ラーメンのトッピングまでサボテン…愛知県にあった「サボテンの街」

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街の人の素朴な疑問を調査。
今回は、愛知県春日井市の「サボテンが名物」の謎。

春日井市在住の女性A:
なんで「春日井でサボテンが全国一」なのかなって。給食でサボテンが出たりとか…

同・女性B:
駅の前にも、サボテン3兄弟って像がある

「サボテンの街」とされる愛知県春日井市。なぜサボテンがご当地名物なのか、調査するために春日井駅へ。早速、駅前にサボテンのキャラクターを発見した。

更に、バイクのナンバープレートにも、サボテンのイラストが。

街の人に、名物になった理由を聞いてみると…。

春日井市民の男性A:
知りません

同・女性C:
知らないね

同・女性D:
食べ物とかでサボテンラーメンとか。食べたことはないですけど

残念ながら、答えられる人はゼロ。しかし、きっかけとなりそうな“サボテンラーメン”というワードが…。手がかりを求め、町の中華料理店へ向かった。

注文したサボテンラーメンは、塩味のスープに、サボテンが練りこまれた麺、スライスしたサボテンと、まさにサボテン尽くし。

その味は、ネバネバとしており、オクラにかなり近い食感と粘りのラーメンだった。

なぜサボテンが春日井の名物になったのか。サボテンラーメンを提供している店なら、何か知っているはず…。

中華料理店の店主:
桃山地区が、ぶどうとか桃とか果実を盛んにやっていたけど、伊勢湾台風で全部持ってかれちゃって…

昭和34年(1959年)に東海地方を襲った伊勢湾台風が関係しているとの証言が。更に詳しく知るため、桃山地区のサボテン農家に向かった。

「伊勢湾台風でほとんど壊滅状態」…「果樹栽培」から「サボテン栽培」へ転身 サボテンが名物となったワケ

サボテンの卸や小売りを手掛ける「後藤サボテン」。

ハウスの中には、観賞用から食用のものまで、約400種類15万本のサボテンがあった。

サボテンが春日井の名物になった理由を尋ねると…。

後藤サボテンの店主:
元々ここは果樹農園で、リンゴをたくさん作っていたけど、伊勢湾台風でほとんど壊滅状態で…。苗を植えてもすぐお金にならないので、たまたま桃山で、趣味でサボテンをやっていた方がいて

この桃山地区はその名の通り、かつては桃やリンゴなど果樹栽培が盛んな場所だった。

ところが、1959年に東海地方を直撃した伊勢湾台風により壊滅的な被害を受けた。

そこで、趣味で育てていた地域の人から種を分けてもらい、果物の代わりに始めたのがサボテンだった。

同・店主:
初めは失敗も多かったけど、どうにかして大量に作って。40年代ころまではブームがあったので

1960年代にはサボテンブームもあり、最盛期には50軒ほどの農家があった。

その後も春日井の特産品として学校給食や農園での社会見学など、地域の子供たちに歴史を伝えている。

“なぜ、サボテンが春日井の名物になったのか”の理由は、伊勢湾台風で被害を受けた果樹園が、短期間で利益が出るサボテンに力を入れるようになり、その後訪れたブームでサボテン農家が増えたためだった。

(東海テレビ)