4年ぶり3度目の優勝を狙う羽生結弦選手が、世界フィギュアスケート選手権の行われるスウェーデン・ストックホルムに21日入った。
マスクを2枚重ね、手元には金色の大型スーツケースを携えての到着だ。

21日にストックホルム入りした羽生結弦選手
21日にストックホルム入りした羽生結弦選手
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前回大会の2019年にはネイサン・チェン選手(米国)と壮絶な4回転ジャンプで競いながら銀メダルとなったが、今大会で王座奪還を狙う。
前日には宇野昌磨選手、紀平梨花選手らの日本勢も現地入りしている。

スウェーデン・ストックホルムの世界選手権会場
スウェーデン・ストックホルムの世界選手権会場

しかし今、世界はコロナ禍にある。

会場となるスウェーデンの1日当たりの感染者数は約4500人(3月15日週平均・Johns Hopkins CSSE, WHO)で日本の約3.5倍。人口は日本の約12分の1にもかかわらずだ。

通常時ならば満員の観客の歓声で包まれるスタンドは無観客。

選手、関係者は大会期間中、会場とホテルのみに隔離され外界と一切接触をしない「バブル(※)」方式が取られるなど、コロナ禍ゆえの大会運営が図られる。(※このバブル方式。おそらく多くの方が、大坂なおみ選手が優勝したテニスの全豪オープンで初めてその名を知っただろう)

会場外(バブル外)に設置されたフジテレビブース、6人までの入室制限がある
会場外(バブル外)に設置されたフジテレビブース、6人までの入室制限がある

そんな厳戒態勢の中、テレビで放送されるフィギュア中継の裏側にはどんな変化が起きているのだろう?
コロナ禍の今、普段の放送とは違うものになってしまうのだろうか?

放送を明日に控え、準備に追われる制作現場の当事者たちに聞いてみた。

「正直とても普段通りとは言えません」

会場となるストックホルムの美しい町並み
会場となるストックホルムの美しい町並み

世界フィギュアは、2019年に日本で開催され、2020年はコロナ禍の影響で中止となり、海外で開催されるのは2018年3月のイタリア・ミラノ大会以来だ。

「ミラノ大会では32名のスタッフを日本から現地に派遣していましたが、今回は人数を絞って4名で体制を組むことにしました」

4夜連続の生中継を控え長谷川雅宏プロデューサー(49歳)は実情を語ってくれた。

「これにヨーロッパから入って貰うスタッフや、現地スウェーデンの方を含めても全部で10名です。正直とても普段通りとは言えません」

入社25年のプロデューサーでも初めての経験となる少数精鋭の派遣だ。

当然、日本から現地に入るスタッフには、何重もの検査が課せられる。

 
 

「まず現地に派遣するスタッフを人選する際に、PCR検査で陰性を確認しました。次にこの4名は日本を出発する当日の朝にもPCR検査を受けて、陰性証明書を持って出国します」

この他にも、今分かっているだけで抗原検査が計3回現地で設けられており、これを全てパスすることが仕事をする上で最低限の条件となる。

「無観客の中でどう演技をして、どんな感情で終えるか」それを伝える試行錯誤

会場近くの屋外ビジョンでは世界フィギュアの宣伝も
会場近くの屋外ビジョンでは世界フィギュアの宣伝も

「選手との接触はもちろん厳禁ですし、その後もホテルと会場間の移動のみです」

この厳しい検査体制が待つ現地に入る岡耕平ディレクター(26歳)は出発前、緊張した面持ちでこう心境を語った。

社会人4年目、今回のような厳戒態勢での大会に派遣された経験はもちろんない。

日本のフィギュア中継スタッフには未体験のことばかりだ。日本への帰国時にも3回のPCR検査(スウェーデン出国前の1回と日本到着後2回)、そして2週間の隔離が彼らを待っているという。

ではこの少ない人員で、一体どのように選手の演技や表情を伝えるのか?

「現地ホスト局が制作する競技映像の提供を受けながら、バックステージで日本選手を追うカメラを1台、サブリンクで練習する選手を狙うカメラを1台設置します。
これとは別にメインリンクで主に日本選手を追う独自のカメラ1台を設置しますが、これにホスト局が捉えた映像の中から3台分のカメラ映像を貰って、その時々でベストな映像を選択して現地から送る予定です。こうした様々な映像を本社のスタジオでさらに選択して放送が作られます」

制約のある条件の下でも、羽生選手や紀平選手など日本選手の動きをつぶさに伝えようと考えられた体制だ。

「限られたカメラ台数とはいえもし自分が見逃したらその映像は日本に行かないですし、生中継なので責任感しかありません」

だがフィギュアスケートの特徴として、メインリンクで演技する選手、バックステージでアップをする選手、会場入りする選手など複数の主役たちが同時進行で動くことがあげられる。これがサッカーや野球など一つのボールを中心に動くスポーツとの大きな違いだ。

そうした複数の選手を追うカメラの動きに指示を出し、全ての判断を委ねられるディレクターにかかるプレッシャーは平常時ですら大きい。まして今回のような状況は誰にとっても初めての経験だ。

「特に今回は日本人選手たちがどういう風に過ごして、どんな想いを持って演技するのか?どんな姿でその時を待っているか?さらには無観客の中でどういう演技をして、どんな感情で演技を終えるのか?そうした映像を伝えられるのは会場の僕たちとお台場にいるスタッフだけなので、こんな貴重な機会はないと感じています」

演技直後のインタビューはどうだろう。選手との接触が出来ない環境で、その声は伝わってくるのだろうか?

「普段ならマイクを持ったアナウンサーが実際に選手に対面してインタビューをしますが、今回はいわゆるリモート形式で話を聞くことになります」

演技を終えたばかりの選手の息遣いや、表情。そうしたディテールまで捉えながら選手の声を届けることが出来るのか?
未知数もあるが、フィギュア中継では初めてのトライとなる。

「春は必ず来る」

羽生選手は2つのスーツケースを持ち、バスに乗り込む
羽生選手は2つのスーツケースを持ち、バスに乗り込む

最後に『特別な年の最終決戦』と謳われるこの世界フィギュア。様々な手探りをしながら準備を急ぐ長谷川プロデューサーに見所を聞いた。

「世界的なコロナ禍で厳しい状況ですが、その中でも元気を届けようとする想いの込もった選手たちの演技を見て欲しいです」

そして現地からの中継を任される岡ディレクターは、「僕たちのチームが持っているテーマの一つとして『多くのみなさんが、春が来る時を待ち望んでいる。そして春は必ず来る』というものがあります。
選手たちは大変な想いをしながら今シーズンに臨んでいて、他のライバルの動向もわからないまま、不安を抱えながらこの最終決戦にやって来ます。
この世界フィギュアが終わった時、選手たちにとっても、日本から声援を送る人たちにとっても、明るい未来が見えるような、明るい気持ちになれるような中継になればいいと思います」

今週、桜の開花前線は日本列島を北上する。

スポーツ界にも本格的な春が到来することを願ってやまない。

(取材・文 吉村忠史)
 

世界フィギュアスケート選手権2021
3月24日(水)女子ショート 夜10時00分~深夜0時04分
3月25日(木)男子ショート 夜10時30分~深夜0時29分
3月26日(金)女子フリー 深夜3時55分~土曜朝6時00分
3月27日(土)女子フリー 夜7時00分~9時00分・男子フリー 夜9時00分~11時10分
3月28日(日)エキシビション 深夜1時00分~2時00分
3月31日(水)ペア・アイスダンス 深夜2時35分~3時35分
 

フィギュアスケート取材班
フィギュアスケート取材班