1982年7月23日に起きた長崎大水害から39年。未曾有の豪雨によって河川の氾濫や土砂災害が相次ぎ、299人が犠牲になった。
こうしたなか、土砂災害の危険地域にありながら、当時の長崎大水害でも人的な被害がなかった山間の集落がある。
そこには、江戸時代から伝わる災害の伝承があった。

過去の大雨災害でも人的被害なし

長崎市大田尾町山川河内。

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山間の集落に30世帯が暮らすこの地域のほとんどが、土砂災害特別警戒区域に指定されている。このため地域内に避難所はなく、万一の時には地域外の日吉地区に早めに避難するしかない。

地区内には、石積みの小さな祠に馬頭観音とよばれる観音様が祀られている。
お寺の過去帳によると、江戸時代の万延元年(1860年)には祠の横の小さな水路、「逃底川」(ぬげそこがわ)と呼ばれる川筋で33人が亡くなる土砂災害が起きた。

馬頭観音は、このとき犠牲になった牛や馬をも供養するためのものと考えられている。
こうして、折々に仏教のお経を唱えながら鉦(かね)を鳴らす「鉦はり」が行われ、160年以上前の犠牲者を供養している。

昭和57年(1982年)の長崎大水害でも、この地域では土石流が発生し、家屋2棟が流されたが、人的な被害はなかった。

当初、行政では災害発生前に自治会長などの主導により、地域全体での避難が行われたものと考えられていた、実際にはそれぞれの住民の判断で、適切な自主避難が行われていたことが、長崎大学の高橋和雄教授らの調査で明らかになった。

長崎大学・高橋和雄名誉教授:
地域の行事、営みの中で災害が起こるということも、みなさんにインプットされていたから、いざというときに対応できたと思います。
典型的な谷あいの町、浸水と土砂災害が同時に起こる所に住んでいるということを皆さんが認識している限り、この(地域の)防災力は大丈夫だと思います

「念仏講饅頭」が防災意識を根付かせる

各家庭が持ちまわりで集落の全世帯にまんじゅうを配る、「念仏講饅頭(まんじゅう)」。
江戸時代の水害の犠牲者を供養し災害を忘れないようにと、2018年まで毎年14日を月命日として行われてきた。

花の栽培農家が多く「花の里」と呼ばれてきた地域だが、次第に会社勤めの人が増え、毎月14日のまんじゅう配りは負担が多いとして、今は年に1回の自治会行事となっている。
2021年は7月18日に江戸時代の土砂災害の犠牲者を供養したあとに、公民館でまんじゅうが配られた。

藤川義信さん:
2度とああいう大きな災害が起きないよう念じながら、(まんじゅうを)供えますね。(長崎大水害の時は)道路が川になってしまった

藤川義信さん:
(濁流に)雨戸を叩き破られて、ばさーっと土砂が侵入して、あれ(壁のしみ)があの時の傷跡でしょうね、壁がですね

この日は年の初めに願立てをし、半年間無事に過ごせたことに感謝する「御願成就」の日。
地域内にある11の観音様やお地蔵様、水神様などを手分けしてお参りする。
2021年は新型コロナの終息を願った人も。

住民:
最終的には治療薬ができないと収まらんですもんね。やっぱコロナでしょう

こうした地域の年中行事は年間10回にも及ぶ。

田川徳見自治会長:
長崎大水害の時にも大変なひどさだった。観音様の首だけ流れて体は残っていたが、私たちの身代わりになって流れて、(地域の)全部の人を助けてもらった。全部の人が一丸となって地域を守っていくということだと思います

長崎大水害のあと、この地域には砂防ダムが建設された。
このうち、水神様を守るかのように立つダムの最上部から水があふれ出たら避難しようと、住民は申し合わせている。

毎月1度だった念仏講饅頭配りが年に1回になっても、山あいの斜面地に暮らす人々には江戸時代の災害が伝承され、防災意識として根付いている。

(テレビ長崎)