福島第一原発が立地し、現在も全町避難が続く福島・双葉町。
誰も帰ることができない“ふるさと”で、営農再開を望む住民の思いが田んぼを黄金色に染めた。
双葉町下羽鳥地区に、原発事故後11年ぶりに黄金色の稲穂が実った。

木幡治さん(70)は先祖代々、この地区でコメ作りをしてきた。

収穫を迎えるまでは、長い道のりがあった。
福島第一原発が立地する福島・双葉町。原発事故による全町避難で約6000人の町民は、今も42の都道府県で避難生活を続けている。

それでも2022年春ごろの居住開始を目指し、新たなまちづくりが進められている。
“ふるさと”に戻りコメ作りを…
2021年5月、田植えが行われた。

原発事故後、初めて行われた2021年のコメ作り。試験的な栽培だが、農業の復興に向けた大きな一歩となった。
木幡治さん:
まず、きょうは最高のお祝いの日ですね。できれば、もっと早くやりたかったけどね

“水田が連なる風景が戻ってほしい”…。木幡さんをはじめ、避難先から住民が通い、管理することを決めた。
順調に稲が生育した7月。草刈りのため集まったのは、かつて木幡さんの自宅があった場所だった。
農地を管理する組合が設立されたことをきっかけに、倉庫を建設した。

すべては“ふるさと”双葉町への思いからだ。
木幡治さん:
やっぱり俺たちが先頭に立って動いて、そうすると若い人が来てやってくれてるし。大変でも「やりたい!」という部分で動いてます

澤上榮さん(71)は、木幡さんと同じ双葉町下羽鳥地区の出身で、木幡さんと共に田植えを行った一人だ。

澤上さんは、避難先のいわき市でもコメ作りを続けている。
澤上榮さん:
(コメ作り)していないと、だんだん忘れるって事はないけど、感覚は分からなくなってくる。やれることは、やっていきたいと思いますけどね

政府は2021年8月、帰還困難区域のうち、避難指示解除の見通しが立っていなかった地域についても、住民が帰還を希望すれば除染を行って避難指示を解除する方針を決定した。

時期については「2020年代」とあいまいだが、澤上さんは、いずれ双葉町に戻り、コメ作りをしたいと考えている。
澤上榮さん:
分からない、先の事はね。できるだけ体が元気なうちに戻るんだったら戻りたいし

無事に迎えた収穫「有意義な一歩に」
復興への思いが育んだ双葉町のコメ。
試験栽培のため、刈り取るのは放射性物質の検査に必要な160株だけで、残りは廃棄される。

それでも、無事に収穫を迎えた喜びは変わらない。
木幡治さん:
町全体とすれば、有意義な一歩が進めたかなと思います。誰か先頭に立って、前に進めるように、やっぱり俺らも後押ししながら、これから若い人たちをつないでいきたいという風に思います

農業用水の確保など課題はあるが、放射性物質の濃度が基準を下回れば、2025年の営農再開に向けて、2022年以降も栽培が続けられる。
(福島テレビ)