宮城県内各地で大きな被害をもたらした東日本台風。丸森町では関連死を含めて県内で最も多い11人の犠牲者が出た。今なお1人の行方がわかっていない。
しかし、町内で壊滅的な被害を受けながらも、犠牲者を1人も出さなかった地域がある。
丸森町五福谷向原地区。住民を救ったのは、震災前から大切にしていた「地区のコミュニティ」。それは移転の形からも見えてきた。

全ての住宅が全壊になっても…

阿武隈川の支流、五福谷川に接する「五福谷向原地区」。

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2019年10月12日。東日本台風が本州に上陸したあの日、壊滅的な被害を受けた。山から流れ出た大量の土砂が地区を飲み込んだ。

当時、この地区で暮らしていたのは8世帯。五福谷川の氾濫で辺りは水に覆われ、集落は一時孤立した。全ての住宅が濁流の被害を受け全壊状態に。
しかし、この状況にありながら、1人の犠牲者も出さなかった。

私は、当時から地区の民生委員を務めている佐久間新平さんに話を伺いに行った。
佐久間さんは雨の降り方に危険を感じ、地区の住民へ避難の呼びかけを徹底した。自分で雨の降り方を検索し、町の指示より、より強く避難を求めた。

佐久間新平さん:
とにかく最悪の事態を想定して、避難しないという人もいたが「だめ」と。「絶対だめ」と避難してもらった

想定外の被害にも対応できた訳

地区ではこれまで目立った水害はなく、住民の水害への危機意識は決して高いものではなかった。
しかし、この地区に生まれ育った佐久間さんは、上流部では浸水被害が出た過去を把握していた。

そしてあの日、不測の事態も起きた。
災害時の避難所と決めていた「集会所」までもが、あっという間に浸水してしまった。

佐久間新平さん:
急激に水が出る、大水になるということはある程度予測していたけれど、想定外は川も畑も田んぼも全部埋まってしまった。そのために水位が上がっている。土石流があったために、川がなくなったから

下流に流れるべき水が、川がないために一気に地区に溢れかえった。
そんな想定外の被害にも対応できた訳。それは、日頃から大切にしていた「地域のつながり」が活かされた結果だった。決めていた避難所より、さらに高台の住宅へ逃げることができた。

佐久間新平さん:
常日頃、交流があるので気軽に行ける雰囲気はあった。
「おらいさ、こらいん(私のところにおいで)」と、みんな言ってくれるので

住民たちが選んだ集団移転…その理由とは?

地域のつながりで、いのちを守り切った佐久間さんたち。
しかし、全壊した住宅で元の暮らしはできず、台風の後、住民はバラバラに。地区の景色も一変した。
そこで、佐久間さんたちが選んだのは集団移転。

佐久間新平さん:
ここは、向原地区を中心とした人たちの集団移転先

これまで住んでいた場所から、500メートルほど離れた和田東地区。この場所にみんなで移り住むという計画。

佐久間新平さん:
かなり急いでやってもらっているが、なかなか完成まで至っていない

被災からちょうど2年では間に合わず、入居は年内の予定。
しかもこの移転、住民は国の予算で土地の造成ができる防災集団移転事業の適用を望んだが、町は作業が長期化するとして断念したため、佐久間さんたちは土地の買収から造成工事の計画までを自分たちで進めることにした。
町の補助はあるものの、金銭的にも心理的にも住民には大きな負担がかかった。

梅島三環子 アナウンサー:
なんで、そこまでして集団移転にこだわったのですか?

佐久間新平さん:
集落活動を続けたい。五福谷に残りたい人がいるので、地元に残ることを考えたいと進めた

住民たちも思いは同じく、移転することを決めた。

住民:
いろんな面で先駆けてしてくれる人がいるので助かった

住民:
ここにいれば昔からお付き合いしている人ばかりだから、後の世代にもいいと思う

家を失い、住み慣れた土地を失った向原地区の住民たち。
しかしあの日、いのちを守った地域のつながりは失いたくないと佐久間さんは話す。

佐久間新平さん:
みなさん被災して同じような気持ちで移転してきて、お互いに痛みはわかる。楽しく前を向いてがんばっていきたい

【取材後記】

佐久間さんは、向原地区を離れざるを得なくなってからも、元・向原地区の住民とともに向原で地域活動を続けている。コロナで飲食ができなくなった今、集会所の掃除や地区の除草作業が主な活動。

仙台放送 梅島三環子アナウンサー
仙台放送 梅島三環子アナウンサー

2年という月日が流れ、元住民の集落への思いが薄れることを危惧している。
集団移転したら、また地区を一つにまとめ上げていきたいとも話していた。
高齢者が安心して暮らせる地域づくりも意識している。
自主的な集団移転の取り組みに見えた人々の「つながり」。
地域を災害から守っただけでなく、誰もが安心して暮らしていくための未来志向の「つながり」なのだと感じた。

(仙台放送・梅島三環子アナウンサー)

梅島三環子
梅島三環子

仙台放送アナウンサー