岩手県内で29人が犠牲になった台風10号の豪雨災害から、8月30日で10年です。
大きな被害を受けた岩手県岩泉町では、教訓を生かし悲しみを繰り返さないための地道な取り組みが続いています。
井上智晶アナウンサーリポート(2016年)
「道の駅岩泉です。車が地面に突き刺さるように止まっています。そして今も大量の水が流れています。建物にはたくさんの流木が引っかかっていて、窓ガラスも割れています」
2016年8月30日。観測史上初めて太平洋側から直接岩手県に上陸した台風10号。
1時間降水量が70.5ミリに達した岩泉町では、甚大な被害が発生しました。
発生の翌日、取材に入ると、町を流れる小本川が氾濫したことによる激しい爪痕がいたるところで確認されました。
県内の犠牲者は関連死を含め29人。このうち岩泉町は26人を占めていて、町内の住宅被害は985棟に上りました。
台風10号の豪雨災害から10年が経ち、当時を知る人が少なくなるなか、災害の教訓はどう受け継がれ、防災はどのように変わったのでしょうか。
発生当時、岩泉消防署の署長として災害対応の指揮を執った佐々木重光さん(68)です。
あの日、台風が県内に上陸したのは午後5時半ごろ。その夜は町内各地から救助要請が相次ぎましたが、川の氾濫などにより救助に向かった消防隊や消防団までもが孤立する異常事態となりました。
当時岩泉消防署長・佐々木重光さん:
「行った救助部隊から『助けてください』という通報があったので、これはもう大変だ、大災害だと」
消防署と町役場などを結ぶ道路も寸断され、消防署も孤立状態に陥りました。
佐々木さんは午後9時、苦渋の決断を下します。
「『ただ今の時間をもって各隊は活動を停止せよ。そして各隊は安全確保せよ』と」
その決断の背景には東日本大震災の経験がありました。
佐々木さんは当時、津波で仲間の消防隊員4人を失っています。
当時岩泉消防署長・佐々木重光さん:
「自分の命・家族の命を守ってこそ初めて人を助けることができる。そういった部分を重要視して職員に周知徹底した」
しかしその夜、翌朝からの救助活動の方針を協議するため、佐々木さんは町役場に出向かなければなりませんでした。
がれきが広がる橋を歩いた際の異様な光景をこう振り返ります。
当時岩泉消防署長・佐々木重光さん:
「がれきだけじゃなくて実はプロパンガスも流れ着いて、ガスがシューシューとなっていた。今でも決して忘れないが、人の気配も生き物の気配もなかった」
甚大な被害から10年、岩泉消防署では次の災害に備えるための地道な取り組みを続けています。
2026年も全国的に豪雨が相次ぐ中、この日は土砂災害を想定した救助訓練を行っていました。
中には10年前、小学生(小6)だった隊員もいます。町内出身の田鎖海璃さん(21)です。消防士として日々様々な現場で奮闘しています。
この道を志したきっかけは10年前の豪雨災害でした。
岩泉消防署・田鎖海璃さん:
「助けていただいた地域住民に恩返しをしたいと消防士になった」
豪雨災害の発生当日、仕事で外出していた両親と連絡が取れず、自宅で弟や妹などとともに不安な一夜を過ごした田鎖さん。
翌朝になると、周辺の道路は流木や土砂で埋まっていたといいます。
田鎖さんは「いつもと違うのが怖かった。道路もあるところ・ないところあったり(川は)普段とは違う泥の色をしていた」と当時を振り返ります。
守られる側から守る立場となった田鎖さん。
岩泉消防署では今、台風10号を教訓に、田鎖さんを含む全隊員の間で、まずは自身の危機管理を徹底した上で、救助などの活動に当たることが共通認識とされています。
岩泉消防署・田鎖海璃さん:
「自分が助からない、仲間が助からないことには、人を助けることはできないと思うので、自分の安全を確保した上で救助を行いたい。地域住民に安心安全を一つでも届けたい」
10年前の豪雨災害は国の仕組みも大きく変えました。高齢者施設の防災です。
岩泉町にあったグループホーム「楽ん楽ん」では、入所者9人全員が犠牲となりました。
当時、この施設では洪水の際の避難計画が作成されていませんでした。
消防署長だった佐々木さんは、災害後に設けられた国の検討委員会の委員となり、高齢者施設での避難計画の作成と訓練の義務化を強く訴えました。
当時岩泉消防署長・佐々木重光さん:
「(避難確保計画は)策定を義務にしなければならない。『必ず作れ、そして訓練も徹底してやれ』と」
豪雨の翌年、国は水防法と土砂災害防止法を改正。
災害のリスクが高い高齢者施設などでは、避難確保計画の作成と避難訓練が義務化されました。
「楽ん楽ん」と同じ法人が運営している介護老人保健施設「ふれんどりー岩泉」では、2018年に隣接する企業「岩泉ホールディングス」と協定を締結し、合同での避難訓練を定期的に行っています。
避難確保計画では誰が、いつ、どこへ、どう避難させるかを定めることになっていて、この日は施設の利用者を工場の2階に避難させる手順を確認していました。
岩泉町内ではこの施設を含め対象となる21の施設全てで避難確保計画を作成しています。
ふれんどりー岩泉・三上昇勝総務部長:
「けがもなく的確に行動していたのでとても良い訓練だった」
岩泉ホールディングス・山下欽也社長:
「避難の行程は両者で共有すべき利点がいっぱいあったと思うので、次世代にもこういうことを伝えていければいいと思う」
台風10号の豪雨災害から10年。
河川の改修など町内の復旧工事は2025年に完了しました。
あの日の記憶を風化させず地域の防災力を高めるため、消防署長だった佐々木さんは退職後の今も講話などの活動を続けています。
当時岩泉消防署長・佐々木重光さん:
「石碑は語らないんですよ。経験した者が言葉で伝える。これがすごく重要だと思っている」
そして、佐々木さんの頼もしい消防の後輩たちは、地域への思いを胸に“あすの岩泉”を守ろうとしています。
岩泉消防署・田鎖海璃さん:
「私、岩泉が大好きなので、当時は脅威だった川も大好きな川。自然あふれる岩泉が大好き」
東日本大震災に続く豪雨災害を乗り越え、教訓を未来につなぐために――。岩泉ではきょうも地道な取り組みが続けられています。
