ロシアの軍事侵攻の脅威に晒されるウクライナ。多くの市民が国外へと脱出するなか、今も首都キエフに残り、この理不尽な侵略の現実を世界に伝えようと記事を書き続ける一人の日本人女性記者がいる。緊迫するキエフの「今」とウクライナへの想いを聞いた。

夜間の空襲警報 身を隠す住人たち

ロシアの軍事侵攻が始まって3日目の2022年2月26日、首都・キエフ。現地の英字新聞で記者として働く寺島朝海さん(21)は、ロシア軍がすぐ近くまで迫っているのを感じていた。

キエフ在住の日本人記者​ 寺島朝海さん(21)
キエフ在住の日本人記者​ 寺島朝海さん(21)
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キエフ在住の日本人記者​ 寺島朝海さん:
実際に音が聞こえるので、本当に何か起きてるんだなって。空の上で何かが飛んでいる音、飛行機が飛んでいる音が聞こえたり、ミサイルが落ちたら本当に音が結構聞こえる。空襲の音が聞こえたり、何かが爆発した音が聞こえたり、近くではないのは分かるけど、どこかであったというのはすぐ聞こえて、その度にテレグラム(※通信アプリ)のニュースを見たらどこであったのかってすぐ分かって……。

夜になると空襲警報が鳴り響き、その度に他の住人と身を潜めるという。

キエフ在住の日本人記者​ 寺島朝海さん:
(空襲警報が)1時間前にも鳴りました。鳴ったらみんなでアパートの狭い廊下に行って隠れます。アパートの中に廊下があるんです。アパートの中の廊下の厚い壁があるから大丈夫かなっていう……。もちろん電気は消しますし、もうお水は汲んであります。何があるか分からないから。食料はあと3日分あります。

ウクライナ軍が撃墜したとみられるロシア軍航空機(キエフ・25日)
ウクライナ軍が撃墜したとみられるロシア軍航空機(キエフ・25日)

慣れ親しんだ道にも戦争の跡が…軍事侵攻が現実に

24日朝、軍事侵攻は始まった。
寺島朝海さん(21)は、地元英字紙の記者として、緊迫するウクライナ情勢を日々取材し、記事を発信している。前日の23日は、その日の取材を終え夜中に帰宅し、疲れ果ててベッドに倒れ込んだ。そして翌朝目が覚めると、世の中は一変していた。

住宅街の上空を飛ぶロシア軍のものとされるヘリコプター(キエフ州・24日) 
住宅街の上空を飛ぶロシア軍のものとされるヘリコプター(キエフ州・24日) 

寺島さん:
朝起きてロシアが攻撃しているというのを携帯のニュースで見て本当に驚きました。
一人でしたから、その時はすごく心配でしたし、何が起こっているの?って感じでしたけど、ニュースを見て落ち着いて、仕事をしながらパッキングして、いつでも出られる態勢にしました。

寺島さんは地下鉄の駅に避難する際、エスカレーターが動かないことも考え、スーツケースではなく大きな手提げバッグを選んだ。バッグには服とパソコン、充電器や現金など、持ち運べる範囲のものを詰め込んだ。しばらくは様子をみようと思ったが、午後3時になり、早くシェルターに行かなければならないと考え、同僚と連絡を取り、シェルターとなっている地下鉄駅で落ち合った。

寺島さん:
私がいた駅はキエフの中でも深い駅だったので、避難している人は50~60人いました。携帯でニュースを読んでいたり、食事している方もいたけど、みんな静かに床に座っていました。たまに話したりして。

駅には2時間ほど滞在したが、キエフ中心部にある同僚のアパートに行くことにした。

寺島さん:
誰かと一緒にいた方が心強いなと思って、同僚と一緒にいたらコミュニケーションも良くなるし、取材をするときも一緒に行った方が良いし、その方が安全だなということでみんなで一緒にいます。

キエフの職場に勤務していた同僚15人のうち、多くが国外や地方に避難したため、市内に残っているのはわずか5人。そのうち寺島さんを含む3人が、一つのアパートに身を寄せ合っている。キエフにロシア軍が迫っているのを寺島さんも実感していた。

寺島さん:
私が一番ショックなのは、私は昔テニスをしていたんですけど、テニスコートに行く道でロシア軍とウクライナ軍が直接戦いになって、その道が戦争の跡地のようになっている写真を見て、本当に(戦争が)起きてるんだなと分かって、これからどうなるのかと心配になりました。それを見ると心が痛むし、ウクライナ人の亡くなった方、子供も亡くなったりして、そういうことを考えると本当に心が痛いです。

