8月15日は終戦の日。戦争の記憶を受け継ぐ静岡市の平和資料センターは開館から20年以上ボランティアに支えられてきた。この場所を、そして6000点の資料をどう未来へつなげていけばよいのだろうか。
ボランティアに支えられてきた資料館
静岡市葵区伝馬町にあるビル。その2階である作業が進められていた。ここは静岡平和資料センター。戦時中の米穀購入通帳や焼夷弾などの資料の整理を進めていたのは、センターの運営を担うボランティア「静岡平和資料館をつくる会」のメンバーたち。
センターには、太平洋戦争中の軍隊や、市民の暮らしにかかわる遺品や記録、写真など、約6000点が保管されている。定期的に内容を入れ替えて展示をしていて、市民団体や学校への貸し出しにも対応している。終戦の日を迎える夏のこの時期は、資料の貸し出しをする機会も多い。

しかし、センター長の田中文雄さん(78)は今、今後の活動と施設の行く末に不安を感じている。「今このセンターがなくなったら、6000点の資料をどうすればいいのか」
静岡平和資料センターは、資料の保全と記憶の継承を目的に、住民有志が静岡市に求めて開設された。家賃を静岡市が負担し、運営をボランティアが担う形で、場所を2度移転し、現在に至っている。限られた人数で日々の事務作業も担っているため、開館できるのは毎週金・土・日の3日間だけだ。家賃以外の経費は、メンバーの会費と寄付金で賄っているが、市からの助成金は確実に続くのかどうか、「担い手」と「経済面」の不安は尽きない。メンバーたちは、公設の資料館を求めてきたものの実現していない。

メンバーを支えるのは、資料や施設を必要としてくれる人がいることだ。学校単位での平和学習の利用も含め、2025年度、子供から大人まで5000人近くが資料館を訪れた。
そして今も貴重な史料が戦争を体験した人や家族などから寄せられている。1945年6月20日に、約2000人が犠牲となった静岡空襲。戦後40年の節目となる1985年に募集し、寄せられた空襲の体験画は100枚以上だったが、今では170枚ほどに増えている。
記憶に刻まれた空襲の体験
生きるか死ぬかという空襲のすさまじい体験をした人たちの多くは、その記憶を鮮明に覚えているという。画家が描いた作品もあるが、中にはチラシの裏に描いた作品もあるという。田中センター長は「絵が上手い下手とか、そういうことではなく、すごくありがたいもの」だと話した。

終戦の日が近づく8月9日。夏休み平和教室と題して戦争の記憶を語り継ぐ講座が開かれ、家族連れなど約20人が集まった。上演されたのは、静岡空襲を経験した男性の話をもとに作られた紙芝居。当時、娯楽が少なく贅沢は敵だと言われた時代。当時小学生だった男性はウサギを飼っていた。空襲で自宅から逃げようとしたとき、ウサギを抱いて連れて行こうとしたところ、母親から「置いていきなさい」と怖い顔で言われ、泣きながら「さよなら」と言って別れたという。集まった人たちはみな真剣な表情で聞き入っていた。
参加した男子高校生は、「戦争は身近でいつ起きてもおかしくない」と率直な感想を述べた。また、30代の女性は「空襲があったというのは親からも聞いて知ってはいたが、思っていたよりひどかった。子供たちはまだ理解が難しいと思うが、何回か来て理解を深めていきたい」と語った。
メンバーのひとりひとりも、最初から戦争について詳しかったわけではない。まだ勉強することも多いというが、それぞれが関心をもっていることやできることを持ち寄り、平和の尊さを伝える活動に取り組んでいる。

平和を求める思いが支えに
田中センター長は「自由さと平和を求める思いがここを支えている。この平和への思いがあるから活動が続く。次々と新しい方に興味を持っていただいて、ここで活動してもらえたらありがたい」と述べた。
戦時中の記憶があるといわれる85歳以上の人は、人口の約5.8%となっている。資料や証言だけでなく、平和を願う思いも受け継いでいくために。戦争の記憶を次の世代へつなげていく拠り所は、これからも必要とされ続けるはずだ。
(テレビ静岡)

