天皇陛下は、9月6日、半世紀にわたりお住まいだった赤坂御所を、皇后さま、長女・愛子さまと共に離れ、皇居の御所へと向かわれました。御所に到着すると、三種の神器の剣と璽とともに中に入りましたが、その後、ご一家は宮殿へと移動されました。お引っ越しの荷物の設置が終わるまでの約2週間、宮殿で過ごされたのです。
そして、9月20日に荷物も移された御所に入り、新たな生活を始められたのです。

ご退位後も上皇ご夫妻のお住まいで、その当時は吹上仙洞御所と呼ばれた「御所」。2020年3月19日に上皇ご夫妻がお出になられてから、天皇ご一家のお住まいとして、傷んだ部分の改修などが進められてきました。コロナ禍での工事と言うこともあり予定は遅れましたが2021年6月に改修工事は終了しました。
では、果たしてどのようなお住まいなのか、過去の映像と資料から振り返ります。
1993年に完成した「御所」
御所は、1993年上皇ご夫妻のお住まいとして完成しました。昭和天皇のお后、香淳皇后が吹上大宮御所(昭和天皇のご存命中の「吹上御所」)にお住まいだったこともあり、新たに造られたものです。完成時の御所は大きく分けて、公的な接遇部分、事務部分、私室部分となっています。

この時の総建築費は約56億円ですが、建物の費用は約41億円、庭園や道路などの外回りには9億円、椅子やテーブルなどの調度品に6億円だったということです。完成当時、地上2階、地下1階で部屋数は62。総床面積は4940㎡。

今回の改修は私室部分が中心だったいうことですが、総床面積は5290㎡となっています。実は、2010年頃、私室部分に新たに書庫が増築されており、改修の終わった御所は上皇ご夫妻が引っ越しされた時と大きさは変わっていません。
御所の全体像

今回公開された資料では、御所の全体はこのようになっています。
事務部分は1480㎡で32室、私室部分は970㎡で17室、そして公的な部分、接遇部分は630㎡11室です。廊下など共通部分が2210㎡となっています。事務部分には、侍従や女官、侍医の部屋、ご夫妻の食事を作る調理室などがあるということです。
建設された1993年当時の私的部分の間取りですが、居間が2つ、食堂、寝室、配膳室、上皇ご夫妻それぞれの書斎、和室、研究室、サンルーム、着替え室、仮縫い室、理髪室、医療室、そして長女の黒田清子さんの紀宮様時代のお部屋で、居間、寝室、ご進講室の3つが作られていたとおいことです。
上皇ご夫妻は理容師や美容師に来てもらい、この理髪室で髪の毛を整えられていたのではないでしょうか。このほか2階部分に三種の神器のうち剣と勾玉を保管する「剣璽の間」と急なご公務に臨まれるための執務室も設けられています。
地下はご夫妻がこれまで訪問された国から贈られた書物などを収める書庫が造られ、手狭になったのでしょう。その後、私室部分の一番北側に新しく書庫が造られています。
宮内庁によれば、改修工事により私的部分の間取りは変更していないと言うことですが、ご一家の希望により用途などは変わる可能性があると言うことです。
御車寄(みくるまよせ)
公的な部分は報道陣にも公開されました。公開された接遇部分を見ていきましょう。まずは御所の入り口、御車寄(みくるまよせ)です。


上皇ご夫妻は、車寄せの外で賓客を迎え中へと誘われます。中に入ったところの床は、鹿児島県の沖永良部産の大理石だということです。

入り口から入り、反対側には中庭が見えます。
中庭に面する廊下には、日本調に杉の素材が使われています。

床は織りでできた緞通(だんつう)。四海波をモチーフとしていて波の様子がよく見えます。

この廊下からは、中庭を通る渡り廊下の様子も見ることができます。

渡り廊下の中程には、座って過ごすスペースもあるようで、上皇ご夫妻が夕涼みされる映像も残っています。

休所(平面図1,2)
こちらは、2カ所の休所(平面図1,2)です。皇族に付いてきた職員などが、待機する場所などに使われ、昼食を取ることもあったそうです。


国の内外のお客様をお迎えする広間
こちらは広間(平面図3)です。


この部屋で、2017年11月上皇ご夫妻はトランプ前大統領夫妻と懇談するなど、要人との面会などにも使われています。
もう一つの広間(平面図4)は、3の広間より大きめになっています。

