体操・白井健三がわずか24歳で引退を決めた。その会見では「スッキリしている。選手としての未練は一つもない」と清々しい表情を見せていた。

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“ひねり王子”として名を知らしめた16歳。初々しく「オリンピック出場は夢です」と語った17歳。リオオリンピックの興奮をはち切れんばかりに語った19歳。友との別れを悲しんで涙した22歳。

2013年から2021年まで密着した9年間。ここでは取材時の呼び方である「健三くん」と言いたい。3000日の中で健三くんの引退までの苦悩と葛藤を追った。

後編では、ケガと戦い、じわじわと忍び寄る衰えや、“下り坂”の現実を受け止めていく健三くんが、どう幕引きを決めたのかに迫る。

(【前編】順調だった白井健三の体操人生。リオ五輪後に語った「僕の体操寿命はそんなに長くない」

調子が上がらず、悩み続ける日々

東京オリンピックが1年後に迫った2019年。つかの間の休日をお台場で過ごしていた健三くん。

リオオリンピックから3年、高みに登った健三くんは、一転苦みの中にいた。

水陸両用バスに乗り、海から建設中の選手村を眺める。

「不思議ですよね。ここでオリンピックやるって。人生の中でなかなか言えないですよね。4年前(のリオ五輪)は30時間かけなきゃ行けなかったのに、贅沢ですよ」

東京オリンピックへ向けて胸が高鳴るが、問題は体だった。足のケガが全体に影響し、負のスパイラルに陥っていた。

練習中も上手くいかず、いら立ちが募る。

この年、健三くんがいない世界体操で、日本は団体で銅メダルを獲得した。

2020年1月、オリンピックイヤーの幕開けに多くの報道陣が彼の元に集まっていたのは、健三くんが復活し、代表に選ばれると思っていたからかもしれない。

しかし調子は上がらなかった。健三くんの体操は、高難度に挑む体操。そのこだわりが、自身を悩ませていたのだ。

そうした中、3月には新型コロナウイルスの影響により、東京オリンピック・パラリンピックは1年の延期が決まった。

4月には緊急事態宣言の発令により、練習場所の体育館は閉鎖され、練習できない日々が続き、それは健三くんにも影響を与えていた。

7月、開催延期で東京オリンピックの代表選考が翌年に持ち越される中、健三くんは後輩の大学生たちと食事をしていた。

コロナ禍でままならない日々に「毎年この時期は、自分が何番で、『ここの点がこうで』とか考えている時期。それが何もない3カ月になっちゃった。僕はよかったですけど。何も気にしなくて済んだので。

最近人からの評価を気にし過ぎて、自分の体操にマイナスになっていたところがあって。ここが減点だよって言われると『この技抜こうかな』とか、やりたいのに抜かなきゃいけないとか、そういう体操ばかりだった」とこぼした。

2019年に負った足首のケガから陥ったスランプ。その出口は見えたのだろうか。

「(オリンピックの延期は)後々にならないと分からないけど、今年(オリンピックが)あったら行けなかった。普通に行く気もなかったです。めちゃくちゃになったまま、適当にまとめようとしていたので。試合やればどうにかなるかなって考えが結構大きかった。失敗してもそんなに不思議じゃない。失敗してもいいかなって、プライドとかも全然なかった」

煮え切らない思いを抱える彼はふと、延期されていなかったら、東京オリンピックが目前に迫っていたことに気付く。

「どうなってたんだろうな。家で見ていたんだろうな。見てなかったかもな」と複雑な心境を明かし、最後に「幻のオリンピアンにならないようにしないと」とこぼした。

「仲間のため」だから頑張れる

健三くんが体操をする、そして頑張ることができる理由は「仲間」の存在があったからだ。

日体大の寮で過ごしたかけがえのない仲間は、おおらかでちょっとおバカで優しくて、そんな仲間たちが彼のストイックな体操の支えになっていた。

彼らといる時は年相応の顔を見せ、肩の力は抜けていた。寮でも練習所でもオフも一緒。

2018年、大学4年生の全日本学生体操競技選手権の団体戦でも、健三くんは仲間のために戦った。仲間のためなら、いつも以上の力が出るのだ。

この時、日体大は4年ぶり34回目の優勝を飾った。健三くんにとって初めての日本一だったこともあり、大粒の涙をこぼし続けた。

それから2年が経ち、2020年9月、コロナ禍が収まらない中、全日本シニア選手権が始まった。

健三くんにとっては、年明けから始まる東京オリンピックの代表選考を占う大会でもある。この大会で上位に食い込めば、代表復帰も見えてくる。

しかし調子は今ひとつで、かつてできていた高難度の技ができなくなっていた。

難度を上げてDスコアを狙うか、下げてEスコアに賭けるか、健三くんは悩んでいた。自分らしさを選ぶか、確実性を選ぶのか。直近の大会では個人総合が23位。このままいけば東京オリンピックには出場できない。

日体大・畠田好章監督(当時)との話し合いは長引き、監督は「ひとまず難度を下げたらどうか」と忠告。高難度の技はその先にあるという意見だった。しかし、それは自分を曲げることにならないかと、悩み続けた。

この大会には、鉄棒一本に絞って代表入りを狙う内村航平の姿もあった。一度は肉薄した憧れの先輩。しかし健三くんは一つの種目に絞って代表を目指す道ではなく、6種目に挑戦することを決めていた。

