東日本大震災から10年を迎えた中、今なお山陰両県で避難生活を送っている人たちがいる。徐々に減少しているが、それでもまだ100人を超えている。
宮城から鳥取に避難し、料理店を営む男性の日常を取材した。
石巻市で被災…妻の故郷へ避難
創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
子どもの幸せのために、こっちに来たんだって自分に言い聞かせつつも、これで良かったのかなって。そう思っちゃいかんっていうところにふたをして、とりあえず明るく前向きにやっていこうとやってきたら、気づいたら10年たっていた

神山孝光さん、61歳。大震災で最も多い犠牲者が出た宮城・石巻市の出身。石巻で30年近く営んでいた寿司割烹の店で被災した。
創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
休憩してた。そしたら、グラグラグラーと来て。ネタケースも全部壊れたりして

そして被災直後に家族7人で向かったのが、妻の故郷・鳥取県。

ーー震災後に避難して来た理由は?
創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
次男がパニックになったから、すごくたくさんの遺体を見て。それで息子を何とか立ち直らせたい、救いたいと思った

念願の自分の店を開店…新しい家族も
神山さんは、鳥取で生計を立てるべく、市の臨時職員や古民家を借りて和食店を営むなど働き続けた。そして、2019年9月 鳥取市鹿野町に念願だった自分の店をオープン。

メニューは、地物を生かした創作料理に、ふるさと東北の郷土料理。

店の経営は、順調に推移した。
妻・啓子さん:
もう、こっち来て10年です
客:
早いですね

今は、コロナ禍で来客が2020年の3割までに減ってはいるものの、それでもなんとか営業を続けている。
店の切り盛りには、鳥取で成人した次女と三男・亨太さん(22)も加わっている。鳥取生まれの新しい家族も。

創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
(孫は)かわいいったら、本当にもう。かみつきたくなる。ぐーって、かわいいわーって

ーーこの町には慣れましたか?
創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
そうですね。みんな、いろいろ気にかけてくれたり、優しいから。「白菜余っているんだけど食べる?」って。「はい、いただきます」って
創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
向こう(石巻市も)こんな感じだから、のんびりして。あした晴れかな、雨かなって、空見上げて、雲見たりして。その流れる時間が止まったような感じが好き

震災10年の思い…「ため込むと苦しくなる」
コロナ禍ではあるものの、平穏な毎日だと話す神山さんだが、震災10年の節目に思うのは…
創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
今は穏やかで、こっちに来て良かった気持ちが強いかもしれないが、この前の震度6強の東北の地震もあったし、災害が起きると、フラッシュバックのような、当時あったことを鮮明に思い出してしまう

そしてー
創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
きれい、さっぱり忘れて新しくスタートしたい。でも、今ここにいることが、それで良いのかなと思ってしまう自分もいる。私自身の生まれ故郷なので、向こう(石巻市)は
「故郷を捨てた」という自責の念。加えて、「全てを忘れたい」という悲しい願い。

それでもこの取材に応じたのは…
創作味処「そろそろ」店主・神山孝光さん:
話していくと、気持ちが楽になるし、自分の中にため込んでいると、たまったままで苦しくなる。コップの水を飲めば、水が減っていくように、許容スペースが自分の心の中にできていく

鳥取になじみ、平穏な毎日の中でも、ふとよみがえるあの日と、それからの10年間。
3月11日、神山さんはテレビを一切見ないと言い切る。
(TSKさんいん中央テレビ)