石川真佑が初めてアジア選手権に出場したのは、7年前の2019年。

韓国にはキム・ヨンギョン、タイにはヌットサラ・トムコムなど、往年の名選手たちが揃う各国代表チームの中、日本はその年の秋に行われたワールドカップのメンバー、いわばA代表ではなく、同年7月のU20世界選手権で金メダルを獲得した、ジュニア代表の選手たちが出場。

その中で、エースとして大活躍したのが石川だった。

7年前のアジア選手権で優勝

同世代が集まるU20世界選手権とはまた違う、経験、技術、体力で上回る相手に対して、お構いなし、とばかりに高いブロックにもひるまず打つ。しかも決める。準決勝では韓国に、決勝ではタイに勝利し、優勝を飾った日本代表の石川は大会最優秀選手にも選出された。

個人表彰の選手たちが表彰台に並ぶ中、石川の隣にいたのが、共にベストアウトサイドヒッターに選ばれた韓国のキム・ヨンギョンだった。その時に交わした短い会話を、当時19歳の石川は嬉しそうに語っていた。

「『あなたはすごい選手だね』って言われたんです。むしろこちらからすれば、ずっとテレビで見てきた韓国代表の大エースのキム・ヨンギョンだったので、試合ができただけでも嬉しかったのに、褒めてもらえてすごく光栄でした」

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U20、そしてアジア選手権での活躍が評価され、A代表へ招集された石川は、9月のワールドカップにも出場。21年の東京五輪にも出場し、予選リーグではヨンギョンが主将として率いる韓国と再び対戦した。

勝ったほうが決勝トーナメント進出に近づく大一番で、先にマッチポイントを握ったのは日本だったが、最後の1本が決めきれず、逆転の末に日本は敗れた。

そしてその最後の1本を「決めてくれ」とばかりに続けてトスを託されたのが石川だった。

五輪で勝つためにイタリアへ

タラレバも言い訳もしない。そのシーンを石川から聞いたのは、五輪から数年が経ってからだ。

「その時は正直、あまり深く考えていなかったんです。ただただ勝ちたかったし、ヨンギョンはやっぱりすごいな、前に対戦した時は別人だ、と思っていたぐらい。負けたことが悔しい、という気持ちはすごく強かったですけど、オリンピックの大事な試合で負けてしまったことの意味は、そこまで理解できていませんでした」

日の丸を背負って戦う重圧も、負けた時に向けられる厳しい評価もよくわからないままがむしゃらにプレーした10代の頃。

経験を重ねていく中で、日本代表で戦う1人の選手として、自分に何が足りないか。今すべきことは何かを考えるようになり、23年5月にはイタリアへ渡った。

より明確に、具体的に、石川の口から「オリンピックで勝ちたい」という言葉を聞くようになったのは、24年のパリ五輪を終えてからだ。

「負けて、すごく悔しかったし、自分の力が全然足りない、と思ったんです。日本にいたほうが環境は整っているけれど、でも海外に行かないと強くなれない。行きたい、という気持ちももちろん強かったですけど、それと同じかそれ以上に、行かなきゃ、という気持ちも強かったです」

「アジア選手権でロスの切符を」

海外の高さに対して、どんな決め方をすればいいか。時にセッターとのコミュニケーションに悩みながらも、やるべきことはやり続ける。練習時間の少し前に体育館へ入ってくる選手たちがほとんどである中、イタリアリーグで戦う石川は、いつもきまって誰より早くそこにいた。

体育館の隅で黙々とストレッチやチューブを使ってインナーマッスルに刺激を加えたり、体幹トレーニングをしていたこともあれば、サブコートを一人で走っていたこともある。

誰かに言われてやるのではなく、自分に必要だと思うからやる。いい時も、うまくいかない時も、石川真佑は自分のすべきことをやり続けてきた。

来季もイタリアへ残る選択肢もあった中、トルコへの移籍を決めたのも今の自分、これからの自分に必要だと思ったから。

「慣れ親しんだノヴァーラで3シーズン目を過ごして、そこで強くなることもできたと思います。でも自分がもっと強くなるため、成長するためにはそれまでとは違う環境に行くことも必要だと思ったし、シンプルに“行きたい”と思う自分もいた。だから、次のシーズンはトルコで新しい挑戦をしよう、と決めました」

まずはその前に、為すべきことがある。

日本代表の主将として、アジア選手権で優勝してロサンゼルス五輪の出場権を手にすることだ。

今季のキックオフ会見時から、常に「アジア選手権で勝ってロスの切符を取りたい」と公言してきた大舞台が、間もなく始まろうとしている。

「簡単ではないですけど、ここで獲れるように。自分のやるべきことをやりきりたいです」

エースとして。主将として。三度目の五輪をかけた、決戦に臨む。

田中夕子
田中夕子

神奈川県生まれ。『月刊トレーニング・ジャーナル』編集部を経て、2004年からフリーランスライターに。主にバレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を中心に取材。著書に『日本男子バレー勇者たちの軌跡』、『高校バレーは頭脳が9割』、共著に『青春サプリ。』、構成に『Saori(木村沙織著)』『頂を目指して(石川祐希著)』などがある。春高バレーをはじめとする高校バレーの取材がライフワーク。