今はいつ、どこでも、誰とでも友達になれる時代。スマホがあれば連絡手段には困らないし、気軽にやりとりもできる。それなのに、実は誰ともつながっていない気もするのはなぜだろう。

例えば、SNSでのつながりはあっても自分の投稿には思うような反応がない。他人のキラキラした投稿が流れてくると、比較して落ち込んでしまう。

現実でも友達がいないわけではないが、心から理解し合える存在とは言えない。言葉で表現するのは難しいが、ふとした瞬間に居場所のなさのようなものを感じたことはないだろうか。

特に若者がこうした悩みを抱えている印象も受ける。つながりはあるのに孤独という、矛盾しているような状態だが、背景には何があるのだろう。

現代はつながっていない状態に敏感

人間関係やネットワーク論の研究者で学生との関わりもある、早稲田大学の石田光規教授にお話を伺うと、要因や受け止め方のヒントが見えてきた。

ーーSNSでのつながりはあるが孤独を感じるという悩みを見ることがある。これをどう思う?

日本社会ではSNSが普及した2000年代頃から、仲間を作ろうと意図的に働きかけないと他人とつながることが難しくなっていきました。昔は固定電話か手紙くらいしか遠くにいる人とつながる方法はありませんでした。しかし、今は誰とでもつながることが当たり前です。

皮肉なことに、常につながれるようになった分、つながらないことに対する感度がとても敏感になった。スマホが1日静かだと「世界から置いていかれた」感じを抱いてしまいます。しかも、スマホや携帯はいつメッセージを送りいつ返信が来たか、相手はメッセージを読んでくれたのか逐一報告してくれます。つながりへの感度が高まることで孤独感が助長されているのです。

通知が来ないことが寂しさに(画像はイメージ)
通知が来ないことが寂しさに(画像はイメージ)
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ーー他人の投稿で落ち込むことはなぜ起きる?

SNSはキラキラした部分を投稿する側面が強いので、よくあることではあります。例えば、育児中の母親がバタバタしているとき、ママ友があそこに行った、子どもにこんなことをした…という投稿を見ると、母親としてうまくいっていないと感じたり、嫉妬心を抱いてしまう。

インスタグラムだと学生のグループが乾杯の動画をよく投稿しているのですが、他の学生がそれをみると「なぜ私には声がかからなかったのだろう」と感じてしまう。自己肯定感を下げたり、もやっとした思いを抱えてしまうこともあります。

自己肯定感を低下させてしまうことも(画像はイメージ)
自己肯定感を低下させてしまうことも(画像はイメージ)

ーー現実での友達はいるけど孤独を感じる、という悩みも見ることがある。こちらはどう思う?

学生にも非常に多い悩みです。サークルやバイトなど、複数のグループに入ってはいるけど本当の自分をさらせていない、本音を話せる人がいないという人は結構います。背景には今ある関係にしがみついていないと、つながりから切り離されてしまうような不安があります。

実際に学生からは「関係を修復する機会がなさそうだから、けんかなんてできない」という声も聞きました。常に気を使うような状況で、友達であっても率直なことがいえない。結果的に人の輪には入っているけど、本当の自分を見てくれる人はいない。こうしたことが若者たちの孤独感につながっていると感じています。

昔は“結果としての友達”今は“関係ありきの友達”

ーーひとりではないはずなのに、孤独を感じる人にみられる傾向はある?

人間関係の理想が高い人が多い気がします。自分を受け止めてくれるのが友人といった理想を作っている。その一方で、本当の自分を出したら受け止めてもらえるかという不安も抱いている。結果として、友人の前では取り繕って、本当に言いたいことは隠してつき合いを続けます。

こうした人は矛盾した状況で友人と接しているので疲れてしまい、ひとりになるとほっとします。しかし、ひとりのままだと寂しくなるので、また友人の前にいくが、取り繕うのは変わらない。結果、相談できる相手が母親だけという人も増えています。

友人関係の悪循環の構図(画像提供:石田光規教授)
友人関係の悪循環の構図(画像提供:石田光規教授)

ーー昔と今で友達の関係性が違っていたりはする?

