2018年末、世の中が売り手市場だったにもかかわらず、難関大学を出ても就職できない生徒がいるという嘆きを、大学の就業支援担当者から聞いたことから始まったこの取材。

彼らが就職できなかった理由は「発達障害」だという。発達の凸凹に適応障害が加わった「障害」。

社会の不寛容が高まる中で、一昔前なら「変わり者」で済んでいた存在が「普通」の社会からはじき出されるという現実が立ちはだかっていた。

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東京大学で始まった「異才発掘プロジェクトROCKET」は、ユニークさ故に学校になじめない子どもたちに、学びの場を提供している。

子どもたちが能力を発揮できる場を目指すこのプロジェクトには、異才の候補生として6年間で127人(2020年時点)の小中学生が選ばれ、好きなことを突き詰めていった。

このプロジェクトを通して、道を見つけた若者がいる一方で、道について思い悩み離れていく若者もいる。

不登校のまま好きなことを究めた先に道はあるのか?“異才候補生”3人を通して、それぞれの悩みや葛藤に迫った。

凸凹な子こそ、イノベーションを起こす

「異才発掘プロジェクトROCKET」を率いる、東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍教授は「凸凹な子どもたちこそ、イノベーションを起こすことができる」という信念を持っている。

ROCKETで行われたプログラムは300回を超え、視覚障がい者と一緒に歩いてみたり、カニを解剖してみたり、イスを再生したりと、“とりあえずやってみる”の精神を大切にしている。

異才の候補生として中邑教授が主に選んだのは、不登校など学校の枠からはみ出した子たち。

「親も学校も困っているだろうなって子ばっかり。自分の思い通りにならないと大泣きするし、わぁわぁ言うし。自分のやりたいことを通す。それは特性というか凄い力なんです。『だけどそのままじゃだめだよね。お前はワガママを言っているだけ、その力をもっと良い方向に利用しろ』と教えていく」

プロジェクト発足は2014年。かつての子どもたちは気づけば大人の入り口に立っていた。しかし、彼らの目の前には人とは違う凸凹な道が続いている。

みんな、できないことがある

ROCKET1期生の濱口瑛士さん、17歳(取材当時)。

すでに画家として仕事している彼が、この日訪れたのは岡山県勝央町役場。町おこしのために描いた作品を届けに来た。

「勝央町の豊かな自然を表現できれば」という思いで描いた作品には、町の特産でもある桃の花から羊が生まれるというストーリーが込められている。

ROCKETに入ってから独自の発想力が評価され、メディアにもたくさん取り上げられてきた瑛士さん。

彼には、字を書くことが苦手なディスレクシア(識字障害)という発達障害があり、自分の名前を書くことも難しい。

左指にはめている指輪にも意味がある。

「この指輪があることで、“こっちが左”と分かるから付けているんです」

「障がい的なものはすべて持っている感じです。アスペルガーも、多動性障害も、睡眠障害も、今は全部まとめて広汎性発達障害と言われています」と瑛士さんは話す。

小学2年生までは母・園子さんに付き添ってもらい、通常の教室で授業を受けていた。しかし、自分だけが人と違うと感じ、友達もできず、小学6年生の夏からほとんど学校には行っていない。

そして12歳のとき、ROCKETの中邑教授と出会った。発達障害の話をすると、さらりと受け流されたという。

中邑教授は「“発達障害”ではなく、字を書くのが苦手、左右の区別が苦手、人の名前を覚えられないと言った方がいい。みんなできないことがあって、『そんなことできなくたって…』ってなるのに、発達障害と言うと『えっ…何か配慮した方がいいですか』となる。だからROCKETでは、何をやりたいか、何が得意かを聞いて、そのために字が書けなくて困っているなら手助けをする」と話す。

瑛士さんは「いくら親に『学校以外の場所で生きる道を見つければいい』と言われても、ピンと来ないんです。初めて家族以外の人に『その道でやっていったらいい』と言われたことが本当に自信につながった」と中邑教授との出会いに感謝していた。

ROCKETの教育は褒めない

2019年11月、瑛士さんはあるプログラムに参加していた。プロも参加する大人のアートイベント「富士山展」にROCKETのメンバーが挑戦するのだ。

今回、このプログラムへの参加を決意したのはある理由があった。

小さい頃から物語を考えながら絵を描くのが好きで、2018年に出版された絵本『ダビッコラと宇宙へ』(白泉社)も絵と文章を自分で考えたものだ。

最近では人が書いた文章の挿絵を頼まれるようになっていた瑛士さん。

しかし中邑教授にその下書きを見せると、「なんでお前が書いているんだ、わからない。最近の絵は面白くなくなった」などと怒られたという。この言葉を受け、瑛士さんも「たしかに、最近は仕事に追われて自分の作品を描く機会がなかなかなかった」と振り返った。

