思い入れの強い町 小松市は“第2の故郷”
5月31日、石川県内で行われた聖火ランナーによるトーチキス。
この記事の画像(15枚)飛び込みのオリンピアンの中川真依さんに聖火を繋いだ車いすの女性は、東京パラリンピックのパラカヌー代表、瀬立モニカ選手(23)。
彼女の出身は東京都。しかし今回、石川県小松市の聖火ランナーを志願した。
瀬立モニカ選手:
(聖火ランナーを)東京か小松市かっていうので、第2の故郷って言ったらあれですが、(小松は)すごく思い入れの強い町だったので「じゃあ小松でお願いします」って
パラカヌーの国内大会や代表合宿の拠点は、小松の木場潟カヌー場。
瀬立モニカ選手:
リオパラリンピックの事前合宿から、ずっと毎年夏は木場潟に5カ月ぐらいいて。自分の実家にいる時間よりも長いので、すごく思い入れが強いですね
瀬立選手が代表に内定しているパラカヌーは、障害のレベルによって3つのクラスに分けられる。
瀬立選手は1番障害の重い「KL1」。腕または肩だけでカヌーをこぐクラス。瀬立選手は、5月から木場潟で合宿に臨んでいる。
2度目のパラリンピック「希望を与えられるような人間に」
瀬立選手は、高校入学当初まで健常者だった。
倒立前転が得意だったわたし。逆立ちからそのまま前転するはずが…。「あ、まずい!」そう思った瞬間、バキバキバキバキッという音とともに、わたしは頭からつぶれるようにして倒れ込みました。(『パラ・アスリートの折れないココロのつくりかた』より)
脊髄損傷。突然、車いす生活を余儀なくされた。
母・キヌ子さん:
なぜうちの子が(脊髄損傷に)選ばれたの?っていう思いでいっぱい。明るく前向きになってほしいなって思いを込めて、笑顔は副作用のない薬って言うでしょって
家族の応援もあって、事故後にパラカヌーを始めた瀬立選手。競技を初めて2年で、リオデジャネイロパラリンピックに出場し、8位に入賞した。
瀬立モニカ選手:
最初のパラリンピックに出た時、開会式のスタジアムに入った瞬間に、すごい光が自分の目の前に入ってきて、こんな明るい世界があるんだって希望を持ちました。自分が今回、2回目のパラリンピックということで、人に希望を与えられるような人間でいたいなって今思っているところです
チャームポイントは三角筋!? お菓子好きの一面も
パラアスリートにとって、サポートしてくれる人は必要不可欠。西明美コーチは、瀬立選手が競技を始めた頃からマンツーマンで支え続けている。
西明美コーチ:
使える部位が胸から上だけなので、肩、三角筋とか三頭筋を鍛えて、そこで水を捉えていく。それはもう瀬立さんならでは。他の選手は脚の蹴りを使ったり、腰のひねりを使ったり、いろいろな筋肉を動員してパドリングできるんですが、それができないのがパラの選手なので、本人が使える部分で最大の努力を積み重ねる。要するに筋力トレーニング
日々のトレーニングで鍛えぬいた筋肉を見せてもらった。
瀬立モニカ選手:
私のチャームポイントがあって…三角筋の中部!本当に肩回りの筋肉を鍛えて、鍛えて、鍛えまくっています!
取材した飯田嘉太アナウンサーと比べてみても…。
瀬立モニカ選手:
白い!
飯田嘉太アナウンサー:
全然違う…情けない腕がさらされている…
筋力アップにストイックな食生活を送っているかと思いきや…。
瀬立モニカ選手:
今、お菓子はせんべいにハマっていて
お菓子が好きだとわかったのは、こんなやり取りがあったから。
瀬立モニカ選手:
水の質自体が、木場潟は淡水で東京の本番会場(海の森水上競技場)は海水なので、浮力とか水のキャッチする水の感覚(が違う)。淡水はしっとりとしていて重い。“カントリーマアム”みたいなイメージ
瀬立モニカ選手:
海の森は海水なので浮力も高くて、どちらかというとサラッとしていて軽い。“ステラおばさんのクッキー”みたいな。それぐらいの違いがありますね
目標はメダルではなく“金メダル”
東京パラリンピック開幕まであと75日。目標を書いてもらった。
瀬立モニカ選手:
東京パラリンピックで“金メダル”です。やっぱりメダルではなく、金メダルを目指して頑張りたい。あと100日切った中で練習を積み上げて、開催した時に100%になっているように準備をしていきたい
飯田嘉太アナウンサー:
金メダル取ったら泣いちゃうな、僕が
瀬立モニカ選手:
小松でパレードします、木場潟一周!
飯田嘉太アナウンサー:
ぜひ来てください。その時は、大好きなお菓子をプレゼントするので!
瀬立選手の出場するパラカヌーは9月2日が予選。決勝は2日後の4日。金メダルが期待される。
(石川テレビ)