岩手県岩泉町に御年100歳のマツタケ採り名人がいる。元気の秘訣、そして戦時中の体験についても語ってくれた。

御年100歳 毎日の散歩を欠かさない理由は

岩泉町の小本川沿いをしっかりした足取りで毎日散歩している中村寛得さん、100歳。

岩手県岩泉町の中村寛得さん 散歩が日課
岩手県岩泉町の中村寛得さん 散歩が日課
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中村寛得さん:
いつも4000歩から5000歩の間ですね。1時間半くらいかかりますね。山の中に育って、空気がいいために長生きしたのかもしれません

2021年7月に100歳を迎えた中村さん。現在は1人暮らしだが、実家を離れた3人の子どもたちとは携帯電話の万歩計でつながっている。

家族と万歩計でつながる
家族と万歩計でつながる

中村寛得さん:
3894歩。これ(歩数の連絡が)がいかないと、「どうした」「具合悪いのか」と心配して電話が来ます。だから動かないではいられないわけだ

「動かないではいられない」と笑顔
「動かないではいられない」と笑顔

険しい山道もなんのその! マツタケ採りへ

その中村さんがこの時期、足しげく通っているのが、自宅近くの山だ。

自宅近くの山に入っていく100歳の中村さん
自宅近くの山に入っていく100歳の中村さん

険しい道をものともせず進んでいった先には…

中村寛得さん:
あぁ、ひとつあるな。これがそうじゃないかな。ああ、ここにある

マツタケ発見!
マツタケ発見!

中村さんはマツタケ採りの名人なのだ。

中村寛得さん:
十何年も同じところを歩いているんですよ。生えるところはやっぱり決まっているんです。あるところはだいたい覚えているから、こうして採れるんです

あっという間に5本のマツタケを発見
あっという間に5本のマツタケを発見

斜面をすいすい上ったり下りたりしていると、さらに大きなマツタケを見つけた。

中村寛得さん:
これは大きいですよ。やったぁ~という感じかな

この日は30分ほど歩いただけで、7本を収穫した。マツタケはこれからが最盛期だ。

中村寛得さん:
きょうの状態を見れば、小さいのがたくさん生えているようです。今年も多く採れるのではないでしょうか

第二次世界大戦 20歳で日本軍の通信兵に

岩泉で生まれ育った中村さんだが、20代の3年間はこの地を離れ、戦地に赴いていた。釜石市が艦砲射撃を受けるなど、岩手県内にも大きな災禍を残した第二次世界大戦。

岩手県内にも災禍を残した
岩手県内にも災禍を残した

中村さんが出征したのは20歳の夏。地元の人たちの盛大な激励を受けたという。

中村寛得さん:
これから国のために戦ってこなければならないという。寄せ書きで激励してもらって

盛大な激励を受け戦地へ
盛大な激励を受け戦地へ

中村さんは1944年、日本軍の通信兵として千島列島のウルップ島に降り立った。任務は、軍事機密や作戦の命令などの重要なやり取りを暗号化して伝えること。

千島列島のウルップ島
千島列島のウルップ島

中村寛得さん:
傍受されてもいいように、文面を分からないようにして送ると。(任務に)プレッシャーはあるけど、それは押し殺して命令通り進まなければならない

軍事機密を暗号化して伝える任務にあたっていた
軍事機密を暗号化して伝える任務にあたっていた

多くの仲間の犠牲を伝える暗号をつくるなど、戦争の悲惨さを実感する任務だったという。

中村寛得さん:
報告書を札幌に電報を打つ時に、僚船(仲間の船)が魚雷にやられて沈んだんだなと。自分もいつそうなるか分からない時代だから。やるせない気持ちに…今も変わりはないけど

その後、中村さんは室蘭で終戦を迎えた。

中村寛得さん:
ようやくこれでうちに帰れるなと思った。平和が来るなと思った。戦争というのは人殺しの競争ですからね。いいことではないんですよ

生きる幸せをかみしめて…目指すは「長寿日本一」

岩泉に戻った後は造林業や酪農に携わり、町の議員も務めた。今は生きる幸せをかみしめながら、毎日農作業に勤しんでいる。

中村寛得さん:
野菜を10種類くらい作っていますね。子どもたちに送ってやるんです

生きる幸せをかみしめて
生きる幸せをかみしめて

そして、2日に一度はマツタケ採りに通う中村さん。その胸には大きな目標があった。

――元気の秘訣は?

中村寛得さん:
体を動かすことですね。どうでしょう、大袈裟ですか?(長寿の)日本一を目指したいと思っているんですが

自信ありげに、ほがらかな笑顔で目標を語る。

中村寛得さん:
だいたい116歳くらいが日本一でしょ?だから、それを目指したらいいかなと思っています

(岩手めんこいテレビ)

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