友人への期待水準は変わらないと思いますが、捉え方が違う気がします。僕は昔は“結果としての友人”だったと考えています。つまり、お互いいろんなことを経験した結果、徐々に友人になっていく関係です。友人はつき合いを重ねた結果得られる特別なもので、友人がいないからといって、他につながりはたくさんありました。

それに比べると、今は友人がいなければ“人の輪から取り残されているという感覚”がある。出会った人とすぐに友人にならなければ、関係が切れてしまい孤立が待っている。このようなつながりではけんかや議論をしながら関係を深めていくことはできません。「友人」の状態を壊さないように、配慮し合うことで成り立つ。だからこそ迷惑をかけられないし、相談もしづらい…となり、ひとりが落ち着くようになる。

今は関係が壊れないよう気を使う人が多い(画像はイメージ)
今は関係が壊れないよう気を使う人が多い(画像はイメージ)

ーー実際の学生から悩みの声は聞かれている?

SNSを開かざるを得ない状況になっていると聞きます。以前のコミュニケーションはいつ誰がどこに話しかけた、どんな話をしたか、誰と誰が友人同士か。こうしたことの確認はあまりありませんでした。SNSはそれを全てさらしてしまいます。いいねをつけたかどうかまで出てしまう。

典型的な例だと、インスタグラムのストーリーズ(一定期間しか閲覧できない)。見逃すと話題についていけなくなるので定期的に確認しなければいけない。友人の輪から外れないよう、義務感にかられて見たり、いいねを付け合うことが儀礼のようになっていると思います。

義務感でSNSを利用しているという声も(画像はイメージ)
義務感でSNSを利用しているという声も(画像はイメージ)

ーーコロナ禍が人間関係に影響を与えてはいる?

じわじわと影響が出ていると思います。非対面・非接触な社会が進むと、(無理に対面しなくても良いので)対面することに理由付けが必要になってくる。そして、徐々に対面での接触から外れていく人が出てくる。恋人や友人がいる人はリア充、ぼっちは寂しいということが言われたりしますが、そうした格差が鮮明になるところがあると思います。

無理をして友人とつながる必要はない

ーー孤独や寂しさの受け止め方のポイントは?

もう少し緩やかな受け止め方でよいと思います。友人がいないから直ちに孤独に陥るかというとそうではないですし、無理をしてまでつながる必要はありません。人間は違っていて当然、迷惑をかけて当然です。「永遠に続く友人関係なんてそうそうない」という、ある意味での気楽さを持つ方が、孤独感はなくなる気がします。

現実世界であれば、今のグループ関係は配慮、互いに気を使うことで成り立っていますが、そこから出る選択肢もあると考えてみる。SNSは今のコミュニケーションの中心であり、離れるのは難しいツールなので距離感が難しいですね。ただ、SNSをやめることへの怖さや抵抗感はあると思いますが、やめても意外に何とかなるとも思います。


ーー疎外感への対処法としてできることはある?

「つながりを作りましょう、仲良くなるための場所を」…と聞くと構えてしまい、入り込めない方もいるはずです。他の目的があり、結果としてつながりがついてくる程度でよいと思います。例えば、地域のボランティア団体や趣味のサークルに参加してみてはいかがでしょうか。

結果としてつながりが生まれる程度でよい(画像はイメージ)
結果としてつながりが生まれる程度でよい(画像はイメージ)

ーー孤独や寂しさを感じる人たちにメッセージを。

難しいですね。僕は友人関係にこだわらなくてもよいと思いますが、精神的に病んでいる人に「元気を出せ」と伝えることに近いかもしれません。ただ、つながり先は探してみればたくさんあると思うのです。

一歩踏み出して見つけてみる、それも億劫なら別の軸から探してみる。僕は森林保全のボランティアをしています。友達を作ろうと入ったわけではありませんが、つながりもできました。普段とは別の観点でものを始めてもよいかもしれないですね。


スマホやSNSで人々の関係がみえるからこそ、自分の孤独が可視化される。友人の関係を壊さないように常に気を使うからこそ、本音が言えない。この辺りが孤独感につながっていそうだ。

その関係を放棄すべきとは言わないが、悩んでいる人はスマホやSNSの通知に影響されすぎていないか、友人関係が上辺だけになっていないかを意識してみてもいいかもしれない。
 

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プライムオンライン編集部
プライムオンライン編集部

FNNプライムオンラインのオリジナル取材班が、ネットで話題になっている事象や気になる社会問題を独自の視点をまじえて取材しています。