2019年10月31日未明、首里城が全焼する火災が発生した。火災発生当時、首里で生まれ育ち首里城にほど近い場所に住む石崎雅彦さんは、自宅から炎に包まれる正殿にカメラを向け続けていた。
映像を残した記録者の目を通して、7年という年月の中で進められてきた首里城の再建と地域の移ろい、そして次世代へ繋がる思いに目を向ける。
自宅から捉えた火災、12時間の記録

首里当蔵町に住む石崎雅彦さんは、火災当日の午前2時50分ごろ、自宅屋上から撮影を開始した。「火災当日は本当に熱まで感じましたからね」と当時の状況を振り返る。熱気と炎が迫る中、正殿が骨組みだけになり、天井が崩落するまで12時間以上もカメラを回し続けた。
「カメラを回していると、火災の進み具合がわかるもんだからね。どんどん悲しくなる」

個人的な衝動ではなく、記録を残すことが後世のためになると信じた行動だった。
「映像に残すということが、結局は自分の意思じゃなくて首里城のためというのかな、後世のためになるならと思って。とにかくめいっぱいバッテリーも準備して、それで回していましたね」
燃え落ちる首里城を目の当たりしてあらためて、感じることがあった。「やっぱり、よりどころになっていたんだなと。首里城そのものが、心のよりどころにあったんだなということ」

石崎さんが残した映像は沖縄県公文書館へ寄贈され、当時の記憶を風化させないための貴重な記録として保管されている。
焼失の衝撃とともに変わった若い世代の意識
衝撃的な映像は、地域の若者たちの意識も大きく変えた。

渡名喜貴さんは「夢かなと思いました。本当に。ちょっとあんまり考えられなかったです。本当にショックでした」と語り、臼井究さんも「映像を見てより本当にショックで、より首里城が燃えたというのを実感できた」と振り返る。
石崎さんの次男である石崎豪さんは「自分たちにとってもすごく意味のあるものだったんじゃないかなと」と噛みしめながら、続ける。

「首里というその地域が前よりまして、一体感というか何かに向かっていっているんだないうのは、今祭りをやっている側としては実感するところ。あまりいい表現ではないですけど、火災があって、新しいものもできたかなと思いますね」
2007年に琉球王朝時代の「綾門大綱」を復元させるなど、長年地域を牽引してきた石崎さんは、若者にとって「レジェンド」と呼ばれる存在だ。現在、地域の青年たちは毎月勉強会を開き、石崎さんが伝えてきた歴史や文化を学びながら、再び綾門大綱を再現しようと奮闘している。

「(火災の後)初めて首里を見直して、首里に住んでいるんだからということで、若い衆が出てきて。そういうことで意識が変わってきたね」と石崎さんは目を細める。「首里城というのは、ただ首里城が焼けたとかそういうことだけの話じゃなくてね。みんなの心の中で何か訴えるものがあったんだろうな」と、地域に芽生えた絆の意義を強調した。
「待ちかんてぃー」した正殿のお披露目

再建のプロセスは、伝統技術を未来へつなぐ場ともなった。石崎さんは「この6、7年で、修復するために若い瓦職人、漆職人とか、そういう沖縄生まれの職人たちを訓練する場所ができた。これは一番大きいと思いますね」と、職人の育成という社会的価値を見出している。
2026年11月、多くの人々の思いと技術を結集した正殿がいよいよお披露目の日を迎える。もともと「首里城が見たい」という理由で自宅を建て、かつては屋上でお酒を嗜みながら城を眺めていた石崎さん。

公開を目前にした今の心境を問われると「もう待ちかんてぃー(待ちわびた)ですよ。ここ(自宅屋上)でお城を見ながら一杯やることがが楽しみかもしれませんね」と笑顔を見せた。
復興の7年間は、失われた建造物を復元する過程であると同時に、地域の人々の心を一つにし、新しい伝統と人材を育む歳月でもあった。北殿や南殿の完成まで再建の歩みはまだ続くが、人々の胸にともった灯火はこれからも首里の街を照らし続けていく。

