東日本大震災後に岩手・宮古市で活動しているイラストレーターの女性が、“あの日”感じた思いをみんなで共有しようと、今、温かみのある作品づくりに取り組んでいる。

東日本大震災で感じた思いを作品を通して共有

「こんなにも うみがちかいと いまきづく」
「えいえんに 笑えないかと おもった日」
「おおさかの おじさんはこぶ 水と笑い」

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あの日、多くの人が思ったことや、全てを失って気づいたこと。
震災後のさまざまな日常を切り取ったイラストが、五七五の言葉とともに描かれている。
この絵を描いているのは、宮古市のイラストレーター・おーみえりさん。

おーみえりさん:
3.11から10年目という節目を迎えて、忘れたくても忘れられないものだけど、やっぱりもう一回思い出す時間をつくるって大事な気がする

作品は、五七五の頭の文字、「あ」から「ん」まで46文字分つくる。
現在21点を書き上げ、残り25点の制作に取り組んでいる。

おーみえりさん:
写実的に描くと、自分も思い出して苦しくなる。見やすくかわいく描いて、みんなの心をえぐらないように

自ら震災を経験…絵を描くことで人に“癒やし”を

えりさんは、小学生の頃から漫画家になるのが夢だった。
宮古高校を卒業後、横浜美術短期大学に進学。卒業後、2年間、東京でイラストの制作に打ち込んできた。

そんな中、祖父の入院をきっかけに2011年3月に宮古に帰郷。
その4日後、震災に遭った。実家は1階部分が浸水する被害を受けた。

おーみえりさん(2016年当時):
楽しんでいられないというか、人が亡くなったり、家が無くなったりする中で、絵を描くことは許されないと思った

悩んでいたえりさんだったが、震災から3カ月後、母の勧めで、襖に祖父が大好きだった龍の絵を描いたのをきっかけに、再び筆をとった。

おーみえりさん(2016年当時):
家族がそれを見て、喜んだ顔を見て、「もう一回人を癒やせるんだ」と実感して、また描き始めようと思った

描くのを再開したえりさんのため、姉の幸恵さんは2014年に作品を販売する「Art Eriy's」という会社を設立。

宮古弁や、かわいらしいキャラクターのイラストで宮古の魅力を発信してきた。
当初2店舗だった販売店は、今では20店舗と10倍になった。

浄土ヶ浜旅館 若女将・佐々木匡子さん:
ここでファンになっていく方もいて、グッズを買っていく方も多くいる

同じ経験をした姉妹だからこそ作れた

これまでの作品には、言葉も添えられているが、その全てをえりさん自身が考えてきた。
しかし、今回の五七五は、姉の幸恵さんが震災直後に考えたもの。

姉・盛岩幸恵さん:
今になると、これが書けたかというと、今たぶん忘れていることもきっと多い。その当時に書いていたので、10年前に書いていて良かった

「てをつなぐ 人のぬくもり みにしみる」など、その時の気持ちが思い起こされる。
姉妹で1つの作品を作り上げるのは今回が初めてで、えりさんも、これまで以上に思いがこもる。

Art Eriy's おーみえりさん:
姉が書いたけど、気持ちは私もそっくり同じ気持ちで向き合える。姉妹だからこそかもしれない

姉の盛岩幸恵さんと妹のおーみえりさん
姉の盛岩幸恵さんと妹のおーみえりさん

姉・盛岩幸恵さん:
同じ時間を過ごしてきて、一緒に震災を乗り越えたというか、一緒に震災を経験したので、分かり合えたと思った

えりさんが、あの日あの時の出来事を描いた企画展は、宮古市の長根寺で3月11日から4日間開かれる。

Art Eriy's おーみえりさん:
あの時こうだったよねって、みんなで共有し合いたい

Art Eriy's おーみえりさん
Art Eriy's おーみえりさん

震災からまもなく10年。
イラストを通して人々の心に寄り添い続けてきたえりさん。
その力となっているのは、故郷・宮古への思い。

Art Eriy's おーみえりさん:
この宮古だからこそ、良いものがあるぞと人に知ってもらえれば、また人が集まってくるから、宮古の力になれたらと思って描き続けたい

(岩手めんこいテレビ)

岩手めんこいテレビ
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