三陸の観光名物「浄土ヶ浜遊覧船」が歴史に幕

三陸の観光の名物として親しまれ、震災も乗り越えた岩手・宮古市の「浄土ヶ浜遊覧船」が1月11日、58年の歴史に幕を下ろした。
運航最終日のスタッフや乗客の思いを取材した。

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宮古市は氷点下10度の冷え込み。
海からの水蒸気が霧のようにたちこめる「気嵐」が、1日の始まりを告げる。

この日が最後の運航となった「浄土ヶ浜遊覧船」。
朝、船長らはいつものようにお茶を飲み、心を整える。

坂本繁行船長:
これで終わりだね。きょう気嵐がすごいもん

船長の坂本繁行さん。
30年余り舵を取り、浄土ヶ浜を誰よりもよく知る男。

ガイド・金澤明美さん:
きょうはちゃんと化粧してきたんです

こちらは24年間、船内でガイドを務めてきた金澤明美さん。
最後まで笑顔でもてなしたいと気合を入れている。

ガイドの金澤明美さん
ガイドの金澤明美さん

風はなく、天気は快晴。
午前の便から、名残りを惜しむ乗客が乗り込む。

遊覧船は浄土ヶ浜を出発して、国の天然記念物「ローソク岩」や、穴から海水が噴き出す「潮吹き穴」といった名所を40分かけて巡る。

宮古市に住む人:
幼稚園の頃、遠足とかで浄土ヶ浜で遊覧船に乗った。昔からの居場所みたいなところ

東日本大震災を乗り越え、わずか4カ月で運航再開

1962年に岩手県北自動車が始めた遊覧船。
かつて年間10万人ほどいた利用客。
最近では3万人台に減少していたことに加え、船の老朽化も重なり、運航終了が決まった。

10年前の東日本大震災では当時3隻あった遊覧船のうち、2隻が津波で流されたが、残り1隻は奇跡的に難を逃れた。

被害を受けた浄土ヶ浜遊覧船
被害を受けた浄土ヶ浜遊覧船

坂本繁行船長(2011年当時):
すぐに機関長にエンジンをかけてもらい、船を出す準備にかかりました

船を救ったのが、坂本船長だった。
津波が来ると察知し、とっさの機転で船を沖に出した。
あと5分遅れていたら、間に合わなかったかもしれない状況だった。

まだ混乱が続く時期だったが、観光の早い復興を目指して被災の4カ月後には運航を再開。
船の周りには本来の絶景よりも、生々しい津波の爪痕が目立っていた。

あれから10年。
新しい建物や防波堤が、時の流れを映し出す中、当時に思いをはせる被災者もいる。

友人を亡くした宮古市の男性:
ちょっと考えるものはありますね。つらい思い出もあるが、それを教訓にといいますか、忘れてはいけないなと

最後の便は満員御礼

午後1時40分、最後の便の出発。
乗り込んだのは満員御礼の約150人。
絶景を目に焼き付ける。

ガイドの金澤さんは恒例の歌を披露した。

訪れた人:
新婚旅行で来て、きょうまた来て、楽しかったです。ありがとうございました

ガイド・金澤明美さん:
「ご苦労様でした」と声をかけてくれて、うれしく思った。本当にこの仕事をしてよかったなと

坂本繁行船長:
「ありがとう、よかったよ」というのが一番うれしい。(船に対しては)荒っぽい運転もしましたが、ありがとうだけですね

58年の歴史に幕を下ろした遊覧船。
震災という荒波も乗り越え、多くの思い出をもたらした。

58年の歴史に幕を下ろした浄土ヶ浜遊覧船
58年の歴史に幕を下ろした浄土ヶ浜遊覧船

(岩手めんこいテレビ)

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