普通なら嫌われるはずの病院に堂々と入っていく僧侶。生と死をみつめるセミナー代表・金子真介さんは、医者や看護婦の前でも講演を行っている。

フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が、今年で第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第4回(1995年)に大賞を受賞したテレビ長崎の「道ゆきて~ある僧侶の一年~」を掲載する。

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金子さんは、自身ががんを患ったことをきっかけにセミナーを開くようになり、その活動は宗教を超えてカトリックの修道院などでも行われ、シスターを目指す生徒たちにも講演を行っている。

前編では、金子さんの活動の中心となっている“死の準備教育”を通じ、今をどう生きるかを問い続ける姿を迫った。

(※記事内の情報・数字は放送当時のまま掲載しています)

【後編】母の介護は「命の共有」 宗派を超えて宗教という“道”を歩き、聖歌が流れる中で母を送った僧侶

修行僧の姿に心動かされ…23歳で僧侶の道へ

生と死について問い続ける金子真介さん

長崎・大村市にある「禅心寺」の僧侶・金子真介さん。
金子さんは、葬式や法事だけの寺のあり方に疑問を感じ、1989年、高校時代の同級生・佐藤賢道さんと自分たちの寺を建立し、生と死を見つめるセミナーを発足させた。

足が不自由な母・美恵子さんと介護をする金子さん

禅心寺では、2人のほかに85歳(当時)になる金子さんの母・美恵子さんも一緒に暮らしている。足を骨折し、歩くのが不自由になった美恵子さんは、どこへ行くのも金子さんの手が頼りだ。

金子さんたちが寺で月に1回開催するセミナーでは、若い人からお年寄りまで毎回多くの人が詰め掛け、誰でも参加することができるという。

「死を自覚した上でどう生きるか」と語る金子さん

集まった人を前に金子さんが語った。

「私どもは、医師の診断を仰ぐまでもなく、何をするまでもなく、生まれたときに死刑という判決を受けてきております。しかもそれは、明日のことなのか、10年先のことなのかわかりません。我々が、今の健康な状態のままで自分の死というものを自覚してみる。自覚をした上で、それならばどう生きればいいかということです。その教えが宗教である」

中学生時代の金子さん

金子さんは1946年、佐賀・玄海町の寺に6人兄弟の末っ子として生まれた。中学を卒業後、山口県の高校に進学した金子さんは、現在のパートナー・佐藤さんと出会った。

この頃金子さんは、家業である寺の仕事を嫌っていたという。子供の頃、「お前の家は、人が死んで儲かっている」と友達から言われ、僧侶にだけはなりたくないと思っていた。

その後大学を出て旅行代理店に就職したが、添乗員として福井県の永平寺を訪れたことが、金子さんの大きな転機となった。

永平寺で修行に励む僧侶たち

永平寺で見た修行僧たちの、素朴で真剣な姿に心を動かされた金子さんは、23歳で永平寺の門をたたき、ここで2年間、300人の修行僧に交じって座禅に明け暮れる日々を送った。

「永平寺の門前まで来て、頭をそって。だから、永平寺の門前から坊さんが始まった。私にとって永平寺の一番存在価値というのは、祈りの道場」

がんを患い…あごの一部を切除

大山のふもとにある小さな山あいの町、鳥取・日南町生山の徳雲寺の住職でもある金子さんは、今でも葬式や法事があるたびに寺に帰っている。

金子さんが徳雲寺の住職だけでなく、長崎でセミナーを開くようになったのは、17年前の病気がきっかけだった。

1995年、インドを訪れた金子さんは、口の中に少し異常を感じたため、帰国後に大学病院で検査を受けた。その結果、医師から「上顎に腫瘍がありましたが、悪性の腫瘍でした」と告げられた。

「もしかして、がんなのか?」と尋ねる金子さんに、医師は「そうも言いますね」と応えたという。

すぐに手術を受けた金子さんは、当時を振り返った。

金子さんは左側のあごの一部を切除したという

「私の口の中は、左側の歯がありません。歯茎もありませんし、上あごが3分の1ほど切り取ってあります。左側は、皮と肉だけでつながっていて、食べ物を口に入れると、今まであったはずの左側の歯の方へばかり行こうとする」

