「国道16号線エリアはユーミンや矢沢永吉が育ったんですよ」

そう語ったのは東京工業大学教授で「国道16号線 「日本」を創った道」の著者、柳瀬博一氏だ。70年代以降の日本のミュージックシーンをけん引してきた2人だが、確かユーミンこと松任谷由実氏は八王子の呉服屋の娘、矢沢永吉氏は広島出身だったはず(以下敬称略)。訝しがる筆者に柳瀬氏は「じゃあ謎を解きに国道16号線エリアの基地の街を回ってみましょうか」と誘い出した。

東京工業大学教授の柳瀬氏が16号線をナビゲートしてくれた
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16号線は東京の外側を回る謎の環状道路

12月某日朝6時。新宿駅西口は白々と夜が明けてきたものの凍てつくように寒かった。ここで筆者は柳瀬氏と待ち合わせし、三密を避けて車で福生市に向かった。福生と言えば米軍基地の街、トランプ大統領が初来日した際エアフォースワンが到着した横田基地がある。

国道16号線(※以下16号線)は東京オリンピック前年の1963年に施行された道で、東京の中心部からほぼ30キロ外側をぐるりと回る環状道路だ。

三浦半島にある神奈川県横須賀市から横浜市まで東京湾の海辺を走り、相模原市、東京都町田市、八王子市などを抜けて埼玉県、千葉県を通って再び東京湾に出る。今回の取材では福生を起点に八王子、横浜、横須賀まで16号線の西半分をひたすら車で移動した。

国道16号線 「日本」を創った道

(※)正式名称は「国道16号」

八王子生まれのユーミンは横田基地に出入り

「当時の若者はこの道をどこまでドライブしたのかなあ」

新宿から福生に向かう中央自動車道で、筆者はふと沸いた疑問を口にした。

1974年にユーミンの「中央フリーウェイ」が大ヒットすると、渋滞で悪評高かった中央自動車道はドライブデートの人気スポット「中央フリーウェイ」に生まれ変わった。

筆者の独り言に「相模湖か河口湖あたりじゃないですか」と応えた柳瀬氏は、「中央フリーウェイの中で“調布基地を追い越し山に向かって行けば”という歌詞があるんですけど、ユーミンが都心から八王子の自宅に帰る情景だったと思うんです」と解説してくれた。

ユーミンは八王子市の老舗呉服店の娘として生まれた。彼女のエッセイ本「ルージュの伝言」によれば、中学生の頃から高校2年生まで横田や立川基地に出入りして、60~70年代の「いわゆるカウンター・カルチャーはもうたっぷり吸い込んだ」(「ルージュの伝言」より)そうだ。その後ユーミンは大学時代にデビューし、70年代以降のミュージックシーンに大きな足跡を残しながらいまも駆け抜けている。

ユーミンのエッセイ本「ルージュの伝言」(角川文庫1984年出版)

横田基地周辺の16号線はカリフォルニア

横田基地は福生市をはじめ複数の自治体にまたがる巨大な基地だ。戦後進駐軍に接収され、現在在日米軍の最高司令部と第5空軍司令部などが置かれている。また日本の航空自衛隊航空総隊司令部も2012年から常駐するようになり日米の空軍基地となった。

「横田はC-130輸送機の基地ですが、特殊偵察機がアメリカ本土からやってきて朝鮮半島などの作戦空域を飛んで帰っていくという“通過点”となっています。また日本のミサイル防衛の重要拠点でもあります」(軍事関係者)

横田基地は福生など複数の自治体にまたがる

中央自動車道のインターを降りて16号線に入ると、横田基地に近づくにつれ風景が変わっていく。横田基地の真横を通る16号線沿いには英語の看板を掲げた老舗ピザ屋や米軍放出品、外車を売る店が並ぶ。

横田基地周辺では老舗ピザ屋や外車を売る店が建ち並ぶ

また基地周辺には電柱が立っていない。だから空が広く見えて、一瞬カリフォルニアにいるような感覚にとらわれる。

福生の一角には英語の看板のスナックやクラブが建ち並ぶ

横田基地そばの福生駅に向かうと見慣れた朝の通勤通学風景に戻ったが、駅周辺には英語の看板をつけた小さなスナックやクラブが建ち並ぶ一角がある。

「ここは戦後進駐軍を相手にした店が並んでいて、その後スナックやクラブに変わっていきました。アメリカ文化に触れたいアーティストやミュージシャンもたくさん訪れていたんですね」(柳瀬氏)

ある店舗の壁には無名時代のリリー・フランキー氏が描いた大きなイラストがあった。

店の壁のイラストは無名時代のリリー・フランキー氏が描いた

16号線は基地を結ぶ日本の“シルクロード”

「もともと16号線は日本の“シルクロード”だったんですよ」

福生を離れた後八王子のユーミンの実家・荒井呉服店を訪れると柳瀬氏はこう語った。

柳瀬氏によると、シルク=生糸・絹産業は江戸末期から明治期にかけて巨大ビジネスとなり、「絹の都」として各地で生産された生糸が集まったのが八王子だった。

八王子ではシルク加工品である着物を扱う呉服屋がたくさん生まれ、その1つがユーミンの実家だったようだ。生糸は横浜港から輸出され近代日本の稼ぎ頭となった。八王子と横浜を結ぶ街道はまさに近代日本のシルクロードとなり、現在の16号線の一部となったわけだ。

