雲仙・普賢岳大火砕流から30年…当時の報道と向き合う

多くの犠牲者が出た長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から30年。
当時を知るフリージャーナリスト・江川紹子さんが、災害報道の原点、島原を訪ねた。

フリージャーナリスト・江川紹子さん:
日常を見ないで 目的を持って「これを撮ってきて」となると、被災者とのずれみたいなものが出てくる

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2021年6月6日に島原市で開かれた集会。
噴火災害の教訓や地元住民の声を今後の災害報道に生かそうと、新聞やテレビなどのマスコミの労働組合が開いた。

43人の犠牲者を出した雲仙・普賢岳の大火砕流から30年となる2021年の集会では、島原市の元職員や報道関係者など7人が当時を振り返った。

フリージャーナリストの江川紹子さんは30年前、大火砕流から約半年後に島原を訪れて以降、同僚を亡くした記者や遺族の取材を通して、災害報道の課題を見つめている。

集会の前日、江川さんは「災害報道の原点」を訪ねた。
雲仙・普賢岳の溶岩ドームを正面に臨む上木場地区だ。

活発な火山活動が繰り返されていた30年前、テレビや新聞など報道関係者は、取材ポイントとして、当時 避難勧告が出ていた「定点」にカメラを構えた。

そして地元消防団は、「定点」近くにある農業研修所に拠点を設けた。
報道関係者による不祥事が一因だった。

フリージャーナリスト・江川紹子さん:
メディアがいっぱい来て、中には(民家から)電気を盗っちゃったり

雲仙岳災害記念館・杉本伸一 館長:
そういうのも、消防団に関しては(拠点を設けた)1つの原因

「定点」周辺では、マスコミがチャーターしていたタクシーの運転手も含めると20人が亡くなった。
そして、地域を守ろうと警戒にあたった消防団員12人と、住民や報道関係者に避難を呼びかけた警察官2人も北上木場の地で殉職した。

フリージャーナリスト・江川紹子さん:
(災害報道の)原点はここだ、と忘れちゃいけないなと。やっぱり何のために報道して、報道するという仕事はどこで完結するのかも含めて、体で感じる場所なんじゃないか

2021年 定点の周辺は「災害遺構」として保存・整備が行われた。

雲仙岳災害記念館 杉本伸一 館長:
これをしたからといって、当時の報道の人たちの行ったことが帳消しになるわけではない。災害報道をどうするか、もう1回、皆で体験を引き継いで共有していく作業が必要

当時を知らない世代が現場に…「取材する側の継承」が課題

普賢岳の噴火災害以降も、阪神淡路大震災や東日本大震災など、長期間に及ぶ災害の取材・報道が続いている。
これらの被災地でも、「取材する側の継承」が課題となっている。

岩手の岩手日報や神戸新聞では、若手記者に被災者を取材する機会をつくり、先輩記者が取材の経験や被災者と向き合う中で感じた葛藤を、後輩に引き継いでいる。

岩手日報 報道部記者・金野訓子さん:
東日本大震災のあとに入社した社員の有志を募って、自分たち自身がどう向き合っていくべきか、どういうことを新聞社として発信していくべきかを自ら考えてもらおうと

プロジェクトチームを立ち上げた岩手日報では、釜石市出身の記者が故郷の被災者を訪ねて記事を連載したり、イベント等を通して教訓や備えを考える機会を設けるなど、震災との向き合い方を含めて、読者に向け、発信・共有している。

フリージャーナリスト・江川 紹子さん:
(30年前の災害報道から)少しずつ前に進んでいるけど、やっぱりまだまだしなければいけないことってありませんか?と問い直す時期だと思う

30年前を省みるとともに、被災者に寄り添う報道とは何か、向き合い続ける覚悟が問われている。

(テレビ長崎)