本番の演技で健三くんはH難度の“シライ3”を封印し、Dスコアを下げて臨んだ。迷いながらも、畠田監督の忠告を受け入れた。

しかし、今できる精一杯の演技で臨んだ結果は24位。表彰台には遠く及ばず、かつて延々とついてきた取材陣の姿はもうなかった。

「デビューが早いからこそ終わりも早い」

年明けから始まる東京オリンピックの代表選考の見通しは暗いまま。そんな中、健三くんは後輩を食事に誘った。膝をケガし、インカレを欠場することになった彼を励ますためだった。

自分と全く同じタイミングでケガをした後輩の姿に自分を重ね、こう語り出した。

「ケガのあとから僕はもうずっと調子が下り坂で。絶対に今は我慢した方がいいって、自分の調子でわかっている。一つのケガで体操人生が変わる。(僕は)変わったけど、別に悪いことではなくて、良いように捉えることもできるようになったけど、やっぱりあのケガがなければなって思うことは多い」

思い切って健三くんに「ピークは過ぎたのか?」と聞くと、そこから彼の思いがあふれ出た。

「それは自分でわかっていたけど、去年までは思えなかった。もう1回上がるかなって。でも当時ほど上がることがないことは、自分の中で割り切っている。周りは『もう1回上がる』って言うけど、自分でわかる。自分の体のことなので。

前ほど戻ることはないかもしれないけど、戻っていない体の中でどう頑張るかとか、そういうものは、オリンピック選手という肩書を持っているからには示していくことも必要。出来や点数ではなく、姿勢で示せるのかなって。

いつまでもいけるわけではないと思っていて、“デビューが早いからこそ終わりも早い”って割り切っていたので。今はピークが去ったこともショックではないし、自分がやるべきことを淡々とやるだけだと思っている。

結果が残せないことや思うように体が動かせないことに関して、ショックとか悔しさはない。受け入れているから。僕のいけなかったところは“体操人生に後悔がなかった”こと」

そう言い切り、微笑む健三くんは、自身の引き際について語った。

「後悔があれば『あの時…』みたいなエネルギーがあるんですけど、自分は贅沢な思いをさせてもらい続けてきて、これから“こうしなければいけない”みたいな思いが、人より足りなかった。そこが唯一の後悔。後悔がなかったことが後悔。オリンピックでもメダルを獲らせてもらって、世界選手権でもメダルを獲って個人戦でも獲って、これ以上求めることがないところまで来ちゃったから、人より体操に対するエネルギーがなくなるのが早い。

もっと後悔しておけばよかった。辞め方とか全然ない。今までやってきたことが出せればいいし、最後の試合がボロボロでもそういう人生だったって思えるし、試合を決めるのは練習だと思うので練習は精一杯やる」

それでも、東京オリンピックを目指す理由は「東京オリンピックに挑戦した自分を残しておきたいから」だという。

「学生のみんなと練習過程を頑張りたいって気持ちは強いです。『オリンピックに行きたい』というより、『オリンピックをみんなと目指したい』ことが大きい。そこがほとんど。最後まで頑張ることが大事、どんな終わり方でも。

だったら最後オリンピック予選に出て、行けなかった結果を残して終わった方が自分の中で後悔がない。まだ決まったわけではないけど、行けなくてもオリンピックイヤーの代表選考まで自分がやったという形だけ残れば、それは次に生きていく」

「1日でいいから、戻りたいな」

2021年、健三くんに大きな変化が訪れていた。技の難度を下げることに決心がついていたのだ。

代表を諦めたわけではないが、まずは基本の動きを固めることで、かつての体操を取り戻すきっかけになればと考えていた。

2021年4月、健三くんの東京オリンピック代表への戦いが始まった。『全日本個人総合選手権』、5月の『NHK杯』、6月の『全日本種目別選手権』の3つの大会の結果で、代表が決まることになる。

皮切りの『全日本個人総合選手権』では、技の難易度を下げ、精一杯演じた健三くん。大きなミスだけはしないと必死で踏みとどまるも、結果は28位。事実上、東京オリンピック出場はほぼ絶望的になった。

そんな中、健三くんから「話したいことがある」と連絡を受ける。

高校・大学と体操競技部で一緒に過ごした親友も呼び、普段と何も変わらない様子を見せる健三くん。

「6月の種目別選手権を最後の演技と思って観てほしい。最後とわかっているのといないのとでは違う。“白井健三、最後なんだ”って思ってほしい。最初にお伝えしておかないといけないと思って」

“引退”という言葉こそ使わなかったが、その覚悟をにじませた。

「自分が割り切れていることが一番いいことだと思いますけどね。今はもう最後、後悔がないように絶対やり切るって決めてやっているのでガンガン練習してますよ。色々なものを思い出せて楽しいです」

最後の演技となる『全日本種目別選手権』直前、健三くんは「同期には『引退する』って伝えました。その時も本当に優しくて、最後は好きに頑張れみたいなことを言ってくれて。時の流れは早い。戻りたいな、1日でいいから。何気ないシーンをもう1回やりたいと思うんですよね」と語った。

迎えた最後の大会、全日本種目別選手権。

現役生活最後のゆかの演技は、15.133という高得点を叩き出した。

健三くんの東京オリンピックの出場は叶わなかった。しかし、健三くんは「今できる、満足できる演技だった」と選手人生を終えた。

(【前編】順調だった白井健三の体操人生。リオ五輪後に語った「僕の体操寿命はそんなに長くない」