体操・白井健三がわずか24歳で引退を決めた。その会見では「スッキリしている。選手としての未練は一つもない」と清々しい表情を見せていた。

“ひねり王子”として名を知らしめた16歳。初々しく「オリンピック出場は夢です」と語った17歳。リオオリンピックの興奮をはち切れんばかりに語った19歳。友との別れを悲しんで涙した22歳。

2013年から2021年まで密着した9年間。ここでは取材時の呼び方である「健三くん」と言いたい。3000日の中で健三くんの引退までの苦悩と葛藤を追った。

前編では、世界選手権やリオオリンピックでの活躍を経て、日本のエースに成長していく健三くんが大切にしていたものに迫る。

(【後編】白井健三「後悔がないことが後悔」本人が明かしていた“引退”を覚悟した胸の内

17歳で世界デビュー

わずか16歳で日本代表の座を射止めた健三くんは、日本体操史上初となる17歳の高校生で世界選手権に出場し、ゆかで金メダルを獲得。その後も毎年日本代表に名を連ね、世界選手権で獲ったメダルは金メダル5個、銀メダル3個、銅メダル3個。

2016年にはリオオリンピックにも出場し、団体の金メダルに貢献。個人では種目別跳馬で銅メダルを獲得した。

この記事の画像(14枚)

初めて健三くんに会ったのは2013年、彼が17歳の頃だった。初の世界選手権を前に、体操クラブの仲間たちは健三くんに向けて応援の寄せ書きを書いていた。

この時すでに、のちに“シライ”の名前がつく大技、後方伸身宙返り4回ひねりは完成していた。

自宅では夕食で「野菜が嫌い」などと素顔を見せる。「三人兄弟の末っ子だからか、甘えん坊なところもある」と両親は明かした。

夕食後には「世界選手権に早く行きたい。勉強めんどくさい」と、17歳らしい顔も垣間見せていた。

高校2年生で出場した世界選手権では、種目別のゆかで大技“シライ/グエン”・“シライ2”を決め、金メダルを獲得。世界デビューを果たす。

追っている選手が“時の人”になっていく不思議な感覚があったが、それでも彼は普通の高校生だった。

友人たちと飲食店で過ごしていると、「白井さんですか?」と同世代から声を掛けられたことも。“時の人”になったことで生活が一変したか聞くと、「声を掛けられることもありますけど、一緒にいるメンバーが一緒だからそんなに…」と冷静だった。

特別扱いされるのは好きじゃなく、「天才」と呼ばれることも嫌った。

学校では、友人たちとサッカーをして過ごすこともあった。お昼前、授業の合間にお弁当を食べていると、密着するスタッフに「食べます?」と冗談を言うことも。

相手を思い、仲間を思う。それが健三くんだった。

興奮のリオ五輪、冷静な東京五輪

2015年、18歳の健三くんは日本体育大学・体操競技部へ進学。この日から寮生活も始まった。

入寮初日、同部屋のメンバーと赤飯で入寮祝いをした。日体大を選んだのは「校風に惹かれたから」だと話していた。

2016年8月8日。19歳、大学2年生の時にリオオリンピックに出場。体操男子団体決勝で大技“シライ/グエン”、“シライ2”を決め、金メダルをつかんだ。その姿に、近い将来日本のエースになる予感を覚えさせた。

リオから帰国したその夜、寮で待っていると大きな荷物を持ちながら「(リオは)遠い!遠い。遠すぎません?」とこぼしながらも、楽しそうな様子を見せる。荷物を整理する傍ら、「メダル掛けます?」と気さくに声を掛けてくれた。

この日、福井県で全日本学生体操競技選手権(インカレ)があったため、寮には誰もいなかった。健三くんは帰国したその足で、翌日に控える試合の応援へと向かった。

その道中、興奮冷めやらぬ健三くんはリオオリンピックの喜びを朝まで語った。

「オリンピックの音って現地でしか伝わらないじゃないですか。団体決勝の映像とかもあるんですけど」と、現地で聞こえた生の声援や歓声に圧倒されたと振り返る。

リオオリンピックの次は、東京でオリンピックが開かれる。健三くんは、東京オリンピックへの道のりを冷静に見つめていた。

「リオで金メダルメンバーになるのは自分のプランにはなかった。『東京オリンピックにまず出たい』だったので。そこからから始まった1年で、すごく順調に進んでいるなと思いますけど、順調、順調で行くわけでもないので、どこかスランプとかケガとかあるのかもしれない。結果、東京オリンピックに向かえればいいかなと思っています。

