昭和天皇の后、香淳皇后が亡くなって21年となる6月16日、皇居の宮中三殿とお墓のある東京・八王子市の武蔵陵墓地で例祭がおこなわれました。

武蔵陵墓地にある香淳皇后の山陵、「武蔵野東陵(むさしのののひがしのみささぎ)」には秋篠宮家の長女・眞子さまが皇族を代表して参拝されました。

皇室の山陵での祭祀の様子を振り返ります。

「国母」と慕われた香淳皇后

香淳皇后は、昭和天皇の地方巡幸に同行するなど皇后として昭和天皇を支え続け、その笑顔から国母と慕われました。1989年に昭和天皇が逝去し、皇太后という立場になられましたが、認知症が進んでおり、公の場に姿を見せられることはありませんでした。そして、2000年6月16日に97歳でその生涯を閉じられました。

亡くなられてから6月16日は香淳皇后の命日として皇居とお墓のある武蔵陵墓地で祭祀が行われています。皇室の祭祀には天皇陛下がお祭りを行う「大祭」と掌典長が行う「小祭」があります。(ただし、節折の儀や大祓の儀などはどちらでもない宮中祭祀もあります。)

香淳皇后の毎年命日に行われる「香淳皇后例祭の儀」「香淳皇后山陵例祭の儀」は「小祭」となっています。

ちなみに、10年ごとの節目に行われるご命日の祭祀は、「式年祭」と呼ばれ、山陵に両陛下のお使い「勅使」が参拝するなど、「大祭」だということです。

山陵の儀では、まず祭祀を行う掌典たちが奉仕員として、山陵に進みます。その後に、参列者が山陵前のテントに着席します。

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新型コロナウイルス対策で参列者を絞って

今回は、新型コロナウイルス対策として、参列者を絞り12人が出席しました。出席者は、宮内庁の陵墓課長のほか昔宮内庁の職員としてお仕えした人などです。そして、祭祀が始まる直前に、眞子さまが車で鳥居前まで進み、降車して山陵前のテントへと入られました。

眞子さまは、薄いグレーの参拝服と呼ばれるロングドレスに黒の帽子、そして今回はマスクを着用されていました。眞子さまが着席すると、笛、笙、篳篥(ひちりき)による雅楽が演奏され始めます。

そして、まず行われるのは、掌典により神饌が並べて行かれます。

山のもの、海のものを供えて

米、塩、水、餅、昆布、山のもの、海のものなどが三宝とよばれる台に乗せられ山陵前に供えられていきます。 リンゴやキャベツなどが乗せられた三宝一つ一つが掌典の人たちによりリレーされ運ばれました。こうしたものは、献上するお食事として供えられているようです。最後に、赤い布に覆われた柳筥(やなぎばこ)に入った幣帛が供えられました。

幣帛とは、一般的には、布や紙を串に刺した御幣とよばれるものを指しています。

これらの神饌とは別に、事前に置かれたお供え物もあります。

山陵の左側には上皇上皇后両陛下の名札が付けられた紅白の「押もの」というお菓子が供えられています。その左に常陸宮家の名札が付けられたお供え物がありました。右側に目を向けると、名札のない紅白の「押もの」、さらに右側には秋篠宮家の名札の入ったお供え物がありました。

実は、天皇皇后両陛下の名札が付けられたお供え物はありませんでした。

掌典に確認したところ、今回の祭祀の主祭者は天皇陛下であり、名札の付いていないお供え物は全て両陛下からのものであり、名札は付けないとのことでした。

眞子さまの拝礼

掌典が大和詞によりお祭りをさせて頂くことを奏上する祝詞を読み上げた後、眞子さまはテントを出て山陵前に進まれました。山陵前には御座のような敷物が敷かれ、その上から深々と拝礼されました。

眞子さまがテントに戻られると、参列者が次々と拝礼していきます。

祭祀が始まって約15分。再び雅楽が演奏される中、並べられた神饌が下げられました。そしてその約5分後、眞子さまは山陵を後にされています。

車に乗る際には、報道陣や参拝に来ていた一般の人たちに会釈をされています。

1月の昭和天皇の命日に行われた「昭和天皇祭の儀」以来、5カ月ぶりに皇室の行事に出席された眞子さま。

マスクを着用されていた中にも、穏やかで厳粛な雰囲気を感じました。

【執筆:フジテレビ 解説委員 橋本寿史】