かつて“奇跡の鉱物”とまで呼ばれていたアスベスト(石綿)。高度経済成長期には、耐熱性、保温性の高さから建設用資材など、さまざまな製品に使われていた。

一方、今ではアスベストは「中皮腫」というがんの一種を引き起こすことが分かっている。被害に遭ったのは、アスベスト工場の作業員だけではない。「どこでアスベストを吸ったのか分からない」人たちも大勢いるのだ。

彼らには労災が適用されないため、企業からの補償金がない。国による療養手当もわずかで、生活が困窮している人も少なくない。

日々悪化する容体、そして死。

2016年に中皮腫だと診断された右田孝雄さんは、患者同士をつなげ、現状を変えようと試みてきた。

後編では、自分たちを取り巻く環境を変えようと声を上げ始めた患者たちの姿を追う。

【前編】5年生存率はわずか7%。アスベストを吸ってから数十年後に発症する希少がん「中皮腫」患者のいま

「状況改善の近道は、患者が立ち上がることではないか」

希少ながんである中皮腫は、治療法が確立していない病気だ。中皮腫患者の右田孝雄さんは、治療法を増やせればとの思いから、新たな計画を立てていた。

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仲間たちとの集会で、右田さんのパートナーである栗田英司さんが口を開く。栗田さんは33歳で中皮腫と診断されてから、4度の手術を乗り越え、命をつなぎとめてきた。このとき52歳。

「年間1500人の中皮腫患者さんが亡くなっています。1カ月にすれば、100人ちょっと。もしオプジーボが1カ月早く承認されれば、治療法の幅が広がって、その数を減らせるかも知れない」

淡々とした口調のなかに、強い思いがにじむ。新しいがんの治療薬オプジーボを中皮腫でも使えるようにしてほしい――。

「セーフティネットに関しても、まだまだ穴が多い。こういったところを改善していくためには、やっぱり患者自身が動かなきゃダメだと思う。患者という当事者が声を上げないから、意見を受けるほうもそんなに真剣にならない」

同じ患者の中の格差をなくして欲しい。右田さんと栗田さんは、普段孤独になりがちな中皮腫患者を100人集め、国に訴えたいと考えていた。仲間たちもまた、それぞれにその意義を感じていた。

「私自身、アスベスト疾患は、人災であると思っているんです。普段は1人で心の中で思っているだけだから届かなくても、50人、100人集まれば届けられることがあると思うんです」(中皮腫患者の原修子さん)

残された命で、アスベストの問題に対して最善を尽くしたい

中皮腫患者の容態は、日々刻々と変化する。栗田さんはがんが肺や肝臓に転移し、入退院を繰り返すようになった。

見舞いに訪れた右田さんは、痩せてしまった栗田さんを見て、「痩せたなあ、男前になって」と冗談めかす。手土産は、「永久に不滅です」と書かれたTシャツ。野球ファンらしいセレクトだ。

栗田さんに、なぜ活動を続けるのか問うてみた。

「僕に残された命は短いかもしれないけれど、自分の家族、友達、地域だとか、もっと大きく言うと日本の社会のために、特にアスベストという問題に対して、自分が今できる最善のことをしたいと思っている。それは、この活動しかないんですよね」

活動を続けることで、直面することもある。この日、右田さんのもとに入ったのは、仲間の一人が亡くなったという知らせだった。

「華奢ながらすごく元気なお母さんで、絶対に治す、絶対もう一回元気になってみせるって言っていたんですよ。亡くなったと聞いたときは、どれだけ悔しかったか…。もうそんな思いしたくないんですよね」(右田さん)

多くの患者と出会えば出会うほど、多くの死とも向き合うことになるのだ。流れる涙を止めることのできない右田さんは、さらに決意を強めたようにも見えた。

霞ヶ関に集結したアスベスト被害者200人が訴えた怒り

2018年6月。アスベスト被害にあった患者とその家族たちが集まり、省庁との交渉を行った。その数は、総勢200人以上。国に思いをぶつける。

「薬が効いておらず、今、毎日続く痛みを抑えている状態です。100メートルぐらい歩くと、息切れして一回休まないと歩けない。そんな状態で、毎日暮らしているんです。だから、薬の早い承認を待ち望んでいます」(中皮腫患者の髙杯明好さん)

同じく患者の藤原妙子さんは、声を震わせながら訴えた。

「あまりにも希少な病気なので、医師の知識に偏りがありすぎます。中皮腫は、国に責任がある病気です。国で対処をしてください。事業所に委託しないでください。お願いします。そして、医師の知識不足で発見が遅れたり、誤診されたりすることがないように、一刻も早く手を打ってください」

ある石綿肺患者は、国への怒りをにじませる。

「アスベストは、あくまでも国が輸入を調整して、国が耐火建材として広めて、その上で我々被害者がいるんだよ。原因を作ったのは国なんだ。国が加害者なんだ」

鼻に管を通した状態で参加した石綿肺患者もいた。彼女は、子どもを持つ母親だ。

「10万で通院費?療養費?それじゃあ患者は、救済費をもらって霞を食べて生きろというんですか?うちみたいに子どもを育てなければいけない家もあるんです。子どもに『お金ある?』って聞かれる気持ちがわかりますか?」

