世界地図を逆さにしてわかること

「世界地図を逆さにみれば、今まで見えていなかったものが、見えるようになる」。
この言葉を聞いた人は多いと思う。実際、その例としてよく引用されるのが、この地図だ。

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赤で印をつけた地点が、ウラジオストク港である。ロシアにとって貴重な不凍港で、1935年(昭和10年)に当時のソビエト連邦はここに太平洋艦隊の本部を設置した。
ところがこの地図を見ると、その太平洋艦隊がその名を冠した太平洋に出ようとしても、日本列島が邪魔をして思うようにして大海に出られないことがよくわかる。ふだん目にする北が上になった世界地図では何も感じないのに、上下逆さまにしただけでこれほど違う感覚を持つのは、おそらくこの地図がロシア側から日本を見る形になっているからだ。  

太平洋に出るにはいくつかの海峡を渡る必要があるが、いうまでもなく、海峡は敵国の艦隊が待ち伏せするのにうってつけの場所なのである。
実はそれこそが、ロシアが北方領土を返さない隠された理由の一つにもなっている。海峡の片側の陸地あるいはその周辺だけでも、自国領にしておきたいのだ。もちろんそれはささやかな理由の一つにすぎず、大前提としていったん獲得した他国の領土は、交渉ではまず返されることがないという世界史の常識がある。  

アメリカが小笠原や沖縄を日本に返還したのは、例外中の例外といってよく、それは強固な日米同盟関係と、極東の安全保障に関して日本も経済力に見合った役割を担うべきだという考えがあった。基地を残したのは、日本の防衛力だけでは頼りないと考えているのと、沖縄が地政学的に非常に重要な位置にあるからである。  

世界史講師の解説で「地政学」を学ぶ

さて今回の書評は、『図解 世界史で学べ!地政学』(茂木誠 編著・祥伝社)である。
地政学関連の本は、いずれも分厚く難解なものが多い。しかし、この本は100ページに満たない紙幅に図説と平易な文章で、かみ砕くようにして地政学を解説している。  

編著者は茂木誠氏。学者でも大学教授でもなく、駿台予備校の世界史講師だ。この本を読んで地政学をマスターすれば、書斎でコーヒーカップ片手に地球儀をくるくる回して国際情勢を分析するという、誰もが憧れるひと時を味わうことができる……かも知れない。  

この本が優れているのは、地政学の一般理論をなるべく簡潔にすませ、国ごとのケーススタディに多くを割いているところだ。 ただし、一般理論の説明も要を得ている。 

ランドパワーとシーパワー

1) 世界にはランドパワー(大陸国家)とシーパワー(海洋国家)があり、常に海洋国家が世界の覇権を握ってきた。 

確かにその通りである。古代ギリシャもローマ帝国も地中海での海洋国家ともいえるし、スペインやポルトガルも新大陸発見に伴って大西洋での覇権を握った海洋国家だった。そしてイギリスがスペインの無敵艦隊を打ち破ってから、栄光の大英帝国の時代が始まる。その植民地は世界中に散らばり、いつの時間にもどこかのイギリス領で太陽が昇っているという、まさに「太陽の沈まぬ大帝国」を築き上げたのだった。日本とアメリカも海洋国家に分類される。  

2) ドイツ・ロシア・中国に代表されるランドパワー(大陸国家)は、領土の拡大を国家の発展とみる発想がある(面の支配)。一方、資源や食料に乏しいシーパワー(海洋国家)は貿易によってそれを補おうとする。だから、領土全体を求めるのではなく、島嶼や港湾都市だけを支配しようとする(点の支配)。そのほうが効率がよく、コストを安くできるからだ。
どちらがいい悪いではなく、それが地理によって与えられた国家の条件であり、そうやって生きていくほか仕方がないのである。

しかし、ランドパワーはいつもシーパワーの後塵を拝しているわけではない。イギリスの地政学者マッキンダーは「鉄道の開通で陸上輸送がスピードアップし、これからはランドパワーの時代になるだろう」と予測し、「東欧を支配したものが、ハートランド(ユーラシア大陸中心部)を支配し、ハートランドを支配したものが世界島(ユーラシア大陸+アフリカ大陸)を支配し、世界を支配する」と結論づけた。ソ連成立直後のことである。  

