医師不足が課題となっている岩手県内で、約60年にわたって宮古地域の医療に力を尽くしてきた93歳の医師がいる。
「ここにいてほしい」と地域に必要とされてきた「赤ひげ先生」の人生を取材した。

地元のかかりつけ医として58年…93歳現役医師

10月13日、93歳の誕生日を迎えた木澤健一さん。県内でも数人しかいない90代の現役医師だ。

93歳の現役医師・木澤健一さん
93歳の現役医師・木澤健一さん
この記事の画像(13枚)

パーティーには妻の加代子さん(74)、長男の英樹さん(54)、次男の哲也さん(52)がやって来た。
3人の息子は、地元で医師や歯科医として活躍している。

次男 哲也さん:
人生の師匠かなと思っている

宮古市津軽石の木澤医院。
県内でも医師不足が深刻化している宮古地域にあって、地元のかかりつけ医として58年間、その役目を果たしてきた。
医院は次男・哲也さんが跡を継いでいるため、木澤さんの主な仕事は職場の産業医、施設や学校での定期健診。

木澤健一さん:
90歳くらいまでは全部覚えていた。それが忘れるようになった。俺も年取ったな…

それでも、いまだ現役である秘訣(ひけつ)は、マシンを使ったウォーキング。1日10分、欠かさずにしている。

この日は、近くの老人ホームへ。嘱託医として、月2回、利用者を診察している。

岩手・宮古市津軽石 清寿荘
岩手・宮古市津軽石 清寿荘

患者の事情に寄り添って、「怒らない」ことがモットーだそう。
利用者も「年上の先生に診てもらうとは…」と目を丸くしている。

診察を受けた利用者:
俺より12歳ぐらい年上。腕前も日本一

東京への誘いも宮古に医院開業…決心に至った“言葉”

昭和3年、新潟県に生まれた木澤さん。
終戦の年、当時の岩手医学専門学校に入学し、卒業後は新人医師として沿岸を転々としていた。

宮古市の診療所に勤務していた30代には、「東京の大病院に来ないか」と誘いがあった。
「宮古を離れようか」揺れていた木澤さんに、運命を決める人物があらわれる。

地元の名士として知られた山根三右衛門さん。北海道や岩手の海で定置網を経営し、「三陸の漁業王」として名をはせていた。
医師不足の現状を知っていた山根さんは、木澤さんに「ここにいどがん(ここにいてほしい)」と言った。

転機となった山根三右衛門さんの言葉
転機となった山根三右衛門さんの言葉

木澤健一さん:
「俺をはじめ、地域の人を診てやれないか。金のことは任せろ」と。医師不足であるし、俺がいて頑張ろうかと、ここにいる決心をした

思いもよらない選択だったが、34歳で「木澤医院」を開業。
朝から深夜まで、2時間かかる山奥へも診て回った。

東日本大震災では自宅の1階が浸水し、カルテが流されたが、4日後には2階を使って診療を再開した。

木澤健一さん:
「薬だけでもほしい」ということで、(患者の)顔を思い浮かべながら処方せんを書き直したりして、薬を出した

地元の町内会長・若狹斌さん:
薬すぐ出してもらったりした。年取った人は、ほとんど木澤先生じゃないですか

地域を見守り続け…「赤ひげ大賞」受賞 

2020年、長年にわたって地域医療に貢献した人に贈られる「赤ひげ大賞」を受賞した。

コロナ禍の今も、患者の声に耳を傾けながら診療を続ける木澤さん。
「ここにいてほしい」と言われ、地域を見守り続けた人生。生涯現役でその道を歩き続けたいと話す。

木澤健一さん:
地域医療は地味ですが、犠牲的精神で根気よくやらないと。私はこの道を行きますから、今の道をずっと歩いていきたい

(岩手めんこいテレビ)

岩手めんこいテレビ
岩手めんこいテレビ

岩手の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。