岩手県二戸市には「陸奥岩渕」など、「陸奥」の名が付くバス停が点在している。
長年にわたり岩手県の地名を調査している宍戸敦さんによると、岩手県の現在の県域(形)が定まったのは、明治9年(1876年)。それ以前、この地域は広大な「陸奥国」に属していた。明治元年(1868年)に陸奥国は5つに分割され、そのうち現在の二戸市周辺は「陸奥」と呼ばれる地域に含まれていた。二戸市周辺に残る「陸奥○○」という地名やバス停には、その名残が今も受け継がれているという。
一方、伝統的な漆器「浄法寺塗」で知られる浄法寺町には、その名の由来となった浄法寺という寺は存在しない。
宍戸敦さん
「二戸市浄法寺町は、現在の神奈川県鎌倉市に、かつてあった浄法寺という寺による。鎌倉幕府・源頼朝の重臣である畠山重忠の子が、鎌倉にあった浄法寺で僧になった後、現在の浄法寺町に城主として移り住む。神奈川の浄法寺という寺から来たことから『浄法寺氏』を名乗るようになり、そこから『浄法寺』という地名になったと言われている」
浄法寺町には浄法寺こそないものの、東北有数の歴史を持つ天台宗の古刹「天台寺」がある。
参道の入り口には、巨木の根元から清水が湧き出る「桂清水」があり、桂の木の根元から湧くこの清水が由来となり、天台寺は「桂泉観音」とも呼ばれている。
木の根元から水が湧く場所は古くから「神が宿る」とされることが多く、この地の信仰の原点も桂清水にあったのではないかと考えられている。
この天台寺の歴史について、寺を管理する安ヶ平義光さんは「天台寺は728年、天皇の命を受けた僧侶によって開山された」と説明する。
奈良時代から続く歴史の中で、寺は幾度もの苦難を経験した。
安ヶ平さんによると、昭和28年から31年(1953年~1956年)にかけて起きた「霊木伐採事件」により、寺の杉1000本以上が伐採・売却された。寺は次第に衰退し参拝者も大きく減少したという。
天台寺・安ヶ平義光さん
「昭和45年(1970年)に地域住民が立ち上がり天台寺を復興させようと植林と境内の整備を始めた。周りに切株があるが、伐採された木の霊を慰めるために、現在285尊ほどの地蔵が置かれた」
さらに天台寺は、地域の伝統工芸である浄法寺塗とも深い関わりがある。
安ヶ平さんは「仏像を納める厨子は浄法寺塗で作られている。天台寺に修行に来た僧侶が作った漆器が広まり、浄法寺塗の始まりになったと言われている」と話す。
地域の歴史や文化を受け継ぐ天台寺。安ヶ平さんは「多くの人に『天台寺はいいところだ』と思って訪れてもらえればうれしい」と願う。
浄法寺町という地名が生まれたとされる鎌倉時代よりも前から、この地にあり続ける天台寺。長い歴史を刻みながら、今も地域の人々によって大切に守り継がれている。
