被災3県の今を伝える「明日への羅針盤」。宮城・石巻市渡波で、かき小屋を営む男性は震災後に宮城に移り住んだ元ボランティア。復興需要の終了に加え、コロナ禍で客足が落ち込む中、地域に深く根づこうと試行錯誤を続けている。

震災ボランティアとして移り住む

宮城県の北東部、牡鹿半島の根元に位置する石巻市渡波地区。波穏やかな万石浦は、カキ養殖発祥の地として知られている。

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万石浦のほど近くに1棟のビニルハウスがある。かき小屋渡波。東日本大震災の翌年、2012年にオープンした。新鮮な石巻のカキを殻付きのまま炭火焼きで提供し、被災した漁師たちの復興を支援している。

首都圏からの客:
しょうゆを垂らさなくても、そのままでもおいしいです。なんの調味料もいらない

かき小屋渡波・寺岡征己さん:
今度、身が大きくなったら来て下さい

首都圏からの客:
いつ大きくなるの?

かき小屋渡波・寺岡征己さん:
春過ぎてから。一番大きいのはね、初夏6月か7月の頭ぐらい

店を切り盛りするのは名古屋市出身の寺岡征己さん。震災直後、宮城県にボランティアとして移り住んだ。

かき小屋渡波 寺岡征己さん:
半分くらいは興味本位でした。テレビの画面で観た景色が本当に、この日本で起こっているんだというのを見ておかなきゃいけないと思った

かき小屋との出会い

震災ボランティアとして活動を始めた寺岡さんに、ある日、仙台市内の企業から相談が持ちかけられた。渡波にかき小屋を作るプラン。

当時、浜では津波被害を免れたカキの販路確保が課題だった。殻をむく施設が被災し、カキを出荷できなくなっていた。

かき小屋なら殻付きのままお客に出せる。話を聞いた寺岡さんは、新たな可能性を感じたと言う。

かき小屋渡波 寺岡征己さん:
むく手間が無く、殻のまま出すことができて、お金になるのであれば。ちょっと今までとは違った販路ができるのではないかと思っていた

かき小屋から撤退 石巻を離れるか人生の岐路に

こうして、かき小屋の店長として雇われた寺岡さん。客の入りは順調に見えたが、オープンからわずか1年後、店のオーナーは寺岡さんに撤退の意向を告げた。

かき小屋渡波 寺岡征己さん:
当時のオーナーは、はっきり言っていた「集客が見込めない」と。石巻では商売的には難しいので、仙台港の方でやり直すと言っていた

生活のために自分も仙台で出直すか、このまま石巻に留まるか。寺岡さんは悩んだ揚げ句、かき小屋の権利を自分で買い取ることを決めた。

かき小屋渡波 寺岡征己さん:
最初にボランティアに入った石巻という街が、いればいるほど、どんどん好きになっていき、人との関係もできていき、今さら仙台に行って別の商売をするという気はなかった

新型コロナ感染拡大 かき小屋にも暗い影…

以来、かき小屋のオーナーとして8年あまり。皮肉なことに復興が進むほど客足は減り、かつてのような満席はめったに見込めない。
それでも、かき小屋渡波のファンは着実に増え、出店を求められることもたびたび。イベントに出向くため、知人の手を借りてキッチンカーも造った。

かき小屋渡波 寺岡征己さん
地味なんですよね、この色が。日本食っぽいイメージで白地に黒で書きたかった。でも、目立って何を売っているか、すぐわかるようにしていた方がいい

そうした中、2020年から広がった新型コロナの流行。かき小屋の経営にも暗い影を落とし、売り上げは激減。1日の客が数組だけという日も珍しくない。

かき小屋渡波 寺岡征己さん:
耐えるだけです。これはうちだけではないのだから。全国の飲食店が同じように困っているので、なんとか耐え抜きます

渡波に根を下ろして間もなく10年。今では、生まれ故郷の名古屋よりも知り合いが多いかもしれない。

地元漁師:
私たちは応援してます

かき小屋渡波 寺岡征己さん:
今さら他のこともできないし、前の仕事に戻るといってもなかなか難しい。しがみついていかないと。がんばります

(仙台放送)

仙台放送
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