東日本大震災から10年。
当時、被災各県には全国から延べ130万人の警察官(機動隊員)が約1800日、5年近くにわたって捜索や警備活動のため派遣された。
その際、警視庁の第9機動隊長として岩手、宮城、福島県で活動にあたった警察官OBが当時の思いについて語った。

ある高齢女性との出会い
証言してくれたのは、元警視庁第9機動隊長の大木英敏さん(63)。3月下旬に約250人の隊員を率い、岩手県釜石市の被災地に入った。
その時、高齢女性に津波で流された夫の捜索を頼まれたという。
元警視庁第9機動隊長 大木英敏さん:
夫と手をつないで逃げたが、途中で津波に追いつかれ、手を離してしまった。「家の中に飲み込まれたんです。ここにいるんです」と訴えてきました。そこで1日半をかけてがれきを除去し、ご遺体をみつけました。対面の際、隊員がおしぼりで顔を拭いて引き渡しました
女性は、「私たち被災者は機動隊のみなさんに生きる希望をいただきました」と感謝の言葉を述べたという。
大木さんは、ちょうど亡くなった母親と同年代のこの女性に、毎年線香を送るなど、10年たった今も交流を続けているという。

ある被災地では、がれきの中から古い軍服姿の遺影が見つかった。
近所の人に聞いたところ、近くの高齢女性のものとわかり、引き渡すと泣き崩れて感謝した。
シンガポールで戦死した弟の19歳の時の写真で、避難の際持ち出せなかったのだという。
捜索活動が続く中、遺体が見つかることは少なくなり、代わりにこうした被災者の思い出の品を見つけることも多くなった。
その後宮城、福島、など派遣された各地で、大木隊長が隊員に常に命じていたことがある。
それは、
「自分の家族だったらどうしてもらいたかったか、を考えて行動しよう」という言葉だった。

異例の長期派遣の訳とは
その後長期間行われた機動隊の応援派遣。
阪神淡路大震災では約半年で撤退していたのに対して、5年間も行われたのには訳があった。
「津波の被害が広範囲のため、遺体がここにあるということが分からず、あたり一帯を捜索する必要があった。手探りで、非常に難しかった」
また、捜索で重機を使うと、遺体や遺留品を傷めてしまう恐れがあるため、ほとんどは手作業や、スコップなどで、文字通り人海戦術で行われた。

そのため不明者の発見に、想像を絶する時間がかっかたのだ。
こうした中でも、隊員らからは、捜索を続けることを望む声が強く、1800日以上という異例の長期間の捜索が継続される、原動力になったという。
被災地に、そして警察官たちの心に残したもの
大木さんに、この活動を通して隊員たちが得たものについて聞くと
「絆というのは苦しい活動現場でしか培うことができないと思います。その中で、警察が何のためにあるのか、誰のためにあるのか、ということを彼らは知ったんだと思います。警察がやることは2つだけです。悪いやつは捕まえる。困っている人がいたら助ける。
後身の警察官にもこの中心軸を堅持し、(相手を)我が身と思える対応を常にこころがけてほしい」

被災地では現在も2525人の行方がわかっていない。
大木元隊長のインタビューについては3月14日放送の「日曜報道 THE PRIME」(午前7:30~8:55一部地域除く)で、警視庁機動隊の秘蔵映像とともに放送する。