ゴールじゃないですもん。これが始まりって感じです。大体の人は『オリンピック終わった、ちょっと休もう』ってなるじゃないですか。だけど今は超反対ですね。だってオリンピックのためにやってきたのに、またこれから始まるんだった思いますもん」

リオから帰国し、疲れも抜けないまま、すぐに駆け付けた仲間が戦うインカレの会場。わざわざ応援に行ったその理由は一つ、彼にとって仲間は家族だからだ。

インカレが終わったその夜、健三くんのオリンピックでの活躍を寮の仲間たちが労った。

健三くんは仲間たちにお土産を配り、お揃いのTシャツを着て、皆で笑顔の記念撮影。最高の仲間が健三くんを囲んでいた。

「2020年で引退する可能性もあります」

2017年、大学3年生で出場した世界選手権では、個人総合で銅メダルを獲得。種目別のゆかと跳馬でも金メダルに輝き、日本のエースへと着実な成長を見せる。

大学4年生の時には、NHK杯の個人総合で内村航平に次ぐ2位に。全日本体操種目別選手権でゆかは6連覇を果たした。

この時、“内村の後継者は白井健三”と、誰もが信じていた。

体操の点数は、技の難度を示すDスコアと、出来栄えを示すEスコアの合計で決まる。

健三くんの特徴は、F難度のシライ/グエン(後方伸身宙返り4回ひねり)やシライ2(前方伸身宙返り4回ひねり)、H難度のシライ3(後方伸身2回宙返り3回ひねり)など、難度の高い技を構成に組み込み、Dスコアを高くしていること。彼が完成させ、“シライ”の名前がついた技はゆかと跳馬で合計6つ。前人未到の技に挑むことが健三くんの魅力だった。

若くして体操の歴史に名を刻んだ健三くん。しかし、東京オリンピックまであと2年に迫っていた2018年、彼はこんな告白をしていた。

「畠田先生(当時・体操競技部の監督)にも相談してて、『2020年で引退したい』とは言ってないんですけど、『20年に引退する可能性も普通にあります』と言っていて。『20年で引退するって決めてオリンピックに出るな』って言われました。『僕の体操はそんなに寿命が長くないので』と言ったんですけど、それは勝手というか、(畠田先生に)好きにしていい(と言われた)」

「僕の体操の寿命は、長くない」

その言葉が現実となるのは、遠い先の話ではなかった。

ケガを負い、日本代表入りを逃す

2019年、大学を卒業した健三くんは日本体育大学大学院に進学。だが2月に、左足首にケガをしていた。振り返ると、この時すぐに休んでいれば、違う未来があったのかもしれない。

しかし国際大会が目前に迫っていることもあり、無理をしてしまった健三くんのケガは悪化した。

前年は2位に入った全日本体操個人総合選手権で、着地に苦しんだ。得意のゆかは意地で着地を決める。しかし、得点は伸びなかった。リオオリンピック後に採点基準が見直されたことも影響したのか、30位で終わった。

大会後、健三くんは「悔しい思いを久々に試合でした。なぜ今の点になっているのかを知らないと点を取る練習ができない。なぜ、その点になったのかを知ることから始める」と練習を見直す決意を口にした。

着地の際には足首にすさまじい力がかかり、激痛が走る中の演技はさまざまな技に影響。この年、6年間続いた日本代表入りも逃した。
 


後編では、ケガと戦い、じわじわと忍び寄る衰えや“下り坂”の現実を受け止めていく健三くんが、どう幕引きを決めたのか、その姿を追っていく。

(【後編】白井健三「後悔がないことが後悔」本人が明かしていた“引退”を覚悟した胸の内