アフガニスタンに残る日本人らの退避のため派遣された自衛隊のC-2輸送機が3日に帰国した。任務が行われている間は、自衛隊員や現地の日本人らの安全確保の観点から、ベールに包まれていた現地情勢だが、終結命令後の外務省・防衛省の発表などから、その実態が見えてきた。“緊迫の逃避行”と“任務を遮った不運”に迫る。

任務を終え基地に戻る自衛隊のC-2輸送機 9月3日
任務を終え基地に戻る自衛隊のC-2輸送機 9月3日
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「18日退避計画」が崩れた誤算

カブール陥落の一報が入った日本時間8月15日。夕刻を迎えた東京・霞が関の外務省では、ある会議が行われていた。議題はアフガニスタンにいる日本人らの「18日退避計画」。この時点でアフガニスタンには、渡航者1人や国際機関の職員、現地の居住者などの日本人がいた。人数は「二桁いかない程度」だったという。

18日を目指していた退避。しかし、カブールが当初の想定を上回る早さで武装勢力タリバンの手に落ちたことにより、市内の治安は急速に悪化。外務省担当者は「一度計画を中止・中断し、我々のプライオリティ(優先順位)を変更せざるを得ない状況になった」と振り返る。

結局、外務省は、日本人渡航者1人を間一髪、最終の民間機で出国させた段階で「やれることは全てやった」と判断。大使館の日本人職員12人の国外退避に計画の軸足を移すことになる。

大使館職員「身の危険」緊迫の国外退避

大使館の職員らを乗せ、カブール国際空港へ向かうバス。しかし、その道中は「身の危険を感じる状況」だったという。車両を止めようとする武装民兵との遭遇。安全な場所まで引き返し、空港へのルートを探る。ようやくたどり着いた空港も押し寄せた人々で大混乱となっていた。飛行機から落下して数人が亡くなる場面も目の当たりにした。

飛行機に乗ろうと殺到する市民ら(Twitterより)8月16日
飛行機に乗ろうと殺到する市民ら(Twitterより)8月16日

日本大使館と米軍の間には退避に関する「覚書」があり、米軍機による退避を希望する場合、「15日のしかるべき時間までに集合出来なければ、退避や安全は保証できない」と事前に通知を受けていたという。“決死の逃避行”で空港にたどり着いた大使館職員らだったが、指定された米軍機の離陸時間に間に合うことができず、退避に失敗する。

その後は、混乱の続く空港のロビーに寝泊まりするなどして機会を探る。イギリスの申し出を受け、軍用機によってアフガニスタン国外への退避に成功したのは17日のことだった。大使館職員らの国外退避はまさに「命がけ」のものだった。

自衛隊の輸送機は「最後の手段」

日本政府に残された課題は、待避を希望する日本人らの輸送だった。

当初、民間機による輸送を念頭に置いていた外務省だが、20日に「最後の手段」として自衛隊機の派遣を検討する。岸防衛相は22日、自衛隊に対し、「在外邦人等の輸送」について外務省から依頼があった場合、速やかに準備できるよう指示を発出。翌23日には国家安全保障会議(NSC)の4大臣会合で自衛隊派遣の方針を確認し、同日中に自衛隊機1機が出発。その後、主力となるC-130輸送機も出発し、計4機の自衛隊機が現地に派遣された。

自衛隊のC-2輸送機 8月23日 埼玉・入間基地
自衛隊のC-2輸送機 8月23日 埼玉・入間基地

約500人の国外退避 “テロ爆発”で中断

関係者によると、当初退避を希望した大使館や国際協力機構(JICA)の現地職員と家族は約600人。しかし、空港付近に設けられたタリバンの検問を通過するためには、米軍を通じて事前にタリバン側に退避者のリストを提出する必要があった。タリバンに自身の情報が伝わることを警戒した人が辞退したことなどから、最終的に輸送支援の対象となったのは約500人。現地で調達したバス27台に乗り込み、空港を目指すこととなった。

混乱の渦中にあるアフガニスタンで組み立てられた退避計画。輸送まであと一歩となった場面で“誤算”とも“不運”ともいえる局面が訪れる。現地時間26日18時ごろ、空港周辺でテロとみられる大規模な爆発が発生。米軍の兵士13人が死亡、100人以上の市民が命を落とした。

この影響で米軍が管理する空港のゲートが閉鎖。空港への移動準備がようやく整い、車両で待機していた日本人を含む退避希望者たちは、移動開始を目前にして解散することを余儀なくされたのだ。

大規模な退避が叶わなかったものの、27日に日本人1人が出国。タリバンと良好な関係を結ぶカタールの助けもあったという。しかし、約500人の現地職員と家族は現地に取り残されたままとなった。あと半日でも早く移動開始の準備が整っていれば状況は違ったのかもしれない。

政府・邦人1人保護を強調も…500人輸送できず

自衛隊に“タイムリミット”が訪れた。30日に米軍がアフガニスタンから完全に撤収したことや現地情勢の緊迫、空港に自衛隊機を運航できるめどが立たないことから、岸防衛相は31日、自衛隊に対し帰国のための命令を出した。

結局、自衛隊機による輸送は25日からの3日間。拠点の隣国パキスタン・イスタンブールとカブール間を計5往復し、26日にアメリカからの依頼を受けアフガニスタン人14人、27日に日本人1人の輸送にとどまった。

外務省は「主権国家としてまずは日本人の退避が最大の目標。その上で、一緒に汗をかいてきた仲間が出国をしたいということであればできる限り支援するのが第二の目標だった」とした上で、日本人の輸送という「最重要目標は達成できた」と強調した。

菅首相も1日、「今回のオペレーションの最大の目標というのは、邦人を保護すること。そういう意味では良かった」と評価した。

インタビューに応じる菅首相 9月1日
インタビューに応じる菅首相 9月1日

一方、自衛隊機で退避したジャーナリストの安井浩美さんは超党派の議員連盟の会合で「日本を信じて残っている人に連絡すると、まだ連絡がないと、いまだにはっきりそう言う人たちがいる。日本を信じてくれている」と話し、政府による退避活動の継続を求めた。

その後、日本政府の国外退避支援対象になっている国際機関の協力者とその家族などアフガニスタン人の約10人が、10日までに陸路でアフガニスタンから隣国パキスタンに自力出国している。

政府は今後も、アメリカや関係国と連携して、残された人々の安全確保や退避を働きかけていく姿勢だが、「日本を信じる」人々のために、粘り強い努力が求められている。

(フジテレビ政治部・伊藤慎祐)

伊藤慎祐
伊藤慎祐

フジテレビ政治部 防衛省担当。2011年石川テレビ放送に入社。7年間アナウンサーを務めた後退社、渡英。ロンドン大学ゴールドスミス修士課程終了後、2020年にフジテレビ入社。好きな食べ物はとんかつ。