東日本大震災の津波で行方不明となった父親への思いを胸に農家を継ぐことを決めた、岩手・陸前高田市の若者。
春からの農作業シーズンに向けて一歩ずつ歩みを進めている。
震災で父を失った青年 父への思いから農園を継ぐ
2月23日、陸前高田市の農園で農業用機械を操作する青年の姿があった。
吉田凛之介さん、24歳。

土の上に水分や温度を保つシートを張るこの機械に、凛之介さんが触るのはこの日が初めてで、販売業者の指導を受けるが、なかなか真っすぐには張れない。
吉田凛之介さん:
めちゃめちゃ難しい。ずれましたね。(シートを張る作業は)まだまだある。慣れていきたい
祖父の税(ちから)さん(86)が営んできたこの農園。

凛之介さんが2020年の夏、継ぐことを決めたのは、父・利行さんへの思いからだった。
市内で団体職員として働いていた利行さん(震災時43歳)。
凛之介さんにとって大好きなお父さんだった。

吉田凛之介さん:
野球以外もいろいろなことを教わった。すごくいいお父さん。自分もあんな人になりたい
しかし、震災の津波にのまれ、今も行方は分かっていない。
当時、凛之介さんは中学2年生だった。
吉田凛之介さん:
街がなくなっていた。(父が)いないとわかり、かなりショックというか、夜な夜な泣いていましたね
凛之介さんは高校時代、父が教えてくれた野球に打ち込む日々を送った。
吉田凛之介さん(当時高1):
震災で父親が亡くなった。活躍を見てもらえたらうれしい
震災で息子を失った祖父と祖母 悲しみを胸に
その一方で、税さんと祖母・エイ子さんは、息子を失った深い悲しみを抱え続けていた。

凜之介さんの祖父 税さん:
いつまでも引きずっていくのか、それとも、どこかで踏ん切りをつけて生きるか、判断が難しい
凜之介さんの祖母 エイ子さん:
まさかこんなに不幸になるとは思わなかった。息子に先に逝かれるとは
転身を決めた孫に… 祖父は「大きな希望の光」
税さんは、後継者となる予定だった利行さんを失い、農園を閉めようと考えていたが、2019年12月、凛之介さんが「継ぐ」と言い出した。
凜之介さんの祖父 税さん:
「じいちゃん、俺農業やる」って。人生の中で悲しいこともいっぱいあったけど、大きな希望の光のようなもの

神奈川の大学を卒業後、盛岡市の広告代理店に勤務していた凛之介さん。
転身を決めた理由をこう語る。
吉田凛之介さん:
会社に入って、なんかパッとしないというか、なんか心残りというか…。お父さんが好きだったので、お父さんがやりたかったことをやってみたかった

存在は被災地の希望に…
税さんは年間40種類以上の作物を育てている。
その栽培方法を凛之介さんに伝える。

吉田凛之介さん:
まだまだですね。甘味が強くて、もっとパンパンになるはず
凜之介さんの祖父 税さん:
シャインマスカットとか、剪定の技術がまだわかっていない
凜之介さんは、祖母のエイ子さんとともに、大船渡市で定期的に開かれる朝市にも店を出している。

この日は野菜や苗、エイ子さんお手製のヨモギ餅などを販売した。
顔なじみも増えてきた。
その存在は被災地の希望。
買い物客A:
後継者がいて、頼もしいと思っている
買い物客B:
うれしいよね。自分の孫みたい
二人三脚で歩む“孫”と“祖父”
凛之介さんは、4月から地元のスーパーや産直で、自分の名義で野菜を販売していく予定。
土にシートを張る機械は、税さんが凛之介さんの独り立ちのためにと用意したものだった。

凜之介さんの祖父 税さん:
俺が手伝えなくなると、1人でやらないといけない。1人でやれるような状態を作ってあげないと
苦戦しながらも、なんとか作業を終えた。

吉田凛之介さん:
ほっとしている。トマトの苗もよくなってきて、(栽培の準備は)マルチ(シート)を張るだけだったから
凜之介さんの祖父 税さん:
茎がたばこの太さ、それ以上になると良くない、これは理想的な苗
税さんの経験を頼りにしながらも、本格的に1人の農家として歩み始める凜之介さん。

吉田凛之介さん:
(10年は)早かったですね。(父が)今どこかで見てるのかなとは思いながらやっていますし、「楽しんでやれよ」って言うと思う。安全に安心して食べてもらえるような野菜を作っていきたい

亡き父への思いを胸に。
震災から10年を経て迎える春は、特別な春になりそうだ。
(岩手めんこいテレビ)