そのため「富士山展」では仕事を離れ、自分らしく絵を描いてみたかったのだ。

今回の構想は、富士山の形に切り取った50個の紙に違う絵を描くというもので、瑛士さんは中邑教授に、“自分らしく”考えて描いた富士山の絵を見せた。怒られた借りを返すつもりだった。

しかし、「瑛士は何を伝えたいの?」と中邑教授に掘り下げられ、瑛士さんは思うように答えられない。

「やっぱり物語なんだよ瑛士は。瑛士は文章を書かすとうまいと思う。でもこれは物語でも何でもない」とさらに厳しい指摘を受ける。

ROCKETの教育は褒めない。代わりに挑発する。

子どもたちは最初、教授を恐れながらも、やがて真意を理解し、その挑発を自分の成長へと変えていくのだ。

悩みもあるけど「とりあえずやってみる」

岐阜・可児市の豊かな自然に囲まれて育った、ROCKET3期生の山岡寛泳さん、17歳(取材当時)。

彼もまた「富士山展」に参加するメンバーだ。

幼い頃から一風変わった古いモノが好きで、小学5年生のときには、お年玉で中古のガリ版を買い、新聞を作ったという。

さらに彼は、架空の新聞社まで立ち上げ、新聞社が腕に付けているような「腕章」まで作っていた。

しかし、一人で新聞を作ることはできるのに、みんなと同じことはできなかった。見た目はみんなと変わらないのに、当たり前のことはできない。学校では問題児のように扱われた。

中学校に入る前にうつになり、その後ほとんど学校には行っていない。

母・由理子さんは「学校行かずにどうやって食べていくんだろう?って心配です」と複雑な表情を見せる。

父・勇さんは「学校に行って社会の歯車にかみ合うのが手っ取り早いが、それは到底かなわぬこと。だったら自分の可能性を追求して思いっきりやるだけ」と話すが、寛泳さんは「これからガッツリ努力をしないといけない現実や世界が待っている」と弱音を吐く。

こうして迷ったときには、ROCKETプロジェクトリーダーの福本理恵特任助教(取材当時)にいつも相談してきたという。「とりあえずやってみよう」と後押しされ、乗り越えられたこともある。

理恵先生のもとには毎晩のようにメンバーから相談の電話やメッセージが届く。公私を問わず、子どもたちと向き合ってきた。

2014年にROCKETが始まり、スタート時から参加している子どもたちは大人になろうとし、受ける相談の内容も年齢とともに変わってきたという。

「このまま親の庇護(ひご)のもとやっていていいのか。学校に行っていない分、この先自分でなんとかしないといけないというのを、過度に自分に課し始める。だけど、稼ぐ方法がない、焦る。焦って何もかもイヤになるみたいな悪循環が起こってくる」と理恵先生は子どもたちが抱える複雑な胸の内を明かす。

将来に悩む寛泳さんが手に取ったのは「郡上本染」のこいのぼりだ。

小学4年生のとき、冷たい川の水にさらして染める「郡上本染」のこいのぼりに出会ってから、作り方を調べて一人でたくさんのこいのぼりを作った。自らの手で作ったこいのぼりが自宅にはたくさんあった。「こいのぼりで生きて行くことはできないか…」と、寛泳さんは本気で考えていた。

自分でデザインしたこいのぼりを作って売る。しかし、稼ぐためには大量生産しなければならない。

寛泳さんがやってきたのは京都・南区の創業60年の染色会社「西田染工」。「西田染工」にとって10代からの依頼は初めてだった。

寛泳さんは少し緊張した様子を見せるが、分からないこともお金の話もどんどん聞いていき、80匹分のこいのぼりを発注した。生地代と合わせると20万円になったが、お年玉と祖母から借りたお金でやりくりしたという。

「『こいのぼりが売れないかも…』とか、『大人になっても親に頼っていていいのか…』とかいろいろ考え出すと止まらない。それを考えないために、とりえずやってみる。動くことでしか見えてこない」(寛泳さん)

