に天皇の書き残された宸翰などから得られる教えを、天皇としての責務を果たしていく上での道標の一つとして大切にしたいと考えています。そして、その思いと共に皇位を受け継いでこられた、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、研鑽を積みつつ、国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての務めを果たすべく、なお一層努めてまいりたいと思っています」

「笑顔で穏やかな日々」をお過ごしの上皇ご夫妻
「笑顔で穏やかな日々」をお過ごしの上皇ご夫妻

こうした思いを持ちながら、天皇陛下は、「日本国の象徴」「日本統合の象徴」として私たちに真っ正面から向き合い、お務めを果たされているのです。

【執筆:フジテレビ 解説委員 橋本寿史】

橋本寿史
橋本寿史

フジテレビ報道局解説委員。
1983年にフジテレビに入社。最初に担当した番組は「3時のあなた」。
1999年に宮内庁担当となり、上皇ご夫妻(当時の天皇皇后両陛下)のオランダご訪問、
香淳皇后崩御、敬宮愛子さまご誕生などを取材。