ユーミンの実家・荒井呉服店(建て替え工事中のため仮店舗)

16号線は基地の街を結ぶ道でもある。横田基地だけでなく相模原市には米軍の相模総合補給廠があり、相模原市と座間市にまたがるキャンプ座間には在日米陸軍司令部兼第一軍団(前方)司令部がある。その先には米海軍の厚木基地があり海上自衛隊も常駐している。

ではなぜ16号線エリアに基地が密集しているのか。

軍事専門家に尋ねると「それはよくわからない」と言われたが、柳瀬氏は「答えは地形です」と言い切った。

「16号線エリアにはたくさんの台地があります。真っ平らで地盤のしっかりした台地は飛行場を作るのに最適地だったんです。だから多くの軍用飛行場が設けられたのですが、それが戦後は米軍や自衛隊の基地になったんですね」

矢沢永吉は横浜で「ビッグになる」と誓った

16号線でいよいよ横浜・横須賀へ向かう

さて車はいよいよ横浜・横須賀に向かう。

横浜といえば海沿いにノースドックがあり、在日米陸軍の機材の出し入れや横須賀基地に入港できない米軍艦の受け入れ先となっている。そして横浜・本牧はかつて米軍住宅「ベイサイド・コート」があり、いまもアメリカの雰囲気が残っている街だ。

横浜といえば、70年代以降のジャパニーズロックをけん引してきた矢沢永吉だ。

自伝「成りあがり」によれば、広島からスーパースターになることを夢見て上京した矢沢は、「無意識みたいに横浜で汽車を降りた」という。

そして横須賀に向かいアメリカに渡ろうと米軍基地で掛け合ったが断られ、横浜の店でボーイとして働き始めた。住み込み先のアパートがあったのは16号線沿いの弘明寺だ。

矢沢永吉の自伝「成りあがり」(小学館1978年出版) 筆者所有本

「オレは絶対ビッグになってやる」(「成りあがり」より)

これは結婚したもののアルバイトで生計を立てていた時代の矢沢の言葉だ。横浜や横須賀の米兵相手のディスコやクラブで演奏をしていた矢沢は、その後キャロルをつくって鮮烈なデビューを果たし、いまや日本のミュージックシーンで不動のポジションにいる。

横須賀・どぶ板横町で16号線を語る

横須賀は基地の街と呼ぶにふさわしい

そして最終地点となった横須賀には米海軍の巨大基地があり、空母から潜水艦、イージス艦が停泊する。海上自衛隊も護衛艦や潜水艦、イージス艦を置いていて、まさに基地の街と呼ぶにふさわしい。

今回の取材で16号線の終点となった横須賀・走水は、実延長326・2キロの環状道路の起・終点を示す小さな標識がひっそりあるだけだった。近くに小泉進次郎環境相の選挙ポスターが貼ってあり、小泉氏の地元であることを思い出した。

16号線の起・終点には小さな標識がひっそりあった

米兵や観光客相手の“どぶ板横町”のハンバーガーショップの前で、柳瀬氏と筆者は今回の取材を振り返った。巨大なベーコンエッグバーガーを手に、柳瀬氏は「この道には基地や音楽、シルクロード以外にも様々な顔があるんです」と語り始めた。

「先ほど行った横浜・本牧には、戦後米海軍に接収された土地が80年代に返還され、バブル絶頂時に総合ショッピングセンターの“マイカル本牧”が誕生しました。私は当時『日経ビジネス』の流通担当記者として取材に訪れました」

マイカル本牧はバブル崩壊後経営が苦しくなり2011年に幕を下ろしたが、「16号線は郊外型商業施設の走りでした」と柳瀬氏は続けた。

どぶ板横町には米兵に人気のスカジャン専門店も

16号線エリアはもっとエモい景色がある

柳瀬氏によれば、16号線は日本の消費のモータリゼーションが本格的に始まり、広がっていった道でもあった。90年代から2000年代にかけて16号線沿いにはディスカウントショップとショッピングモールが次々建ち並び、トイザらスやコストコ、IKEAなど海外の流通大手が店を構えた。ブックオフが1号店をオープンしたのも16号線の裏手だ。

柳瀬氏はハンバーガー片手に「16号線エリアはエモい」と語る

また16号線エリアは100を超える大学が近辺にキャンパスを有し(柳瀬氏の勤める東工大のすずかけ台キャンパスも16号線沿いだ)、相模原にJAXA=宇宙航空研究開発機構、横浜にJAMSTEC=海洋研究開発機構の研究施設もある一大学術・研究エリアでもある。

柳瀬氏は「16号線エリアにはエモい景色がまだたくさんあります」と笑った。

どうやら16号線を巡る“旅”はまだ始まったばかりのようだ。

横須賀の海辺を走る16号線はエモい

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

記事 429 鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。