「身の丈」発言に端を発した大学入学共通テストの英語民間試験導入の延期で、教育現場には文部科学省の教育行政に対する不信感が広がっている。共通テストの公平性への懸念や不安から、国語数学の記述式問題の導入延期を求める声も上がり始めた。

そもそも「教育の専門家集団」であるはずの文科省は、共通テストの立案や実施プロセスで何を間違えたのか?

日本の活性化を目指すシンクタンクで、霞が関で働く若手官僚などが政策立案を学ぶ場にもなっている「青山社中」を設立し、自らも経済産業省の官僚であった朝比奈一郎氏に聞いた。

「教育の専門家集団」としての矜持はどこに

東京・青山にある青山社中では、先月から「リーダーシップ・公共政策学校」の講座が行われている。受講者は30代から40代の若手官僚や地方議員・行政官、パブリックセクターに関心がある民間人たちが中心だ。元国際協力銀行の職員は「10年から15年のスパンの中で日本の政策課題を解決するような試みを、集まった皆さんと一緒に協力しながらやっていきたい」と語る。

青山社中の筆頭代表である朝比奈氏は、学校の設立目的をこう言う。

「民間企業の人手不足や採用活動の活発化で、パブリックセクターで夢をもって働こうという優秀な人材がどんどん減っている。それは社会にとって危機だという意識がありました。日本の行政はあまりにも前例主義に寄っているので、変えていこうという挑戦心が欲しいと考えました」

これまで多くの若手官僚をみてきた朝比奈氏は、今回の文科省の混乱ぶりに手厳しい。

「導入から延期に至るまで、文科官僚としての信念や確固たるスタンスが見えなかったのが残念です。およそあらゆる政策は、賛成者と反対者がいるところを、確固たる信念を持って進めつつバランスを取らなければなりません。当初から『官邸が肝いりで始めた産業競争力会議や下村文科大臣が言っているから』という感じで導入が決まった印象です。教育の専門家集団として何をどうしたいのか、その矜持が感じられません」

朝比奈一郎氏
朝比奈一郎氏
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政治と政策のバランスを取るのがエビデンス

では「教育の専門家集団」である文科省の官僚たちは、どこで制度設計を間違え、政策プロセスにおいて何をするべきだったのか。

その「ヒント」と筆者が考えるのが、ここ数年注目されているEBPM(政策をエビデンスに基づいて形成する取組)だ。

青山社中でも今月、EBPMの国内第一人者で、経産省に出向経験もある小林庸平氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員)が講義を行っている。

では、いま霞が関の官僚にとってEBPMはどんな意味を持つのか。小林氏は言う。

「エビデンスが無くても国民や政治家が求めれば、やらなければいけない政策というのは当然あります。この20年くらい官邸主導や政治主導を進めた結果、政策的に正しいというよりも、政治家や官邸が良いと言えばやるとか、大臣がだめと言えばやらないといった政策立案になってきています。しかし本来行政官の役割というのは、現時点のオプションの中で何が望ましいと考えられるか提示することだと思います。政治の意向を気にしすぎた政策立案が増えてしまっているので、政治的判断と政策的な正しさのバランスを取るための一つのツールがEBPMだと思っています」

多くの行政官は政策の効果を知りたい

EBPMの代表的な例として挙げられるのが、アメリカで1960年代に行われた「ペリー就学前プロジェクト」だ。このプロジェクトでは、低所得者層の家庭の3歳から4歳の子どもを、就学前に教育する子どもと教育しない子どもの2つのグループに分け、50歳になる現在まで成長を追跡調査している。

教育された子どもは月収や持ち家率が高く犯罪率が低い(出典:国立教育政策研究所)
教育された子どもは月収や持ち家率が高く犯罪率が低い(出典:国立教育政策研究所)

この結果、教育された子どもは月収や持ち家率が高く、犯罪率が低いことが明らかになり、その後の幼少期の教育政策の策定に役立っている。

また、EBPMはイギリスのブレア政権やキャメロン政権でも活用されたほか、アメリカ・オバマ前大統領も積極的に取り組んできた。

青山社中の受講者たちのEBPMに対する関心は高いという。

小林氏は「効果を検証すると楽しいと思ってくれる行政官はたくさんいます」と語る。

「いままで自分が法律を作ったり、予算取りをして執行したりするなかで、その本当の効果がどうだったのかを知りたい行政官はたくさんいます。今回の英語の試験ではないですが、勉強して成果が出たかどうかわからないと勉強するモチベーションが生まれません。実は今まで、こうしたことを役所はやってこなかったんですね」

文科官僚はエビデンスで政治と対峙せよ

萩生田光一文部科学相
萩生田光一文部科学相

朝比奈氏は「今回、文科省にはEBPMが無かった」と言う。

「今回の英語民間試験導入については、導入の趣旨である『使える英語(実践的英語)』に本当に資するのかについて、候補となる試験ごとにこうした手法を導入してみても良かったかもしれません。その結果に自信があれば、たとえ政治的局面で敗れ去ろうとも、『誰が何と言おうと導入すべきなんだ』という声が、文科省や文科官僚から聞こえてきたと思います」

民間試験導入に際して文科省は各試験の適性やロジをどう比較分析し、政治とはどう対峙したのだろうか。

文科省は延期になったからおしまいではなく、こうしたデータを詳らかにするべきである。

日本の英語教育はすでにアジア諸国からも周回遅れとなっている。「受験英語」から脱却し実践に役立つ英語を学ぶことこそが、今回の大学入試改革の理念だったはずだ。

EBPMには「そもそもEBPMEBPMがない」という批判も一部にはある。

しかし世界から取り残されないためにも、文科官僚には「政策的な正しさ」を検証し、いまあるオプションの中で何が望ましいか、国民にあらためて示す責務があるのではないか。

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

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鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。