人と会う行事の中心的な部屋です。人数によって3と4の広間を使い分けていると言うことです。右手奥にはドアがあり配膳室へとつながる階段やエレベーターがあるということです。
2011年の東日本大震災に伴い、節電のため宮殿での行事を御所で行った際、認証官任命式や信任状捧呈式は、この広間4で行われました。

ご進講室と応接室
こちらは、ご進講室・応接室(平面図5)です。

窓には緑のカーテンがひかれています。今回は壁のクロスに汚れがあったため、張り替えられたと言うことです。
この部屋は、以前、上皇后さまのピアノが置かれていて、お客さまを招いて音楽会も行われています。また、2019年には、上皇后さまがこの部屋で永瀬清子さんの「降りつむ」という詩を朗読されている映像が公開されています。

食堂

机や椅子などまだ入っていませんが、こちらは食堂(平面図6)です。お客さまと食事を取る際に使われます。
歴史の1ページが生まれた御進講室・応接室

こちらが、ご進講室・応接室(平面図7)です。上皇さまとお客さまとの面談は、主にここで行われています。この部屋は、絨緞に汚れがありクリーニングしたため、公開時は机や椅子は置かれていません。
上皇ご夫妻はこの部屋でゆっくりとした時間を過ごされたこともあったようで、これまで訪問した場所を日本地図にピンされている様子なども公開されたことがあります。

有名なのは、この部屋で上皇さまは東日本大震災の時とご退位の気持ちをにじませたこれらの2本のビデオメッセージを収録されています。カメラの後ろには上皇后さまも立ち会われたと言うことで、歴史の1ページが生み出された部屋です。

皇族休所と静養室
この部屋は、皇族休所(平面図8)です。


奥に見えるのは、やはり皇族休所(平面図9)です。
文字通り、皇族方が行事をお待ちになるなどの際に使われます。
皇族休所9は丸テーブルに椅子、棚などが置かれています。

天井の電灯もおしゃれな作りになっています。

御静養室・客室
こちらは、ご静養室・客室(平面図10)

そして、予備室・客室(平面図11)です。

両方の部屋とも、ベッドが据え付けられています。
当初は、海外からのゲストも御所に泊まれるようにと用意しましたが、上皇さまが、狭いので海外の方が泊まるのは無理とお考えになり、急な体調不良などのためのご静養室と言うことになったということです。
事務部分の改修は最小限に
最後に、32室ある事務部分の改修部分はごくわずかだということです。上皇さまの時代には、侍従は宮内庁庁舎ではなく御所に通勤しこの事務部分で仕事をしていたということです。ただ、侍従全員が御所で仕事をすることを当初、想定していなかったこともあり大変密な状態になっていたと言うことです。
陛下は、非番の侍従などは庁舎での仕事を想定しておられるようで、今後は密な状態にはならない見込みです。
新しい時代に合った使い方
上皇ご夫妻は30年近くこのお住まいで和やかな時間を過ごされたきました。

9月20日、御所での生活を始められた天皇ご一家。上皇ご夫妻が使われていた部屋の使い方はこれからお考えになり変わってくると思います。
密にならないように、大きなお部屋で懇談などを行われたり、オンラインでのご公務など新型コロナウイルス感染症対策のため部屋の用途は変わってきます。
ただ、これから時間をかけ少しずつでも、ご一家にとり居心地のいい場所へと変えていっていただければいいのです。
【執筆:フジテレビ 解説委員 橋本寿史】
【御所の平面図イラスト:さいとうひさし】