その予言は第2次世界大戦後、東欧諸国を衛星国群としたソ連をみれば、見事に的中している。ちなみに、なぜ東欧地域がハートランドかというと、その地域こそ、東方の穀倉地帯と西方の工業地帯との結節点で、だからこそ鉄道が重要となる。おそらく、そこさえ支配すれば国家に必要なあらゆる食料・資材・エネルギーをヨーロッパ各国に差配できる、ということなのだろう。  

戦後のソ連主体の東側諸国群はハートランドの支配には成功したが、悲しいかな、英、仏、伊などの西側工業地帯を欠いていたので、その優位性はほとんど機能せず、やがて国家経済が立ちいかなくなって、ソビエト帝国は自然死を迎えたのだった。

もう一方のランドパワー、ドイツももちろんハートランドを目指した。ナチス・ドイツはポーランドをはじめ東欧諸国を席巻し、つぎに穀倉地帯であるウクライナやベラルーシを目指した。 ナチスの東方侵略は、もちろん自前の地政学に基づいての軍事行動である。まず東欧を手中に収め、つぎに宿敵フランスをも支配下に置いた。つぎに目指すのは同じ大陸国家のソ連である。  

その時、海洋国家の雄であるイギリスは、ヨーロッパの動静をじっと観察していた。そして、ナチスとの和解を目指したチェンバレン首相の後任のチャーチルは、「ナチスとの和解は不可能」という信念のもと、ソ連と軍事同盟を結ぶ。チャーチルは筋金入りの反共主義者であったが、その筋を曲げても、ナチス・ドイツに勝たなければならなかった。さらに「モンロー主義」というヨーロッパ不干渉を決めていたアメリカのルーズベルト大統領を説得し、アメリカのヨーロッパ戦線参入を決断させた。 

この本の国別ケーススタディにも書かれてあるが、イギリスは常にヨーロッパ大陸を観察し、第三国を利用して自国の利益をはかるという戦略にたけている。日露戦争もロシアの戦力を極東に張り付けるというイギリスの戦略の一環ともいえるのだ。  

日本とイギリスは島国で海洋国家という意味で地政学的共通点は多いが、国家の生き残り戦略という意味では、イギリスのほうがはるかに優れていた。植民地インドでは多くの陸軍兵士が内陸まで進攻することはなく、港湾都市とその周辺にとどまっていた。つまり自国が海洋国家であることを忘れなかった。
一方、日本は海洋国家であるにもかかわらず中国大陸に深く進攻し、あろうことか中国東北部に満州国などという人工国家を建設してヨーロッパ列強のひんしゅくを買った。そして国際的孤立のなか、太平洋を挟んだもう一方の大海洋国家アメリカとの戦争に突入してしまうのである。  

さて、最後に大陸国家の中国である。いうまでもなく内陸の大国家、海洋進出など以前の中国には思いもよらなかったことだ。  
そもそも海からは倭寇とかアヘンとかロクなものしかやってこない。その中国が海洋国家を目指して、南シナ海で日本をはじめ近隣諸国と軋轢を生じている。なんとあのベトナムまでがアメリカ海軍と合同軍事演習を行うほど、各国は中国に対して危機感を強めているのである。

大国の行動原理を説明できる「地政学」

中国の海洋国家化は果たして成功するのだろうか。海洋国家・日本が大陸国家になろうとして失敗した。何となくだが、失敗しそうな気がする。失敗したとき対岸のアメリカとの関係はどうなっているのだろう。日本にどのような選択肢があるだろうか――その予測を与えてくれるのが、地政学である。 

最近の地政学は「空の帝国」となったアメリカの分析や、宇宙空間での地政学的研究、さらにはサイバー空間にまでその領域を広げている。  

この本が書くように「地政学は、時代やイデオロギーを超えて大国の行動原理を説明できるもっとも合理的な理論」なのである。  

【執筆:赤井三尋(作家)】
【地図イラスト:さいとうひさし】

『図解 世界史で学べ!地政学』(茂木誠 編著・祥伝社)

赤井三尋
赤井三尋


【著書】 『翳りゆく夏』( 講談社文庫) 『どこかの街の片隅で』( 単行本・講談社 改題して『花曇り』講談社文庫) 『2022年の影』(単行本・扶桑社 改題して『バベルの末裔』講談社文庫)) 『月と詐欺師』( 単行本・講談社 講談社文庫【上・下】) 『ジャズと落語とワン公と 天才!トドロキ教授の事件簿』(単行本・講談社 改題して『面影はこの胸に』講談社文庫) 【テレビドラマ】 翳りゆく夏(2015年1月18日 ~(全5回) WOWOW「連続ドラマW」主演:渡部篤郎)

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