「私の主治医であった先生が、一緒に言葉を取り返して、一緒に食べるお稽古をしましょうと言った。3年ばかりかかりました。それで、“あいうえお”の発声、舌の使い方、そういうものをずっと稽古して、今に至りました。私は右側だけでしゃべりますし、右側だけでご飯を食べますし、左側は、ただ形があるというだけのことでございます」

未来のシスター・看護婦に伝える“死の準備教育”

ある日、金子さんは、長崎市にあるカトリックの修道院「お告げのマリア修道会」を訪れた。活動は、宗教を超えて広がっているのだ。

お告げのマリア修道会は、長崎県内で保育園や病院、老人ホームなどを開いており、400人のシスターが、子どもの教育や社会福祉の授業に携わっている。

金子さんの話を真剣な表情で聞く生徒たち

金子さんは、シスターを目指す中学生や高校生などを前に講演した。

「今、私は死の準備教育ということを第一の仕事といたしております。それは、『今をどう生きていくか』ということの再確認であります。この人に何をしてあげればいいだろう、こうしてあげたらいいだろう、そう思いながらも、自分の能力に限界があるということ、それに突き当たります。その時、私どもに残されているものが、祈りというものであります」

「日常を母と息子と二人で暮らしておりますが、彼女は私のことがわかりません。息子とも分からない人に、生まれて良かった、生きてきて良かったと、どうやったら味わってもらえるか。どこに連れていってみても、もう喜びません」

さらに金子さんは続ける。

「それよりも、赤い布で作った、まりがあるんです。特殊なまりで、どこを持ってもつかむことのできる布で縫ったまりです。それを投げたり、捕ったりすると楽しいんです。86歳の母と48歳の私と、そして同じく48の佐藤住職と、まりをポーンと投げて、そして彼女がポーンと返してよこして。3人になると、彼女も目がキラキラしてきます」

仏教とカトリック。宗教を超えて感銘を受けた生徒

講演に参加したシスター志願生は、感銘を受けたようだった。

「宗教は違うけど、やっぱり考え方とか、根本的には一緒なんだなって感じで。もっと仏教って聞いたら、すごく真面目で堅苦しい感じがしたけど、そうではなかった」

金子さんが別の日に訪れた、大村市の看護学校「国立長崎中央病院附属看護学校」で、これから看護婦になろうとしている生徒の中にも、実際の身近な人間の死を経験したことのない生徒がたくさんいる。
看護婦にとって避けることのできない“人の死”。その意味をどう教えるかは、大きな課題だ。

ここで、金子さんは講師として、人の死についての授業を行っている。

「皆様方は、医療というものを目指し、看護師を目指して、命というものをどれぐらい見つめてみたことがあったか。この世の中に生まれて産声をあげようとしている、それを大勢の人が手伝ってあげる。その中心になるのが助産婦さんです。それならば、生まれる時に手伝ってあげることができるのなら、人間の一番最後の、荘厳であるべき最期の時に、大切な命が終わりを告げようとする時、その時、なぜ寂しく放置されなければならないのか。あの時、もっと大勢の人がそばにいて、大切な人たちが周りを取り囲み、専門職であるナースの方たちが“助死婦”としての役割を果たしてくださったら」

ナースとしての決意が記された生徒の感想文

技術の習得だけに追われていた生徒たちにとって、金子さんの話は、強烈な印象を与えたようだった。
生徒のノートには、「安らかに死を迎えるために、助死婦としての役割が果たせたら」と、みずみずしい決意の文字が記されていた。

後編では、介護を続ける中で「自分の方が必要としていたのかも」と語っていたいた母親との別れ。そして、理解され始めた“死の準備教育”を広める金子さんの思いに迫った。

(【後編】「終わりではなく始まり 宗派を超えて宗教という道を歩く 聖歌が流れる中、母を送った僧侶」)

(第4回FNSドキュメンタリー大賞『道ゆきて~ある僧侶の一年~』テレビ長崎・1995年)

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