攻撃を受けた建物(キエフ・25日)
攻撃を受けた建物(キエフ・25日)

身に迫る危険。恐怖心に勝るものは何なのか……。

寺島さん:
恐怖というよりは、本当は今できることを私はしないといけない。
これからどうなるか誰も分からない、だから今できることをするということしか考えていません。恐怖を抱いちゃうとパニック状態になって、ジャーナリスト、記者として何が正しいのか正しくないのかという判断ができなくなってしまうから、冷静にいることを一番大切にしています。世界に、今ウクライナで何が起きているか、ロシアが何をしているかということを伝えています。

キエフ市内で配置につくウクライナ国家親衛隊(25日)
キエフ市内で配置につくウクライナ国家親衛隊(25日)

市民生活に見られる“非日常”

軍事侵攻が続くさなかの26日午後3時、寺島さんはキエフ市内を散歩した。

寺島さん:
ロシア軍が戦争を始めていなかったら、キエフの方がみんな散歩して友だちと遊んだりするくらいすごく良い天気で、外に出たいという気持ちが強くって散歩しました。

暖かな陽気に包まれた土曜日の午後、市民の姿で賑わうはずの街の様子は普段と違っていた。

寺島さん:
スーパーを探して何件か回ったけど閉まっていて、開いていてもパンがないと聞きました。やっと見つけたコンビニがすごい列になっていたので、結局何も買わずに帰りました。

営業しているのは、薬局やコンビニと一部のスーパーだけ。この日から夜間外出禁止例が出されたこともあり、人通りは普段に比べて少なかった。このわずか数日間で、キエフ市民の日常はすっかり様変わりしていた。

攻撃を受けた建物(キエフ・26日)
攻撃を受けた建物(キエフ・26日)

キエフに残り伝えたいウクライナ人の勇敢さ

寺島さんは、地元の記者だからこそ伝えられることがあるという。

寺島さん:
やっぱり西側のメディアを見たりしたら、日本のメディアでも何かが抜けているなといつも思うので、地元のジャーナリスト、地元の記者にしか分からないこととか書けないこととかあると思うんです。現地の言葉を話したりしないといけないとか。それをしながら日本や世界の方に、今ウクライナで何が起きているかをお伝えしたいです。

10歳からキエフに暮らし、13歳の2014年にはロシアによるクリミアの併合を目の当たりにした寺島さんは、ウクライナ人の立ち向かう姿に心を動かされ、ウクライナ人のその勇敢さこそを世界に伝えたいと語る。

寺島さん:
ウクライナには今またロシア軍が来て、キエフの近くにも中にも来ています。でもウクライナ人の勇敢さというのをみんなに知ってほしいです。ウクライナ人は2014年から、ずっとスナイパーを怖がらずに自分の国を守るため、自分の国の将来を守るため、自分の子供たちの将来を守るために立ち向かい、命を犠牲にした人もいました。

「地元記者」の強みを生かしてウクライナの現状を世界に発信する寺島さん
「地元記者」の強みを生かしてウクライナの現状を世界に発信する寺島さん

それでも一番に望むのは、やはりウクライナの平和だ。

寺島さん:
ロシアに早く戦争をやめてほしいですし、西側にももっとロシアの経済にダメージを与える制裁をやってほしいです。早くウクライナが平和な日々に戻るよう願っています。もちろん2014年から戦争があったのでずっと大変でしたけど、でもいまもっと大変な状況に追われて多くの人が家を出なければいけなくなって、本当に心が痛みます。でも平和は訪れると知っているので、平和な日々を待っています。

【執筆:FNNパリ支局長 山岸直人】

山岸直人
山岸直人

未来を明るいものに!感動、怒り、喜びや悲しみを少しでも多くの人にお伝えすることで世の中を良くしたい、そんなきっかけ作りに役立てればと考えています。新たな発見を求め、体は重くともフットワークは軽快に・・・現場の臨場感を大切にしていきます!
FNNパリ支局長。1994年フジテレビ入社。社会部記者、ベルリン特派員、プライムニュースイブニング、Live News αを経て現職に。ドイツのパンをこよなく愛するが、最近はフランスパン贔屓。