人と違うことはすごくチャンス

2020年、年が明け「富士山展」はもうすぐだった。

中邑教授に挑発された瑛士さんは、描いていた作品を捨て、改めて一から描き直した。

「自分の作品は自分の子どものようにかわいいものなんですけど、だからと言って、母が私にするように甘やかしてはいけない。作品を甘やかしちゃいけない。より高い要求をしないといけないし、誤りがあれば捨ててやるくらいの覚悟が必要」(瑛士さん)

こうして瑛士さんが挑んだのは、富士山を描かずに富士山を表現すること。

「絵のうまさでは、いくらでも私より上手な人がいます。その中で自分の強みが何かと言うと、絵に込めるメッセージ」

寛泳さんもまた、こいのぼりと同じ技法で富士山を表現しようとしていた。

「なんで僕はこんなに人と違うのだろうと思っていたんですけど、人と違うことはすごくチャンスと捉えています」

ROCKETでは年に1度、それぞれの成果を発表する会がある。2020年1月、瑛士さんは「富士山展」のために描いた作品を発表し、不登校だった自分を振り返った。

「不登校の子をお持ちの親御さん、ひとまずは安心してください。大丈夫、お忘れかもしれませんが、人間は勉強をしなくても死にません。学校に行かなくなってもただちに人体に影響はありません」

作品のタイトルは「分身」。瑛士さんはあえて富士山を描かなかった。代わりに富士山の影を描き、大量の額縁を蛍光ピンクで塗りつぶした。それは神聖な富士山さえも、安っぽく切り取り消費している人間社会へのメッセージを込めていた。

同じく「富士山展」に展示した寛泳さんの作品は「富士さん」。

富士山の雪や水、花や木々を5色の色で表現し、富士山を体感できる作品を作った。富士山の中に入り、富士山になりきって人に見られるという発想は高い評価を得た。

この「富士山展」では、希望すれば作品を売ることができたが、寛泳さんは作品を売るかどうか迷っていた。理恵先生からは「お金をもらうことで自分を消費するかもしれない。諸刃の剣」と教えられる。

画家として仕事もしている瑛士さんは「仕事をやり始めると全く別の問題。要求を第一にしないといけない。そこで楽しさを見つけられるかどうか」とこぼす。

理恵先生はこの言葉を聞き、「だけど買ってもらわないとやりたいことを継続できないという矛盾が…」と話すと、寛泳さんは「買われた方がいい。自分で持っているのはこの作品に対して失礼だと思う」と返した。

しかし悩んだ末、寛泳さんは売るのをやめた。値段をどう付ければいいのかさえわからなかったのだ。

イノベーションは簡単に起こらない

2020年1月、東京大学で行われた「ROCKET報告会」で中邑教授は、「好きなことばかりやっている子どもたちこそ、世の中を変えていこうとしている」と話していた。

そのために彼らには好きなことを突き詰めればいいと教えてきたのだ。これまでの活動で裾野は全国に広がっている。

好きなことをやり続けてきた異才の候補生、大阪市に住む1期生の山下泰斗さんも、学校には行かず空き箱などの廃材でひたすら紙模型を作り続け、18歳(取材当時)になった。

グループ展で作品が売れたこともあるが、将来の道はまだ見えてこない。

今年、初めてROCKETの成果発表会に行かなかった泰斗さんは、その理由と葛藤をこう口にした。

「成果はそんなすぐ出ないっていう発表会にしてもよかった。5年前に入った子どもが学校以外の道を見つけてすごい成果を出していたら、そんなぼろい話ないわな。そんなに起きないからイノベーションや発明は価値がある。『もやもやしています』と堂々と言えばよかった」

ある日、泰斗さんたちは大阪に来た中邑教授と会った。「まだ未来が見つけられない。もやもやしている。だから今はROCKETを離れたい」と中邑教授に伝えると、引き止めることなく、「面白くなくなったら連絡ちょうだい。20年後に会おう」と中邑教授らしい形で背中を押した。

中邑教授は言う。

「こうした子どもたちが潰されずに生きられる環境を作っていくと、20年後、30年後に『日本って変な国、面白い国だよね』っていう国ができるんじゃないか。この肥やしを今こそ皆で作り、畑を用意していかなければならない」

2月に入ると、寛泳さんのデザインしたこいのぼりが本格的な生産に入っていた。

刷ったこいのぼりは80匹。自分で切って縫製していき、3月から発売される。

「作るより売る方が難しい」

そうつぶやく寛泳さん。

動かなければ見えてこない。彼らは凸凹な道の先へと進んでいく。

(第29回FNSドキュメンタリー大賞『“異才”たちの凸凹道~不登校17歳 東大へ行く~』)