2026年6月に打ち上げに成功した「H3ロケット」。このロケットの部品製造に関わったのが従業員数、わずか59人の静岡県清水町の町工場だ。宇宙を目指すという壮大な挑戦にかける思いとは。
H3ロケットを支える高い加工技術
2026年6月、種子島宇宙センターからロケットが打ち上げられた。白い煙を噴き出しながら、青い空を突き進んでいく。これは、宇宙への輸送手段確保のために開発が続けられてきたH3ロケット。この打ち上げの様子を種子島から遠く離れた静岡県清水町で固唾を呑んで見守る人達がいた。打ち上げ成功がわかると、安堵の表情と笑顔が見られた。拍手をして喜んでいたこの会社の鈴木誠一社長は、これまでの道のりをこう振り返った。「やってみなければ分からないことはかなりある。今までにない技術が入らなければいけないとか、そういうのはやってみなければ分からない」

静岡県清水町に本社を置くエステック。従業員は59人。チタンやアルミ合金などの加工をてがけている。加工に関する技術力は県内随一。その精度は、髪の毛よりもはるかに細かい1000分の1mmを誇る。その技術力を生かし、打ち上げには欠かせないロケットのエンジン部品の製作にも携わっている。
1971年、静岡県長泉町で鈴木社長の父と母が創業した鈴木鉄工所。この小さな鉄工所がエステックの始まりだった。当時は、自動車に後付けするエアコンの部品などを製造していた。
「難しいものをやりたい」失敗の繰り返し
エステックが航空機の分野に足を踏み入れたのは、およそ40年前だった。きっかけは「難しいものをやりたい」という思い。

鈴木社長は「飽きやすい性格で何か難しいものをやりたいと。アンテナを立てたところ、『航空機(の部品製造を)これから始めるけどやってみるかい』と話が来た。『ぜひともやらせてください』とお願いした」と話す。ただ求められる品質基準は、並大抵のものではなかったという。

鈴木社長は「大変だった。出すもの出すもの全部手直し。不適合、オシャカ、破棄となる。けっこう大変だった。それが何年ぐらい続いたか」と振り返る。失敗を繰り返しながらも改良を重ね、10年前にはロケットの開発にも携わることになる。
しかし2023年、初めて関わったH3ロケット試作1号機の打ち上げは失敗に終わった。落胆したものの、「製品が悪かったのではない」と連絡が来た。鈴木社長は「これからも頑張って下さい」という励ましの言葉をもらい、「ああ良かった」と感じたという。

従業員も「ワクワク」「うれしい」
一筋縄ではいかない挑戦に、共に力を尽くす従業員もやりがい感じている。エステック設計課の藤田直哉さんは「部品として形にするまでに工夫した部分は、確実に自分がやった痕跡が残るところではあるので魅力。打ち上げの様子を見ていると、ロケットに入っている部品が自分が一瞬でも触った部品だと思うとワクワクする。うれしい」と語った。

地道な改良が実を結び、2024年2号機で初めて打ち上げに成功。2026年6月には新形態のH3ロケットも打ち上げ成功となったほか、8月には9号機も宇宙へと旅立った。

2026年6月、鈴木社長が訪ねたのは、日本の航空宇宙分野の旗振り役である日本成長戦略担当の城内実大臣。H3ロケットの打ち上げ成功について報告した。
鈴木社長は、美術品みたいに最終的には手作りで製作していることを説明すると、城内実大臣は「最後は職人の手の感覚なんですね」と称えた。

宇宙の無限の可能性 月も火星も
今や国の重要産業の根幹を担う存在となったエステック。鈴木社長が見据えるのは、宇宙の持つ無限の可能性だ。エステックの鈴木誠一社長はこう語った。「宇宙ステーションは今やっている。来年くらいから月面の探査機をやっていく。そのあとは火星というのも出ている。宇宙は広いので、どんどん広がっていくのかなと。静岡県で航空宇宙の城下町ができれば。ぜひ航空宇宙をやるんであれば、私共と協力してほしい」

清水町から宇宙へ。小さな町工場の挑戦が、日本の航空宇宙産業を支えている。
(テレビ静岡)