別の中皮腫患者も、若き親の立場から訴えた。

「私は30歳で発症しました。原因はわかりません。前に座っている省庁の方々と私の年齢は、そう変わりません。私、2歳の子どもがいるんです。子どもがランドセルを背負う姿、制服を着る姿、全部見たいと思っています。少しは自分の身になって考えてみてください」

右田さんが訴えたのは、ただ生きたいという願いだ。

「あんたら、生きるために仕事してるんだろう? だったら、仕事のできない患者も生きられるようにしてくれよ。こっちはみんな生活がかかってるんだ」

中皮腫の発症のピークは、2020年代後半とも言われている。これから発症する人たちのためにもという思いで、患者たちは声を上げ続けた。

新薬「オプジーボ」に託された願い、そして仲間の死

2018年8月。家族で花火を見上げる右田さん。余命宣告をされたあの日から、2年以上の月日が経った。

右田さんが「また来年も見られるように頑張りましょうか」と言うと、父の弘美さんが「病気がなかなか進まなかったら、5年10年と生きると思うんやけど…。せめて10年は」と返した。右田さんは、「10年後も生きてたら、まだ生きてるわって言われそうだ」と笑う。

この月、新薬「オプジーボ」が胸膜中皮腫にも使えるようになった。患者の願いだった新しい治療法が受けられるようになったのだ。オプジーボの治療効果が出る確率は3割程度だといわれているが、治療法の確立していない中皮腫患者にとっては何よりの朗報だった。

右田さんはさっそく、オプジーボによる治療を開始した。

埼玉県に住む髙杯さんも、新しい薬に希望を抱いている患者の一人だ。髙杯さんは先日、二の腕を骨折したばかり。荷物を持っただけで折れてしまったのだという。しかし新薬の認可は朗報だ。

「どういう効き方をするかわからないけど、抗がん剤と違う治療法はほかにないんだから、やるしかないもんね」

容態は日に日に悪化しているが、すがる思いで治療を続けた。

次に右田さんたちが取り組んだのは、中皮腫に関するウェブサイトの作成だ。患者が前向きに生きられるようにと、闘病性活の助けとなるようなサイトを目指している。

この日は、動画撮影の日。右田さんは栗田さんとともにカメラの前に座り、話し出すが、栗田さんが口ごもってしまう。

「うまくいかない、頭が働かない」

いつも冷静な栗田さんが取り乱す姿を見るのは、初めてのこと。それだけ体調が思わしくないということだ。栗田さんは「最近、体調は悪いよ。一番大変なのは、肝臓の半分以上ががん化していること。がんで肥大化した肝臓が胃や小腸を押しているから、ものを食べるのが大変」と吐露する。

栗田さんが話している横で、突然ツーショットのセルフィーを撮影しはじめる右田さん。

スマホをいじり続ける右田さんに、あえて「心配じゃないんですか?」と問うと、「心配だけど、ごまかしてるんじゃないか」と顔を伏せ、「ほんまに言ったら、涙しか出てこない」と続けた。

一方、右田さんの症状は、新しい薬のおかげで安定していた。治療を担当している和歌山労災病院の細隆信医師から結果を聞いて「こりゃ治るな」と笑う。「ある程度の効果が見込めそう」と細医師も治療に前向きだ。

しかし、その矢先の知らせだった。細医師から、同じ病院で治療を受けていた闘病仲間の死を告げられたのだ。

オプジーボ治療をしたものの、その効果が見られる前に容態は悪化。「もうちょっと早くやってあげたかったね」と細医師が哀しんだ。

未来の中皮腫患者たちにたすきをつなぐために

2019年1月、かねてから制作してきた中皮腫ポータルサイト「みぎくりハウス」がスタート。その直前の会議には、栗田さんも出席していた。体はさらに痩せ細り、頬もそげ落ちている。栄養補給のために口にするのは、キャラメルだ。

2人の目標の一つだったウェブサイトが完成したこの日、栗田さんは悪化する体調を隠しきれなかった。

ウェブカメラでの会議中、栗田さんは中座し、暗がりの席に移動すると机に突っ伏してしまったのだ。

2019年2月、また一人、仲間がこの世を去った。1カ月ほど前に見舞いに来たばかりの髙杯さんの自宅へ、弔問で訪れる。

「最後はさすがに『俺はいつになったら死ねるんだ』って言ってた。あんまりに苦しくて痛くて」(妻の髙杯弘美さん)

右田さんは、「これからは痛がらなくていいから、ゆっくり休んでと言ってあげたいね。痛みからの解放だけは、よかったことなのかなって…」と遺影に語りかけるように話した。

今は元気に過ごせる日常。日々明るく振る舞うことで、右田さんはよぎる不安を拭い去っている。仲間の死を迎えるたび、自分の病の重さを痛感する。

自宅で孤独を抱える夜、悲しい気持ちになることもある。

「悲しくなったら、こいつを抱っこするんです。あったかいでしょ、犬って。だから、お互い生きてるんだって確認できるんですよ」(右田さん)

中皮腫発症のピークがやってくるのは、これからだ。中皮腫患者は今後も増えていくだろう。

余命宣告を受けた患者たちは、逃げたくなるような現実の中でも、残された1日1日を精一杯生きている。そして、これから発症する人たちのために命を削る覚悟で行動し続けている。


【前編】5年生存率はわずか7%。アスベストを吸ってから数十年後に発症する希少がん「中皮腫」患者のいま

関西テレビ
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