8月5日、北海道・夕張市。浜元美帆さんは沖縄に住む高校3年生です。
沖縄戦の遺族を捜すボランティア活動に参加しようと、夏休みを利用して初めて北海道に来ました。
遺族に渡したいのは、手紙と写真です。手紙には夕張の住所が書かれていました。
「(戦争について)いろんな考えとか落とし込めることができると思ったので。北海道に行ったらご遺族に会えるかもしれないので」(浜元美帆さん)
「ここに大滝さんという方が……」(浜田哲ニさん)
「わかんないです」(住民)
「大滝さんという方がいたのですが、ご存じないですかね」(浜田さん)
「大滝さんなんていないよね」(寺の人)
何軒も尋ねて回りますが、情報は得られません。
「厳しいかもしれんな」(浜田さん)
この活動は浜田哲ニさんと律子さんの夫婦がボランティアで行っています。
沖縄戦で亡くなった人の遺骨などを25年以上にわたって探し続け、家族のもとへ返しています。
手紙は沖縄戦の指揮官が保管していました。
部下の遺族が返信してきた手紙であわせて356通。遺族に返してほしいと浜田さん夫婦に託されました。
「一刻も早くご遺族の元にお届けしたい。だけどご遺族の行方、結局手紙には70数年前の住所しかのっていないので、それで探る限りなかなか見つからない」(浜田さん)
いま捜しているのは、大滝庫一さんの遺族です。
大滝庫一さんは1945年、沖縄に上陸してきたアメリカ軍との激戦で亡くなりました。24歳でした。
地元のレストランでも分からず、あきらめかけていたときでした。
「おばが夕張の人なんですが、大滝さんを知っているみたいで」(レストランのオーナー)
「えっ!」(一同)
「札幌にいるらしい」(レストランのオーナー)
レストランのオーナーが親戚に聞いてくれて、大滝庫一さんの遺族の連絡先が分かりました。
遺族は夕張から札幌に引っ越していたのです。
教えてもらった電話番号に連絡してみます。
「やったー!」(浜田さん)
大滝庫一さんの弟で、現在101歳の保次さん。
父親が沖縄戦の指揮官に書いた手紙、そして兄の写真が渡されました。
「捜し出すのに9年かかりました。会えてよかった」(浜田さん)
「夕張によく訪ねて行ってくれたね」(弟 保次さん)
大滝庫一さんは師範学校を卒業して先生になりました。その後すぐに徴兵され、教壇に立てたのは半年だけだったといいます。
最期の様子を指揮官が書きとめていました。
「大滝庫一少尉、大山隊、歩兵三十二連隊、第一大隊、第二中隊に所属していました。五月六日、西原町の棚原高地で戦没されました」
「薄い天井の野戦陣地内で戦っていた大滝少尉たちはひとたまりもありません。爆発の土煙が上がるたびにバラバラになった部下の体の一部が吹き上がるのを無念の思いで見守るだけだったと伊東大隊長は話されます」
「大滝少尉はこの攻撃で戦没されました」(いずれも浜元美帆さんが代読)
「(兄は)頭がよくて。まじめだった。兄貴のことは僕も忘れない。いろいろと思い起こさせてくれて、ありがとうございます」(保次さん)
戦地に向かう兄の壮行会。お別れの日を前に、隣には両親が座っています。
「(兄の葬儀では)父親は無言でだまって下向いたまんま。(母親も)同じ」
「とにかくうれしいしかないですよ。ありがたい」
「80年もたって手元に返ってきた」(いずれも保次さん)
「一番は、『ありがとう』という言葉がすごくうれしくなりました。ありがとうございました」(浜元さん)
「私もきょうだいがいて自分が一番上。弟、妹と重ね合わせちゃって。北海道に来てよかった。返せてよかった」(浜元さん)
沖縄戦で亡くなった北海道出身者は1万808人。そのほとんどの遺骨や遺品はまだ沖縄に残されたままです。
